【あらすじ】
『音を立ててゆで卵を割れなかった』の著者、待望の第二作!
何もかも恐ろしかった幼少期、
苦手なものが多すぎる思春期だった。
30代の今、はじめてのことにも飛び込める、楽しめる。
出会いに導かれ、新しい自分を見つけていく日々の記録。
繊細さと大胆さが交錯する珠玉のエッセイ31篇。
未来の自分のために文章を書きはじめた。
どこにでも行けるという感覚がいつか自分から失われたとしても、
なにかをはじめて感じたときの体が透けるような気持ちを
私が思い出せるように。
(「まえがき」より)
『自分にはまだ自分の知らない面がいくらでもあるし、行きたくなればたぶんどこにでも行ってしまえる。きれいごとだと思っていたそんな考えが急に実感の重みをともなって胸を打ち、私はすこし緊張した。』
『他人の誕生日や記念日を祝うのは好きで、張り切って贈りものなんて用意してしまうタィプのくせに、自分で自分になにかを贈るとか、よく頑張ったと評価するとか、そういうことがずっとうまくできない。』
『「自己肯定という言葉は『自分を常に好きでいる」という意味で使われることが多いけれど、私はどちらかというと『自分の現状のサイズ感を過剰に否定しないこと』だと思うんですよ」と言われたことがあって、その言葉がずっと頭に残っていた。考えてみれば、自分を祝ったりねぎらったりすることは、いまの自分の身の丈を知り、それを受け入れることにほかならない。私はずっとそれが怖かったのかと思った。』
『自分の感じていることを言葉にするたびに、文字という釘を使ってまだやわらかい自分の輪郭の上にイメージを固定しているような安心と快感があった。あれはあれで必要な時間だった。けれどそのぶん、私は人生のかなり早いタイミングのうちに、あまりに多くのことを「自分にはできないこと」に分類しすぎてしまったといまになって思う。』
『身近に病気を抱えている人や障害のある人がいたら、その人たちのことについて考える機会が一日でもあったなら、その姿を「可哀想」と言い放つことがどれほど相手を傷つけるか知っているだろうから。その日の帰り道、私は理不尽に傷つけられた分いじわるな気持ちになって、あなたはどうぞそのまま健やかに年老いて、だれの気持ちもわからないまま周りから蛇蜴のごとく嫌われてくださいね、と静かに祈った。』
『知らない大人からとつぜん拳骨を食らうような怒られかたをした記憶はほとんどないのだけれど、それはちがうよ、と大人にやさしく言われるのが怖くてしかたなかった。あまりに軟弱で自分でも笑ってしまうのだが、人前でなにかを間違えたり否定されたりすることがあると、頭のてっぺんから足の指先までが一瞬でサッと冷たくなり、蜃気楼を見ているみたいに視界がぼやけた。』
『入試の結果に関わらず、その先にはどうしたってつづいていく未来があって、そこで出会う人やものと結んでいく関係のほうが結局ははるかに自分の人生になるから、あまり気負わず行っておいでね。』
→大学入試を経験して、自分も今はこう思えるけど高校生の頃はこの言葉を言われても、今の自分の見えている世界がすべてで響かなかっただろうと思う。
『あまりにも当然のように成長や変化を要求してくるこの社会においては、その場に留まり続けている人間として存在することもひとつの抵抗であると言いつづけなくてはいけない気がした。それに私は、そういう人にしか見えない景色や歌えない歌や書けない言葉もあるということをたしかに知っているし。』
【個人的な感想】
1作目の、音を立ててゆで卵を割れなかったが良過ぎて、期待し過ぎていたこともあり評価は低め。