想像以上に重厚な一冊だった。
予想とはちょっと切り口が違っていて、考えさせる気持ちと、肩透かしを食らった気持ちの両方がある。
まずAI×哲学と聞いて私が想定していたのは、AIによって人としてのアイデンティティ、生きる上で意味づけ、働く動機付けなどが、失われたり希薄化したりすることに対する考察だった。
AIが進展すれば映画『Her』で描かれるようにAIを本気で愛す人がやがて生じる。
高度なAIと連携するセックスロボットのようなガチなフィジカルAIもやがて普及する。
そんな世の中になると、自分を肯定してくれるばかりのAIに慣れることで生身の人間との関係性が相対的に難しく感じられてくるケースが増えるはずだ。
パートナーの浮気相手がAIだった場合の心の落ち着け方など、人とAIの関係性の中でどう生きるか、という心的な捉え方について論じる内容なども想定していた。
私の想定していたこうした命題は、プロトコルが比較上位層なのだろう。
本書ではAIの歴史や仕組みを説明し、その各時代で各AIテクノロジーを哲学的にどう見てきたか、という点に強く焦点を当てている。それが故に、NW通信でいうところの低レイヤーな問いが多い。
そのため私の想定していたような、汎化したAIと人々との関係性における哲学的問いに関わりがある部分と出逢うのは、本書では10章以降まで読み進めてからだった。
人間と見まがうようなAIが登場し、普及した昨今では、チューリングテストで80点クラスに当たるようなAIが存在するのはもはや与件であって、With AI的観点からマクロな哲学とやり合う必要が生じている。
Webアプリ作成を行う上位レイヤーに特化したエンジニアであっても、メモリ管理、ネットワーク管理、CPU稼働率、ストレージ容量などは考慮しておかなきゃいけないわけで、低レイヤーを意識して物事を考えることの意義は大きい。
そうした意味で、本書は通っておく価値は大きいが、やや専門的に過ぎるきらいはある。
哲学者というのは生来、偏執的に物事を突き詰めて考え続ける習性があるので、重箱の隅を突いたり、同じテーマを多面的にしつこく考えたりするもので、ある意味こうした具体的な各テクノロジーごとに哲学的問いが生じていたのは納得ではある。
哲学的問いというのは人が生きる意味に直結するため、「考えないわけにはいかない」のだろう。
複雑な構造を解き明かそうとする気持ちはテクノロジーにも哲学にも共通する。いずれも真理を追い求める気持ちだ。沼るのは自然な成り行きである。
これまでは開発者や哲学者がこの課題に挑んできた。
しかし今後はAIと触れる我々世間一般の人が、そしてAIが組み込まれたサービスやプロダクトを使用するほぼすべての人が否応なく考える段階に来ている。
そうした世の中では、きっと「AI×哲学」の応用版、発展版の内容はもっと一般向けに姿を変えるに違いない。