元音楽プロデューサーで、現在はバークリー音楽大学教授のスーザン・ロジャースと、神経科学者であるオギ・オーガスとの共著。
本書では、「音楽の好みがわかる七つの要素」として、以下のものを挙げている。
1.本物らしさ
2.リアリズム
3.斬新さ
4.メロディ
5.歌詞
6.リズム
7.音色
7項目のうち、1~3は二項対立である。4~7はいくつもの異なる軸から成り立っており、二項対立ではない。
このうち、本物らしさ(オーセンティシティ)だけは解せない。説明に一貫性がないからだ。
オーセンティシティとは、音楽の演奏において表される感情が心からのものであり、作為的ではないという主観的革新のことだ。(p28)
ここで取り上げられている音楽は、父親に音楽を強制された姉妹グループ「シャッグス(The Shaggs)」と、ヨハン・ゼバスティアン・バッハだ。対立するキーワードは、「ナイーブ音楽と知的音楽」=「首から下の音楽と首から上の音楽」である。
ナイーブアートとは、正規の訓練を受けていない人や、演奏ルール・音楽理論に毒されていない人によるアートとのことである。ナイーブ音楽の対極に位置するのが知的音楽だ。
シャッグスは音楽教育を受けておらず、世間とも隔離されていた。だからナイーブ音楽の極致にあるという。ナイーブ音楽の対極に位置する知的音楽の代表はバッハだとのこと。ここまでは納得がいく。混乱を生むのはここからだ。
少々長いが、2か所を引用しよう。
バッハの音楽もシャッグスの音楽と同じく本物だ。ただ、シャッグスの音楽と違って、バッハの音楽は音楽理論 (中略) を用いて組み立てられている。"知的音楽をトミー・ジョーダンは「首から上の音楽」と読んでいる。 (中略) バッハのような真のマエストロであれば、正規の規則体系を用いてめくるめく様々な感情を喚起できるが、それほど有能ではない音楽家が同じ規則体系を用いて作り出す音楽は、生硬か自意識過剰、もしくは魂がこもっていないように聞こえる。(p31)
私は"首から下"の感じがはっきりある音楽を強く好むが、共著者のオギを含めて多くの人がとくに好きなのが"首から上"のオーセンティシティだ。オギも好む、バッハによる「マニフィカト ニ長調」(BWV243)として知られる作品を、一分ほどでいいから聴いてみてほしい。その中でバッハが表現している感情こそ、オギの心を躍らせる超越的な歓喜である。バッハによるこの感情面の結びつきは、音程のバランスが完璧にとれている五声対位法からもたらされたものだ。正式な音楽の技法を知らない聴き手でも、この作品が自分の魂と直接心を通わせているのが感じられるだろう。(p32)
このあたりは、注意深く読まないと、バッハの音楽は「首から上の音楽」だと思ってしまいかねない。バッハをよく知る人なら、バッハは、首から上の音楽=心でなく頭で作ったような音楽とは、正反対に位置する音楽家だと認識しているはずだ。
誤解を招くような記述はあるものの、著者の意図を汲んでまとめると、次のようになるのではないか。
バッハの音楽は、「本物らしさ」があり、「知的音楽」である。「知的音楽」は「首から上の音楽」である。バッハのような真のマエストロ以外の「首から上の音楽」は「心でなく頭で作ったような音楽に聴こえかねない」。
つまり、バッハは「本物らしさ」の二項対立では説明できない例外に当たる。それにも関わらず、シャッグスとバッハを対極として取り上げたところに問題がある。シャッグスに対して、取り上げるべきだったのは、心でなく頭で作った音楽家だったのだ。
音楽の分類の仕方は色々とあるが、「芸術音楽と娯楽音楽」に分類した場合、本書で取り上げているのは娯楽音楽である。前述したとおり、第1章ではバッハが取り上げられているが、クラシック音楽の作曲家でほかに名前が出てくるのはラヴェルくらいである。
私は、古今東西を問わず、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきた。クラシック音楽、ジャズ、ロック(HR/HM、パンク、プログレ等、含む)、ポップ、ソウル、R&B、ラップ、EDM、ニューエンジ、民族音楽...その他色々。もちろん、知らない曲も取り上げられていたので、そういう曲はその都度ネットで調べて聴いて読んだ。紹介されている曲を思い浮かべながら読むのが理想だが、熱心な音楽ファンなら、聴かなくても本書で言わんとしてることは大体わかるだろう。
本書を読んでも、自分の音楽の好みが理解できるようになるわけではない。音色(おんしょく)の好み一つとってみても、軸は複数あり、複雑だからだ。
本書で挙げられている各要素を用いて、好きな音楽と、そうではない音楽について、考えるきっかけにはなる。それこそが、著者の意図していたことでもある。
余談だが、音楽も含め、自分の好みを知るには、『好き嫌い―行動科学最大の謎―』 (文庫版改題:『ハマりたがる脳―「好き」の科学―』)(トム・ヴァンダービルト/著)(早川書房、2018、2020年)の方が参考になる。そこでは、音楽配信から得られたビッグデータから「多様性、発見、なじみ深さ」がキーワードとして挙げられている。