本書がどのような本なのかという事については、文を書いたケイト・ホッジスの「はじめに」が分かりやすく、『人間と自然の辞書』とも呼べる、このテーマで集められた言葉を知ることによって、知られざる自然の素晴らしさや自然との関わりに於けるある瞬間に感じた細やかな思いについて、人間が言葉に表すことで未来永劫残しておきたいという、非常に強い気持ちが宿っているのだということを実感すると共に、それらの言葉からは、そこで暮らす人々や国の文化や歴史、生活風景等を知ることもできることから、言葉を知ることが世界を知ることへと繋がっていくことが、更にはホッジスも書いてあるように、『人間による自然破壊に対する言語世界での盾、つまり自省にもなる』ことへと繋がっていくのだと思う。
私が本書を読んで改めて痛感したことは、日本語だけに慣れ親しんでいると、世界各地によって、一つの事象に対してこんなにも細かく言葉を使い分けていることを、これまで全く知らなかったことであり、例えば、ロシアには雪を表す言葉が少なくとも100ほどあって(その多くは地方の方言)、そうした細やかさには、彼らが雪に対してどのような思いや敬意を抱いているのかも垣間見えてきて、それは「ポローシャ」の、『風のない、どこまでも静かな夜に音もなく降り積もった無垢の雪の上に、鳥や動物の足跡だけが残っているようなイメージ』や、「カペーリ(雪解けの雫)」の、雪解けが始まる合図に『緑が萌え、陽光の差す春の日々がもうすぐそこまで訪れているという前向きな気持ちを含んでいる』のように、そこには細やかさだけではなく、一つの言葉からこんなにもイメージが広がっていくのだといった気付きも促せてくれる。
また、サンスクリット語には銀河を呼ぶ名前が10個もあるそうで、そこには彼らが抱くガンジス川への敬意も共に実感できるような言葉の存在を知ることによって(アーカーシュ ガンガー)、彼らの自然との向き合い方や思いも見えてきそう。
そうした自然との向き合い方には、国それぞれの個性も見えてきて、それはどちらも自然から癒される意味合いを持ちながら、オランダ語の「アウトワーイエン」には『吹き飛ばす』という意味の言葉から、『外に飛び出して強い風に吹かれて、新鮮な空気を吸い込めば、心も体も清々しさを取り戻せる』イメージがあり、ノルウェー語の「フリールフツリーヴ」には『野外での暮らし』という意味から、『実際に何かをやるということよりも、リラックスしたスタイルで過ごすことが自然を楽しむ一番よい方法』というイメージがあってと、それぞれに癒し方が異なってくることからも分かる。
それから、言葉自体に込められた真摯な思いにハッとさせられたものには、直訳すると『空っぽの手のひら』の意味がある、アラビア語の「グルファ」があり、その言葉に『手のひらにすくえる量の水』という意味も持たせた、その背景には厳しく乾燥した砂漠で暮らしを営む人にしか分からないものや、そこで暮らす人達にとって、水の恵みとは一体どれ程のものなのであろうかということを想像させられるようで、そこには言葉が誕生して、後世へと伝え続けられることの意義というものは確かにあるのだなということを実感させてくれて、それはフィンランド語の「リエコ」に込められた、長い間そこに住む人達の精神的支えとなった木も、やがては倒れ、湖や沼地の底に沈んでいく姿に敬意を表した気持ちも同様なのではないかと思う。
しかし、そんな素晴らしい思いを残しては伝え続ける言葉も、オーストラリア領北部に住む、ひと握りの高齢者だけが話すものとして残る「ワギマン語」のように、消滅の危機に瀕しているものがあることには驚き、あと数十年以内に絶滅すると言われていることを悲劇と記したホッジスの思いに心を打たれながら、本書に掲載された「ムルマ」に宿る『足だけを使って水の中で何かを探すこと』には、私と暮らす世界こそ異なるものの、それがどんな様子なのか想像してみると、彼らの自然との関わりや生活風景を思い起こさせるような気がしながら、水の中で何かにふれるという原初的な自然とのふれあいも確かにあるのだということを思い出させてくれた。
また、そんな絶滅の危機に瀕するものとは対照的に、新言語を作るという斬新な発想を元に誕生した、アイスランド語の「ホッピーポットラ」は、その国のオルタナロックバンド「シガー・ロス」が作り出した合成語であり、その意味合いとして『歩きながら楽しく(水たまりを)飛び跳ねる』といった無垢な行動に見られる野生味は、実際の彼らの同曲に於ける自然から生み出された厳粛さと癒しとが同居したようなビートからも感じられる。
そして、ホッジスが取り上げた日本語には、「桜梅桃李」、「もののあはれ」、「木漏れ日」があり、外国人から見た日本語の見方や捉え方を知ることで、日本人であることに誇りを感じつつ、新たな日本語の素晴らしさや魅力にも気付かされて、特に「木漏れ日」という言葉には、その瞬間瞬間にしか見られない、美しくも儚く移り変わってゆく、自然が起こす魔法の奇跡とも思えるような印象に、改めて、こうした思いを言葉にしてくれた人には感謝したい気持ちが湧き起こる。
そんな素敵な言葉たちから、更に美しい想像力を引き起こしてくれる絵を描いたのは、マカオ生まれのイラストレーター「ヤン・シオ・マーン」であり、そこに派手さはなくとも、じっと見ていると徐々に込み上げてくるものがあった、目にも優しい穏やかな色合いと程良い掠れ具合が心地好い版画は、まさに自然の持つ細やかな繊細さを表しているようで、とても癒される。