●現在の国際秩序は、17世紀半ばに成立した主権国家体制を基礎としている。
【1.刑事裁判権放棄密約】
日米の密約の一つとして、刑事裁判権放棄密約が挙げられる。日本政府は、米兵に対する裁判権の行使に例外があることを国民に十分説明せず、批判を避けるため政治的な秘密として扱った。
アメリカ側は、いわゆる「砂川陳述」の公表を日本側に求めていた。日本で米兵が裁かれる事件が限定されていることを明らかにできれば、他国との地位協定交渉でも有利に働くと考えていたためである。
一方、日本側は野党からの批判や政権運営への影響を恐れ、公表に応じなかった。したがって、この非公表の取り決めが、密約の存在を外部から確認することを困難にした要因の一つになったと考えられる。
また、過去10年間の日本人と米兵の起訴率を比較すると、日本人の起訴率が39%である一方、米兵は16.7%であり、2倍以上の開きがある。
【2.1960年の核持ち込み密約】
1960年の日米安保条約改定に際し、日本政府は表向き、核兵器の日本への持ち込みには事前協議が必要であるとの立場を示した。
しかし、アメリカ側は、核兵器を搭載した艦船の日本への寄港や領海通過については「持ち込み」に当たらず、事前協議の対象ではないとの立場を取っていた。
日本側は、このアメリカ側の解釈を認識しながら明確な対立を避け、結果として核搭載艦船の寄港などを黙認する形で運用していた。このような日米間の暗黙の了解が、核持ち込み密約と呼ばれている。
【3.1960年の朝鮮議事録】
1960年の安保改定に関連して、朝鮮半島有事の際に在日米軍が日本国内の基地をどのように使用できるかについても、日米間で秘密の了解が形成された。
当時、朝鮮戦争の休戦協定からまだ数年しか経過しておらず、戦争の再発は現実的な危機として認識されていた。そのため、米軍が在日基地を自由に使用できることは、アメリカの極東戦略上、譲れない条件であった。
日本防衛を目的として在日基地を使用する場合には、補給活動であっても戦闘作戦であっても、事前協議は不要とされた。
また、極東の平和と安全を目的とする行動の場合でも、補給や輸送などのロジスティックな活動については事前協議は不要とされた。
一方、極東の平和と安全を目的として、在日基地から直接戦闘作戦に出撃する場合については、一応、事前協議が必要であるとの立場が取られた。
つまり、在日米軍の行動を広く認めながら、直接的な戦闘作戦についてのみ事前協議を必要とする仕組みであった。
【4.1969年の沖縄核持ち込み密約】
沖縄返還交渉における最大の争点の一つが、沖縄から核兵器を撤去する「核抜き」の問題であった。日本政府は、「核抜き・本土並み」を沖縄返還の原則として掲げていた。
一方、アメリカが重視していたのは、単に核兵器を撤去することではなく、非常時に再び沖縄へ核兵器を持ち込める余地を確保しておくことであった。
その結果、平時には沖縄から核兵器を撤去する一方、重大な緊急事態には、事前協議を通じて核兵器を再び沖縄へ持ち込むことを可能にする秘密了解が形成された。
この秘密了解は、佐藤栄作首相とニクソン大統領との間で極秘に交わされたものであり、一般に1969年の沖縄核持ち込み密約と呼ばれている。
【まとめ】
戦後の日米関係には、「表」と「裏」という二つの側面が存在し、密約はその「裏」として機能してきたと考えることができる。
表向きには、条約や協定といった公的な枠組みが整備される一方、その水面下では、限られた政治家や官僚だけが把握する取り決めが交わされていた。
密約は、いわば外交上の便宜や現実的な必要性から生み出されたものである。
アメリカにとっては、自国の軍事戦略に沿って、米兵の法的保護や軍事作戦の自由度を確保し、極東における安全保障秩序を維持するための手段として機能した。
一方、日本にとって密約は、表向きには日米の対等性や非核政策などを国民に示しながらも、現実にはアメリカの戦略的要請を受け入れ、日米同盟を安定的に維持するための調整装置として機能してきたと考えられる。
つまり、戦後の日米関係における密約とは、日米同盟の現実的な運用と、国内向けに掲げられた原則との矛盾を埋めるための仕組みであった、とまとめることができる。