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「にのみやさをり」の「性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うなかれ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「にのみやさをり」の「性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うなかれ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
SNSで見かけて気になったので読みました。
過去に性暴力の加害経験がある男性たちと、何度も性被害に遭った経験を持つにのみやさをりさんが、対面での対話と往復書簡を通して、今まであまり語られることがなかった加害者側の思考パターンや認知の歪み、また対話によって見えてきたものをまとめた一冊。
価値観の変容やSNSの発展によって、今まで見過ごされていた(なかったことにされていた)性加害問題がようやく取り上げられるようになり、被害者の近しい人物や教師など、また有名人の性加害報道を目にしていく中で、自分にとっても見過ごせない問題なので、何冊か被害者側からの視点やその後のケアに関する本を読んだことはありますが、加害者側の思考について掘り下げられたものは初めて読みました。
それはやはり何よりも優先して、被害に遭われた方の痛みや想いに寄り添わなければならないからだし(この本を読んだ後もそれは揺るがない)、加害者の思考や抱えているものなんて到底取り扱いたくないし、性欲を持て余した歪んだ人間であると決めつけているからだ。
しかしそれはある種、性加害問題の大きな一部について目を瞑ってしまうことであるし、今現在痛みを抱えている方の声をもっと拾うためにも、また新たな被害を生まないような社会にするためにも必要であると思わされました。
だからこそ当事者でない者がこれを読むことが重要であり(当事者が読むのはかなり負担があると思います)、自分自身の内面に加害性の小さな種のようなものが存在していないか日々確認するためにも、その手がかりとして読めて良かったです。
加害者の生い立ちにおいて、過去に親や上司からモノとして扱われた経験があり、それが人間的な歪みとなって自分よりも弱い立場の人をモノ扱いすることで自分の優位性を取り戻したいという点において、人間として扱われないことの辛さから壁を作ることは自分と重なるところもあって理解ができました。
しかし、周囲は自分を持て囃してくれるのが当たり前であると思い込んでおり、社会に出ると誰も自分を持て囃してくれず、その歪んだ承認欲求が満たされず勝手に恨みを募らせていくのは、周りからしてみるとたまったものじゃないと思った。
さらに女性をどう捉えているかについての項目はその歪みは大きくなっており、しかしこう考えている男性は実生活の近い場所にかなりの割合でいるよなと辟易させられた。
やはり自分の内面を見つめられず、問題や悪い部分から逃げてしまうのが大きな原因だと思った。
加害者は他責思考に染まっており、加害をしても「肌を露出しているのは自分を誘っていたから」と被害者のせいにしたり、アイツの加害より身体に触れていない自分のケースの方がまだマシと、自分を傷つかないように防御することと内面から逃げるクセがついている。被害者に謝罪したいと願うときも、謝罪をすることで自分が楽になりたいからだ。どこまでいっても主観でしか物事を捉えられず、想像力や他者への思いやりがなくて自分の内面に目を向けない。
自分の心の問題点を他人のせいにするのではなく、歪みが歪みであると認知することによって、ようやくその部分を直すため考え始めることができる。
そして重要であるのは「加害者に時効はあるが、被害者には時効がない」ことである。
加害者は捕まったとしても、刑期を終えればあの時の加害行為が許されて(そう思い込んで)、社会復帰に向けて歩んでいく。被害者の想いを無視した自分のためだけの時間が再び動き出すのだ。
しかし加害者にとってその加害行為が一瞬だったとしても、被害者にとっては一瞬ではなく長く続き、今も自分を苛み苦しめている最中であり、ひっくり返された人生と木っ端微塵にされた尊厳を取り戻すために必死であるから、今も被害の真っ只中にいるのだ。
被害の前の自分の状態に戻れないと受け止めるのでさえも相当辛く、せめて自分の一部が被害であると思えるようになるまでにも本人の頑張りと周囲の理解・助けを要する。長い時間が必要なため、そこまで辿り着けない人もいる。
だからこそ人間そのものを木っ端微塵にしてしまう加害行為を我々は忌み嫌うべきであり、加害者は許されないし、その十字架を一生背負うべきなのだ。
にのみやさんは加害者と「ヒト」として向き合うことに拘り続けた。
対話や手紙のやり取りを続けていくうちに、加害者たちは自分たちの想いや考えが人間として大切に扱われていることが分かり、それを受けて内面の認知の歪みや危険な思考パターンについて認識・回避できるような方向へと進んでいく。
責任を取ることから逃げて「自分は加害者だから仕方ない」と壁を作って閉じようとしたときも、それを許さず人間として世界とどう繋がっていけばよいのかを考え続けることを促した。
自分自身が辛い目に遭いながらも、加害者と「ヒト」として向き合うことに拘り続けたにのみやさんを心から尊敬します。
性加害の問題について考える、また男性の危険な思考パターンを知る上でも多くの方(特に男性)に手に取ってほしい一冊です。
Posted by ブクログ
読みすすめている最中にエプスタインやマンガワンのことがあり、しんどくて読むのを中断していた。
性暴力被害者のにのみやさんと性暴力の加害者の人たちの手紙のやりとりを収録しつつ、被害者は被害を受けたあと、どんな生活を送るのか、なぜ加害者は加害をしたのか。
様々なアディクション臨床に携わる斎藤章住氏が記録し、探っていく。
加害者が他者をモノ化して加害するのは、性欲ではない、支配欲だけでもなく、承認欲求が関わっているのではないか、また承認欲求がゆがんでしまうのは社会から(親や身近な人たちから)男という役割を押しつけられ、押し込められるからではないか。
女性から拒絶(受け入れてもらえず、承認されない)されると、より弱い存在でああるこどもへその承認欲求が向かい、子どもなら受け入れてもらえるとゆがんだ認知をしてしまうためではないかと書かれていた
この社会で最も弱い存在である子どもへ加害してしまうほど、自身の欲求や認知をゆがませてしまう、そう差し向ける社会なんてもう終わりにしないか?と言いたくなる
「おわりに」でにのみやさんの書いていた言葉がまさにそうで、なぜ加害者と対話をするのかと聞かれてたにのみやさんが”怒りや憎しみを連鎖させてはならない”と言っているのを見て、私もそういう気持ちがあることに気づいた
私が男性学の本や差別する側、抑圧を仕向ける側のことを知りたいと思うのはにのみやさんと同じく、ここで断ち切りたいと願っているからだと気づいた
問題を提起する本やエンタメはそれなりに作られている。エンパワメントを促すものも。
じゃあ加害する側、抑圧する側がどうすればいいのか、自身の何に向き合えばいいのかとう取り組みは少ないように思えるし、またそれについて書かれたり、作られたりしたものも少ないように感じる
私はこういう本やフィクションがもっと作られてほしいと思う
またこの本には性暴力の加害者の言葉がかなり出てくる。「はじめに」のところでトリガーワーニングも明記されているが、読む際には充分自身の心身のことを鑑みて読み進めてほしい
Posted by ブクログ
著者は性加害の加害者臨床に携わる人物で、依存という視点から加害当事者の更生に取り組んでいる。
実際の性被害者と、著者が臨床場面で携わっている加害者たちとの対話を通して、被害者だけでなく加害者も、自分の人生を取り戻そうとする取り組みを著したものが本作である。
私自身、職業柄加害者被害者どちらにも出会う機会があり、何が正解か、どこへ向かっていくことが必要なのか、その事実が起きた背景にある課題がひとつではないからこそ、とても悩ましく思うことがよくある。
その回答のひとつが、対話によるそれぞれの理解ということになるのだろうが、まあ、こんな簡単な言葉で済ませられるような話でもないことは明らかで。
でもひとつ、ああそうだよねと思ったのが、本書の中で言及されている「グッドライフモデル」の考え方。依存行為自体が自己治療であるという捉え方で言えば、そこには治療が必要な傷みや不全、課題があるわけで、それを取り除くことが被害者の苦しみや加害によってしか自分を癒せなかった加害者の歪んだ自己治療から離れることができる。
被害者はもちろん、加害者も自分の幸せのためにどうすべきかを考えることが、彼らには必要なことなんだなと。
単なる贖罪に留まらず、その先へ進もうとすることこそが、彼らを救う唯一の方法なのかもしれない。
そうは言っても、そのためには時間と手間ひまをかけて、じっくり彼らのこれまでを紐解く必要があり、何より彼ら自身に、自分と真正面から向き合おうとする強い思いがなければ、それは実現できない。そこに持っていくことがそもそも難しい。だからこそ悩ましい。
Posted by ブクログ
修復的対話という新しい形式で、加害者と被害者が向き合う場を作ることで新たに見えてくることが多い。
にのみや氏が対話に集まった参加者への感謝を述べた場面から始まり、とりわけ「心の殺人」と称されながらも、非当事者には見えにくい被害者のその後を自己犠牲的に語ることが、教科書的な反省の弁すら跳ね除けて真の贖罪を加害者に突きつける。
被害者同士で寄り添うために声をあげることですら、多大な勇気が必要とされることであろうに、生涯にわたる深い傷を被ったにのみや氏が、それを背負いながら日常生活を営む傍らでこのような活動に勤しんでいるという事実にはひたすら感嘆するばかり。