熊本史雄の作品一覧
「熊本史雄」の「外務官僚たちの大東亜共栄圏(新潮選書)」「幣原喜重郎 国際協調の外政家から占領期の首相へ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「熊本史雄」の「外務官僚たちの大東亜共栄圏(新潮選書)」「幣原喜重郎 国際協調の外政家から占領期の首相へ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
なぜ日本が大東亜共栄圏という理想の元無謀な戦争に向かったのか、外務省に流れる思想系譜から紐解いた本。
・日清日露戦争の勝利により日本は満州権益を確保し、これを維持し発展していくことが至上命題となった。
・他方で、対米英協調を模索する方針も取られたが、米英は満州の権益を日本が独占することは許さず、両者の同時追及は困難を極めた。
・両者の両立が困難なポイントをむかえたとき、日本は、自国が中国と「歴史、地理的に特殊な関係がある」として米英の満蒙解放の要求を拒否した。
・さらに、米国との対立が深まり、石油などエネルギーの輸入が止まるとみると、日本は資源を求め東南アジアをも勢力圏に入れようと画策した。
Posted by ブクログ
近代日本を代表する外交官の評伝。戦前外務省の様子も垣間見えた。
幣原外交の内実が小村以来の英米協調・満蒙権益確保(ワシントン体制)に加え、小村譲りの正攻法外交なのは意外であった。外交の王道ではあるが、邪道中の邪道である国民党の革命外交に行動指針として硬直した幣原外交(内政不干渉・英米協調・経済合理主義)は対応できず、亜細亜局(谷・重光)の現実主義的二国間交渉も不首尾に終わった結果、地域主義や「堅実に行き詰る」選択を余儀なくされたという印象は否めない。満洲事変前後での消極的態度も匙を投げていた証拠ではないかと考えていた。陸軍の強硬姿勢(中国の侮日姿勢への反発)が国際社会に認容されていた一線を越え
Posted by ブクログ
本書は、今年没後70年になる幣原喜重郎(1872-1951)の評伝である。副題は「国際協調の外政家から占領期の首相へ」。戦前期の幣原は外交官として活躍し、外相を四度務めた。一度目は加藤高明内閣のとき。加藤が病死して次の若槻礼次郎(第1次)内閣も外相再任で二度目。そしてその後を襲った田中義一内閣が張作霖爆殺事件で倒れた後に成立した濱口雄幸内閣で三度目。その濱口が遭難して第2次若槻内閣でも外相留任で四度目となる。第2次若槻内閣が昭和恐慌の経済失政で崩壊した後は政界から引退し、引き籠もった。しかし、この1932年から45年まで政界の一線から身を引いたことが結果的には良かった。戦時中に日本外交の責任あ
Posted by ブクログ
戦前に外務大臣、戦後に首相の座にも就き、日本の外交に大きく関わった幣原喜重郎氏を外務省記録などをもとに人物像や当時の考えを浮かび上がらせた作品で非常に読み応えがありました。
恥ずかしながら最近まで幣原氏のことは存じ上げておりませんでしたが、基礎知識が貧弱でも読みやすかったです。
幣原氏の判断で誤りだったと思われる箇所は指摘していたりと、幣原氏を正義や悪といった極端な位置づけにして述べられていなかった点も良かったです。
関東軍の暴走がきっかけで満州事変が発生したと言われていますが、外務大臣の座にありながら満州事変の拡大を収めることができなかったり、戦後、首相に任命されGHQとの折衝を重ねながら日