以降ネタバレというか解釈しか書いてません。自分で考えたい人は読まないでください。
テンマに「最後の風景」が見えるのは、ヨハンもテンマも人間の命に優劣はないと、心の底から信じているからです。
だからヨハンは誰でも殺せるし、テンマは誰であっても救います。そこに相手を選別する好き嫌いはありません。
殺す
...続きを読むのか救うのかの違いだけです。
だからヨハンにとってテンマは同じ風景が見える人。
それはアリの行列を眺めるテンマの姿からも、作中で暗示されています。
人間社会は人種や階級、職業、外見、ありとあらゆる差異と評価によって成り立っているのですが、2人はそのルールから外れた人間(外れる素因を持つ人間)という意味で同等なのです。
荒野で対峙する2人の絵がそれを象徴しています。対峙する絵はニナの場合もそうですが、入れ替え可能を意味するようです。
テンマが日本社会や病院の権力争いに馴染めなかったのもこの素因が理由でしょう。
人間であるからにはルール=人間の脳が作り出した幻想に生きるしかないのですが、「見えない」ロベルトのように、普通の人間はそれに気づきさえしません。
社会という幻想に生きることを自覚できる人間、「アリの行列を眺める」目を持っているのは、おそらくヨハン、テンマ、ニナの3人だけです。
彼らは同じ種類の孤独を持っているので、ヨハンやニナだけでなく、テンマの自己救済も物語には含まれることになります。
病院のシーンでヨハンが語る最後の記憶。
ボナパルトのことを怪物と呼びます。それまではヨハンが怪物だったのに。
この時のヨハンは、怪物におびえる子供です。最も深く傷ついた記憶だったのでしょう。
テンマに本当の名前を伝えられたこと、本当の記憶と感情が蘇ったこと。
これらの条件から、最後の空になったベッドの意味は「なまえのないかいぶつは消えた」でしょう。
テンマとの交流を通し記憶を明らかにしていくことで、ヨハンの心の救済は成されたと解釈できます。
もしくは単に私たちの目に見えなくなったのかも知れません。名前のない怪物自体が社会という幻想の産物であるなら、最初から存在しなかったのでしょう。