生湯葉シホの作品一覧
「生湯葉シホ」の「はじめてたこ焼きを食べた日のこと」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「生湯葉シホ」の「はじめてたこ焼きを食べた日のこと」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
30代になって、昔よりかっこつけずに初めてを楽しめるようになってきた気がする。いや、まだ多少かっこつけたい気分になっちゃうときはあるけど。
20代はもっと知らないことを恐れて、恥じて、強がってた。けど、30代になって、まだまだ未熟であると認められるようになって。もしくはまだ未熟でありたいと願ってるのかもしれないけど。初めてをより純粋な気持ちで楽しめるようになってきた。知らないことや弱さを、まずは自分が受け止められるようになってきた気もする。
まだまだ知らないことばかり、食べたことのない物ばかり、行ったことのないところばかり。堂々と初心者マークをつけてチャレンジしつづけたい。
Posted by ブクログ
インタビュアであり、エッセイストでもある生湯葉シホさんがコロナ禍から昨年まで約5年間連載してきたエッセイをまとめたもの(一部書き下ろし含む)。
生湯葉さんが出演するトークイベントを聴きに行くことにしたので、事前に読んでおこうと思い購入。
事前の知識なしに読み始めたのだが、なんだろうこの感覚は?
引き込まれるというか、生湯葉さんの視点と、それを言葉にして伝える感覚が新鮮だ。
エッセイなので言葉で伝える必要があるのは当たり前だが、エッセイというのは、「これがエッセイ」、「こういうものはエッセイ」という定義が明確ではないので、なんか長々と綴られた文章を読まされて、そこそこに面白く感じる文章なのだが、なんか言葉遊びをしているだけで、心に引っかかってくるものがない「エッセイ」と違う。
別に戦争についてとか、死についてとか、重苦しい話をしている訳ではないのだが、生湯葉さんの言葉で語られたものが、ちょっとこっちの心に響いてくる。
収録されているエッセイの中に、コロナ禍の緊急事態宣言の最中、飲食店が軒並み閉店や時短営業を迫られた時に、客などほとんど来ないのに遅くまで店を開けていた店主と、生湯葉さんの会話が出てくる。
その内容の詳細は是非作品を読んで頂きたいのだが、そこでのやり取り、生湯葉さんが取り上げている事は、一言で表せば「閉塞感」ということになる。
コロナ禍で外出や会話も制限された中で生まれた閉塞感というものは、今も尾を引いているものはあるかもしれないが、あの時の世の中の雰囲気は独特だった。
それは「閉塞感」とまとめられてしまうけれど、その言葉に置き換えた瞬間に、あの時、あの世の中で皆が感じていたものはほとんど共有されなくなる気がする。「閉塞感」という言葉の意味の捉え方は人それぞれ違う。だから「閉塞感」を説明するのに「閉塞感」という言葉は使えないのだ。
それを少し視点をずらして、居酒屋の店主との会話の中で、店主の感じていること、なぜ客の来ない店を開けておくのかという理由、それを読んだ時に、あのコロナ禍の閉塞感というものがありありと立ち上がってくる。そんな感覚にとらわれた。
いや、そういう作品を読めるというだけで、この一冊は買う価値がある。読む価値があると思う。
Posted by ブクログ
【あらすじ】
『音を立ててゆで卵を割れなかった』の著者、待望の第二作!
何もかも恐ろしかった幼少期、
苦手なものが多すぎる思春期だった。
30代の今、はじめてのことにも飛び込める、楽しめる。
出会いに導かれ、新しい自分を見つけていく日々の記録。
繊細さと大胆さが交錯する珠玉のエッセイ31篇。
未来の自分のために文章を書きはじめた。
どこにでも行けるという感覚がいつか自分から失われたとしても、
なにかをはじめて感じたときの体が透けるような気持ちを
私が思い出せるように。
(「まえがき」より)
『自分にはまだ自分の知らない面がいくらでもあるし、行きたくなればたぶんどこにでも行ってしまえる。きれいごとだと思っていたそんな考えが急に実感の重みをともなって胸を打ち、私はすこし緊張した。』
『他人の誕生日や記念日を祝うのは好きで、張り切って贈りものなんて用意してしまうタィプのくせに、自分で自分になにかを贈るとか、よく頑張ったと評価するとか、そういうことがずっとうまくできない。』
『「自己肯定という言葉は『自分を常に好きでいる」という意味で使われることが多いけれど、私はどちらかというと『自分の現状のサイズ感を過剰に否定しないこと』だと思うんですよ」と言われたことがあって、その言葉がずっと頭に残っていた。考えてみれば、自分を祝ったりねぎらったりすることは、いまの自分の身の丈を知り、それを受け入れることにほかならない。私はずっとそれが怖かったのかと思った。』
『自分の感じていることを言葉にするたびに、文字という釘を使ってまだやわらかい自分の輪郭の上にイメージを固定しているような安心と快感があった。あれはあれで必要な時間だった。けれどそのぶん、私は人生のかなり早いタイミングのうちに、あまりに多くのことを「自分にはできないこと」に分類しすぎてしまったといまになって思う。』
『身近に病気を抱えている人や障害のある人がいたら、その人たちのことについて考える機会が一日でもあったなら、その姿を「可哀想」と言い放つことがどれほど相手を傷つけるか知っているだろうから。その日の帰り道、私は理不尽に傷つけられた分いじわるな気持ちになって、あなたはどうぞそのまま健やかに年老いて、だれの気持ちもわからないまま周りから蛇蜴のごとく嫌われてくださいね、と静かに祈った。』
『知らない大人からとつぜん拳骨を食らうような怒られかたをした記憶はほとんどないのだけれど、それはちがうよ、と大人にやさしく言われるのが怖くてしかたなかった。あまりに軟弱で自分でも笑ってしまうのだが、人前でなにかを間違えたり否定されたりすることがあると、頭のてっぺんから足の指先までが一瞬でサッと冷たくなり、蜃気楼を見ているみたいに視界がぼやけた。』
『入試の結果に関わらず、その先にはどうしたってつづいていく未来があって、そこで出会う人やものと結んでいく関係のほうが結局ははるかに自分の人生になるから、あまり気負わず行っておいでね。』
→大学入試を経験して、自分も今はこう思えるけど高校生の頃はこの言葉を言われても、今の自分の見えている世界がすべてで響かなかっただろうと思う。
『あまりにも当然のように成長や変化を要求してくるこの社会においては、その場に留まり続けている人間として存在することもひとつの抵抗であると言いつづけなくてはいけない気がした。それに私は、そういう人にしか見えない景色や歌えない歌や書けない言葉もあるということをたしかに知っているし。』
【個人的な感想】
1作目の、音を立ててゆで卵を割れなかったが良過ぎて、期待し過ぎていたこともあり評価は低め。