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花を愛した偉人、ジークムントフロイト、クロードモネ
自然に共感機能があるらしい。自分が悲しんでたら自然も悲しみ、自分が喜んでたら自然も喜ぶらしい。自然は人間の最高のパートナーだと思う
ガーデニングは対話とか会話に似てるらしいね。素晴らしいなガーデニングは。
これイギリスでベストセラーになった精神科医の本で、ガーデニングみたいな自然との交流は精神に良いみたいな本なんだけど、すごい良かった。おじいちゃんが、庭仕事が趣味だったじゃん。そのおじいちゃんが自然の少ない東京大田区に住んでた時、ストレスで髪が全部抜けた時期があるらしいの。でも自然が多い家に移動して、趣味を庭仕事(ほぼ毎日やってた)にしたら髪の毛が復活したの。このエピソード思い出した。
園芸療法
スー・スチュアート・スミス(Sue Stuart-Smith)
著名な精神科医、心理療法士。ケンブリッジ大学で英文学の学位を取得し、その後医師となる。国民保健サービス(NHS)に長年勤務し、ハートフォードシャーで心理療法の分野を主導する存在となる。現在はロンドンのタビストック・クリニックで後進を指導しつつ、ドックヘルス・サービスで最高専門医を務める。夫は有名なガーデン・デザイナー、トム・スチュアート・スミスで、2人は30年以上かけてハートフォードシャーに素晴らしいバーン・ガーデンをつくり上げてきた。
和田佐規子(わだ・さきこ):翻訳
岡山県の県央、吉備中央町生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。夫の海外勤務につき合ってドイツ、スイス、米国に、合わせて9年滞在。大学院には、19年のブランクを経て44歳で再入学。専門は比較文学文化(翻訳文学、翻訳論)。現在は首都圏の3大学で、比較文学、翻訳演習、留学生の日本語教育などを担当。翻訳書に『チーズと文明』『ナチスと自然保護──景観美・アウトバーン・森林と狩猟』『宝石──欲望と錯覚の世界史』『大豆と人間の歴史──満州帝国・マーガリン・熱帯雨林破壊から遺伝子組み換えまで』(以上、築地書館)がある。 趣味は内外の料理研究とウォーキング。
私は祖父のユーモアや心の温かさを今も思い出す。子どものころの私の日には、祖父は力が強くて穏やかで寛いでいるように見えた。そんな人間が発する温かさだった。臆病そうではなかったし、自分のトラウマを露わにすることもなかった。何時間も庭や温室の手入れをし、パイプと煙草入れを決して手放さなかった。健康で長寿だったー七十代の終わりに差しかかるまで存命だったーーことと、彼が潜り抜けてきた過酷な捕生活といくらか折り合いをつけることができたのは、庭仕事と農作業の持つ健康回復効果だったのだと、私たちの家族の物語の中では考えられている。
ガーデニングで当時最もわくわくしたのは、今でもそうだが、種から植物を育てることだった。種は何が出てくるのが何のヒントもくれないし、種の大きさは中で眠っている生命を関係がない。マメ科の植物は爆発でもするかのように発芽し成長する。あまり美しくはないが、発芽するとすぐにも強力な活力が感じられる。ニコチアナの種は埃の番のように非常に細かくて、どこに蒔いたかもわからない。何かをしでかしそうな感じはまったくないのに、すごいものみしょうが出てくる。よい香りのタバコの花の大群は言うまでもない。新しい生命が、自分がいた種や実星がとうしているがじっとしていられない気持ちで見に行ってしまう。温室に入って、息を殺し、洗していた生命が存在を始めるところを決して邪発しないように、誰かめたい気持ちだ。
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なぜなら、それをやらなければ、こっちがやられるからだ。したがって、ガーデニングでの活動の多くは攻撃性に満ちている。剪定ばさみを使ったり、野菜畑の土を深くまで起こしたり、大量のナメクジやブヨを殺したり、オヒシバやイラクサを根こそぎにしたりする。こうした作業に全身か霊ごく素朴なやり方で没頭できる。そのわけは、これらがすべて、成長の過程にあるさまざまな破壊行為だからだ。1のような作業をして庭で長い時間を過ごすと、脚は死にそうにつらく感じるけれど、おかしなことに、自分自身に働きかけたかのように、心の中はリフレッシュしているのを感じるはずだ。異物が取り除かれて、同時に新たなエネルギーが加えられて、ガーデニングによるカタルシス効果のようなものだ。
私はガーデニングとはやりとりなのだと思う。私が少し仕事をすると、自然が少し仕事をし、それに私が応えて、そうした繰り返しなのだ。対話と似ていなくもない。ささやき声でもないし、大きな声でもない。話すというのとも遠う。だが、このやりとりは遅れることがあっても、続いている対話なのだ。自分でもわかっているが、私は反応が遅いことが往々にしてあるし、少々控えめだから、植物はいくらか放っておかれても大丈夫なのがいい。もしもしばらく盛間が取れなかったとしても、戻って見た時の植物の策略にはいっそう驚かされる。留守の間にやってきた誰かさんの生業に気づいた時みたいに。
ガーデニングで当時最もわくわくしたのは、今でもそうだが、種から植物を育てることだった。種は何が出てくるのか何のヒントもくれないし、種の大きさは中で眠っている生命と関係がない。マメ科の植物は爆発でもするかのように発芽し成長する。あまり美しくはないが、発芽するとすぐにも強力な活力が感じられる。ニコチアナの種は埃の微粒子のように非常に細かくて、どこに蒔いたかもわからない。何かをしでかしそうな感じはまったくないのに、すごいものみしょうが出てくる。よい香りのタバコの花の大群は言うまでもない。新しい生命が、自分が誘いた種や実困がどうしているかじっとしていられない気持ちで見に行ってしまう。温室に入って、息を殺し、沈黙していた生命が存在を始めるところを決して邪魔しないように、確かめたい気持ちだ。
麺はしっかり守られた物理的な空間であり、精神的な空間のありかを教えてくれる。そして静寂の中で自分自身の考えに耳を澄ませることができる。手を使う作業に没頭すればするほど、自分の内面で自由に感情をより分け、それを死理することができるのだ。最近私は、心を静め、心にのしかかる圧力から自由になるために、庭仕事に向かう。どういうわけか、バケツが雑草でいっぱいになるにつれて、私の頭の中でジャングルのようにからみ合いせめぎ合っていた選えはすっきりと片付いていくのだ。眠っていた考えが浮かび上がってきたり、ほとんど形を取ることのなかった思いが、結合し合って、予想に反して具体化することもある。このような時、ありとあらゆる身体的な活動と並んで、私は自分自身の心のガーデニングをしているように感じる。
この経験を言葉で表現するために自分の有名なパラドックスの一つを組って、「母親のいる場所で一人になること」ができる能力を発達させることが子どもにとっていかに重要かを述べた!150庭仕事をしていると、遊びに没頭している感覚を思い出すことが多い。安全な中庭の中にいるかのような、一人®りになっていいよ、自分の世界に入っていっていいよと言ってくれるタイブの仲間と一緒にいるかのようだ。空想と選びの両方が、心理的な健康に貢献することがしだいに認識されるようになった。また、こうした効果は子ども時代の多わりとともに消えたりはしない。
幼児に食事を与えることは、それだけでは情緒的な絆の形成を誘発するには十分ではない。なぜなら、人間は生物学的に、匂いや手触り、音、喜ばしい感覚などの特異性を通じて愛着を得るように設計されているからだ。場所もまた感情を呼び起こすものであり、自然環境は感覚的な喜びが特別豊かにある。最近私たちのまわりにはスーパーマーケットやショッピングモールといった、特徴も個性も乏しい機能的な場所が増えている。こうした場所は食べ物やその他の便利な物を提供してくれる一方で、このような場所に対して愛情に満ちた絆は築きにくい。事実、多くの場合、人間を回復させる力は少ない。その結果、現代生活の中で場所の概念はますます薄く、背景へと下がってきており、相互作用はあるとしても持続する生きた関係というよりは一時的な性質にとどまることが多い。
茂みの中に「大人立ち入り禁止」の隠れ家をつくることは将来の独立の練習の方法であり、情緒的な役割もある。研究によると、子どもが興奮した時、波立った感情が鎮まるまでの間、本能的に安全な避難場所としてそうした「特別な」場所を利用し、そこで守られていることを実感するのだという。
精神分析学者メラニー・クラインは悼むという行為を主題とした論文の中で次のように述べている。「詩人は私たちに教えている。自然は悲しんでいる人とともに悲しむのだと」。悲嘆という段階から抜け出すために、世界の中に、また自分自身の中に良きものの訪れを感じる心をどのように回復させる必要があるのかについて、さらに述べている。身運な人が亡くなると、自分の一部分が死んでしまうような感覚に陥る。その親しさにしがみついていたくて、感構的な痛みを封しこめてしまう。しかし、同時に疑問が選き上がってくる。また生き生きとした状態に戻れるだろうが。下さな畑の面倒をみたり、植物の世話をしたりする中で、私たちは常に満失と再生に直面する、誕生と退の自然の出イクルを通して、悲しみは命のサイクルの一部であり、悲しむことができない時、冬が私たちを永久につかまえているようなものだと理解し、その悲しみを受け入れられるようになるのだ。
人間は草原の種族で、アフリカのサバンナ地帯に現れた®10。進化の過程で、神経と免疫システムは自然界のさまざまな側面に対応して最もよく機能するようにできている。それには浴びる日光の量、さらされている病原菌の種類、まわりの植物の量、運動の種類などが含まれている。このような項目の重要性は本書を読み進めていただければ明らかになっていくだろうが、植物が自然の中で成長するその方法と人間の成長との間にはつながりがあるというヒルデガルトの直感は正しかったことがわかる。私たちが自分の外側にある自然に働きかける時、私たちは自分の内側にある自然にも働きかけているのだ。自然の世界で生きていることを実感したり、エネルギーをもらったと感じたりするのはなぜだろう。気持ちが静まったとか励まされたとか、庭師が言うのはどうしてか。また、なぜ自然の中で過ごすと人間の本性としてつながりを求める側面が目覚めるのだろう。理由はすべてここにある。
しかし、参加すると、グループの持つ力が自分を一緒に運んでいくということに、グレイスはじきに気がついた。一緒に仕事をするとグループは親密になる。この時、自然環境が重要な役割を果たす。自然の中に一緒にいることで参加者同士つながりやすい。ガーデニングの利点は、心理的、社会的、そして身体的なものが密接に関連しているということなのだ。自分よりも長くグループに参加している他の人がいつでも手を貸してくれると思えるのは、グレイスにとって重要だ。
その中でラッシュは、治療費を支払うために、病院地内で木を切ったり、火を焚いたり、庭を耕したりして働いている精神病患者の回復が最も早いと述べている。