解説で翻訳者中村研一が当該原書が刊行された当時(1942年)のことを書いている。
清水幾太郎は「私とカーとの結びつき(といっても私の片思い)は、戦争中それも東京の大空襲が始まる頃、彼の『平和の条件』をコッソリ手に入れてコッソリ読んで、非常な衝撃を受けることに始まります」。
・・・・驚くべきことに、戦時下の日本で本書の海賊版が出回っていた。宇品の陸軍船舶司令部で軍務についていた丸山真男は、その一冊を’45.4の広島で発見し、「これによって受けた感銘は船舶司令部に起居した半年の間のさまざまの思い出、その間に起こった世界史的な事件の生々しい記憶と共に永く私の脳裏から消え去る事はないであろう 昭和20年9月」
大戦末期に日本で海賊版の形で出回ったユートピアの書は、闇に差し込む一条の光として熟読され、丸山の心に深く刻印されたのである、と。
1962年清水幾太郎は彼の『歴史とは何か』(岩波新書)を翻訳し出版している。
当該『平和の条件』は英国の歴史家・国際政治学者・外交官であったE・H・カーが第二次大戦下の1942年に、戦後のヨーロッパを見据えた展望を構想したものである。それは1919年の第一次大戦の戦後処理の失敗を教訓として、現大戦の戦後構想をこそ入念に計画し、「動員を解除せず戦争と革命を継続し、過去を根こそぎにする覚悟」で熟慮する問題意識で執筆した。
戦争と革命、民主主義の危機、民族・国家・ナショナリズム、古典派経済学の危機、根本問題である道徳の危機等々の論考である。
「過去二百年間を特徴付けた抽象的観念体系、すなわち、進歩は無限であるとか、道徳は利益と一致するとか、社会は人間間や民族間の自然で普遍的な利益の調和に立脚しているという観念体系を我々の意識化された思想は拒絶し始めた。」
それぞれが、イギリスを中心とするドイツやロシアそしてアメリカとの関係でヨーロッパや国際政治のなかでどのように作用したのか、その法則(?)のようなものを歴史分析に沿って深く洞察する。
読みながら、鮮やかな論理建てに共感し鳥肌が立つ。
特に現在進行中のロシアのウクライナ侵略戦争の要因が想起されるくだりは納得である。
エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』は現象的アプローチで衝撃的だったが、彼の思考は国際政治の歴史を貫く本質論なので普遍性がある。
当事国で二度の大戦を体験した識者が絶望の淵から未来を構想した渾身の大作である。
本作は2025年4月15日第1刷発行で、80年以上も前の原作を今このタイミングで翻訳・出版する関係者の見識に頭が下がる。