3年前、アウシュビッツの地を踏んだあの時のことをありありと思い出した。壮絶な体験が書かれた一作であるのに、「幸せ」「美しい」という言葉が作品全体に散りばめられていて、エディさんの人柄が現れている。知性と人格、そして人脈がこの人を生かしたんだな。生かしたというか、それがあったから彼は生き延びた。生に貪欲であったことも大きい。人に恵まれ、人に恵み、優しい人柄が滲み出ていて、心が温まる作品だったと同時に、虐殺という歴史をいつまでも忘れず、後世に引き継いでいかなければという思いで溢れた。
p.30 わたしはこの数年間で得た知識全てを大切に思っている。ただ、家族から遠く離れて過ごした時間については一生後悔し続けるだろう。人には銀行の預金以上の価値があるという父の言葉は、真実を言い当てていた。世の中には、お金で買えないもの、はかることができないほど貴重な物がある。一に家族、二に家族、そして最後に来るのも家族だ。
p.36 もし水晶の夜、それぞれの人の数の人が立ち上がった「やめろ!何をしている?一体どうしたんだ?」と声をあげていたら、歴史の流れは変わっていただろう。しかし、誰もそうしなかった。みんな怯えていた。みんな弱かった。その弱さにつけこまれて、憎しみを抱くようになったのだ。
p,42 統一ドイツ帝国初代宰相オットー・フォン・ビスマルクはかつて世界に向けて「ドイツ人に気を付けろ」と警告した。良い指導者が率いれば、ドイツ人は地球上で最も偉大な国民になるが、悪い指導者が率いれば、恐ろしい怪物になる。私たちを迫害した兵士には、常識よりも規律が必要だった。行進しろと言われれば行進し、背後から撃てと言われたら撃つ。正しいかまちがっているかは考えない。ドイツ人は規則に盲従し、その結果殺人者になったのだ。
p.84 いまだに理解できない。一緒に働いていた人たち、一緒に勉強やスポーツをしていた人たちが、どうしてあんな獣になれたのか。ヒトラーはどうやって友人を敵に変え、文明人をゾンビのような人間にさせることができたのか。どうやってあれほどの憎しみを作り出すことができたのか。
p.87 とても辛かった。一緒に仕事をしているユダヤ人には、ドイツ人の私を信用してもらえず、次第に自分の殻に閉じこもることを覚えた。ただ、クルトだけは別だ。私の両親はなくなり、妹が選別で生き残ったかどうかもわからない。昔の生活と幸せだった時期を思い出させてくれるものは、クルト以外になかった。はっきり言って、当時の私にとってくれたとの友情ほど大切なものはなかった。彼がいなければ、両親が殺された後、絶望に負けていただろう。バラックは別だったが、1日の終わりには必ず会い、一緒に歩いて、話をした。ささいなことだが、それだけで私は充分生きていけた。私を大事に思ってくれる誰か、私が大事に思っている誰かが、この世にいるとわかっているだけで良かった。
p.92 今まで学んだの中で最も重要な事はこれだ。「人の営みの中で最も素晴らしいのは、愛されることだ」そこに若い人には、何度でも大声でいいたい。友情がなければ、人間は壊れてしまう。友人とは、生きていることを実感させてくれる人だ。アウシュビッツは悪夢が現実になったような、想像を絶する恐ろしい場所だった。それでも私が生き残れたのは、親友のクルトガいたからだ。もう1日生き延びたら、また彼に会えると思ってたからだ。たった1人でも友人がいれば、世界は新たな意味を持つ。たった1人の友人が、自分の世界の全てになり得る。友人は、分け合った食料や暖かい服や薬よりも、ずっと大切だ。何より心を癒してくれるのは友情だ。友情があれば、不可能も可能になる。
私は心の中でよく父に感謝した。技術は身を助けると断言し、仕事の重要性はいつも強調していた。人は仕事で社会に貢献する。社会が正しく機能するためには、各自がそれぞれの役割を果たすことが重要だ。さらに質はこの世界の基本原則も理解していた。社会と言う機会は必ずしも正しく機能するとは限らない。ドイツ社会という機械は見事に壊れてしまったが、その一部はまだ機能している。私の専門技術がそこで必要とされている限り、私は安全だ。
p.120 私は今でも、人間の体とその能力に畏敬の念を抱いている。精密機械技師として、何年も非常に複雑で精巧な機械を作ってきたが、人体のような機械は作れなかった。人間の体は最高の機械だ。燃料を生命に変え、自己修復でき、必要な事は何でもできる。だから、今の人たちが体をないがしろにするのを見ると心が痛む。タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、有害な薬物を摂取したりして、この素晴らしい機会を台無しにしている。世界最高の機械を破壊しているのだ。無駄遣いも甚だしい。アウシュビッツでは毎日、限界ギリギリまで、さらに極限まで追い込まれた。飢え、殴られ、寒さに凍え、傷つけられた。それでも体は私を動かし続けた。生かしてくれた。それは今、100年以上も生かされ生かしてくれている。なんと素晴らしい機械だろう!
p.131
約束通り、それから毎日、出勤すると機械の中に食べ物が隠されていた。機械の側面に専用の工具を入れる小さなスペースがあり、仕事前にそれを除くとパンや牛で煮たオートミール、ときにはサラミが入っていた。食べ物は大歓迎だったが、その頃被収容者は歩く骸骨だった。消化器は飢えとお粗末の食べ物ですっかり弱り、食べ物をほとんど受け付けなくなっていた。オートミールもそのままでは消化できないので、トイレに行って水を足した。牛乳が濃すぎるし、サラミも食べられなかった。食べたら死んでしまいそうだった。かといって、他の被収容者に譲れば、父の旧友を危険にさらしてしまう。なので機械にかけてすりつぶして捨てた。想像してほしい。ひどく飢えているのに食べられない状況を。しかし、この小さな親切はあなたの力を与えてくれた。あきらめない力を。
p.148 この3人に出会って手を差し伸べたことで、父の言葉を本当の意味で理解することができた。「苦しんでいる人を助けるのは幸運な人の務めだ。受け取るよりも与える方が良い」。世界では常に奇跡が起きている。たとえ絶望的に思える時である。奇跡が見えないときは、自分で起こせば良い。ほんの少しの声ですが、他の人絶望から救い、その人の命を救うかもしれない。それこそが、最高の奇跡だ。
p.158 いろいろな感情がこみ上げて、私は泣いた。妹を辛くなるのが分かっていて、見ようともしなかった。どんなに大きな痛みを、意識下のどんなに深い傷も、忘れることができる。しかし、失ったものは全て、商工目の前に突きつけられた瞬間に甦る。私は亡き母の写真を手にし、愛した人が二度と戻ってこないと言う事実に打ちひしがれた。ここに証拠がある。記憶と牡蠣の詰まった箱がある。ショックだった。その箱は目の届かないところにしまってしまい、長い間見る気になれなかった。
p.160 長男のマイケルを初めてこの手に抱いた時、奇跡が起こった。その瞬間に、私の心は癒され、溢れんばかりの幸福感がよみがえってきたのだ。その日から、自分は世界一幸運な男なのだと気づいた。そして誓った。今日から人生最後の日まで、幸せで、礼儀正しく、人の役に立ち、親切に生きよう。笑顔で生きようと。あの瞬間、私は変わった。私にとって最高の薬は、美しい妻と子供だった。ブリュッセルでの生活は理想的とは言えなかったが、私たちは生きていた。人は今もっているもので幸せになるなろうと務めるべきだ。幸せであれば、人生は素晴らしい。隣の芝生に目を向けてはいけない。隣人を見て嫉妬で不快になっていたが、決して幸せになれない。私たちは裕福ではなかったが、暮らしていくのに不足はなかった。何年も雪の中で飢えていたことを思えば、テーブルの上に食べ物があるだけで素晴らしい。結婚してからは、ベルヴェデール城が見える美しいアパートに住んだ。狭いところだったが、窓からの眺めは最高だ。この眺めがあれば、自分の城は必要ないと言う位の眺めだった。それに、星城に住むだとしても、私は住みたくない。掃除が大変だ!
p.172 私たちは大きな社会の1部であり、すべての人が自由に安全に生きられるように尽力すべきだと言う事を、私は幼い頃に教わった。病院に行って自分が作った機器を見ると、日々の生活をより良くするために使われているのかなと分かり、とても幸せな気持ちになる気分になる。それはどんな仕事にも言える。あなたは教師だろうか?なら、毎日若い人たちの人生を豊かにしている。あなたはシェフだろうか?なら、食事を作るたび、世界に大きな喜びをもたらしている。もしかしたら、自分の仕事が好きでは無いかもしれないし、気難しい人と仕事をしているかもしれない。 それでもあなたは、大切なことをしている。私たちが住むこの世界に、ささやかかもしれないが、あなたの1部が貢献している。これを忘れてはいけない。今日のあなたの努力は、あなたが出会うことのない人たちにも影響与えている。良い影響与えるか、悪い影響与えるかは、あなた次第だ。毎日、いや1分ごとのあなたの行動の選択が、知らない人を元気付けたり、がっかりさせたりする。選ぶのは簡単だ。そして、選ぶのはあなただ。
p.178 私たちがそのグループを作ったのは、ようやく体験を語ったことで自分の自分を解放できた気がしたからだ。収容所を経験し、同じように感じ、他の人と違う反応を示してしまう理由を心の底から理解してくれる人と一緒にいる気持ちは、言葉で言い表せない。理解しようとする人はいるし、それは立派なことだと思うが、実際にその体験をしなければ決して本当の意味での理解はできない。どれだけ本を読んでも、どれだけ理解しようと努めても、ホロコースト生き抜いた人たちにしかわからないはずだ。私が住んでいた自由の国が私の監獄になった。私が同じように苦しんだ人たちと、このことを共有しなければならない。こんな言葉がある。「分かち合えば苦しみは半分に、喜びは倍になる」。私の母語で、私の気持ちを表現した詩がある。「人は死に花は枯れ鉄や鋼は壊れるが友情は永遠だ」生存者の中にはこの世界はひどいところで、誰の心にも邪悪な部分があると考え、人生に喜びを見出せない人がいる。そう、解放されていない人だった人々だ。傷ついた肉体は75年前に収容所から出てきたのに、傷ついた心は未だにそこにとらわれたままなのだ。1度も自由を感じたこともないくらい悲しい生存者は何人も知っているが、 自由を感じるには、苦しみと言う重荷を下におくことだ。そうすれば幸せを実感できる。私も、恐怖と痛みを抱えたままでは真の意味での自由は得られないと気づくのに何年もかかった。生き残った同胞にドイツ人は許せとは言わない。私自身もできなかった。しかし私は十分に幸せで、愛と友情に十分に恵まれたので、彼らに対する怒りを解放できた。いつまでも怒りに心を奪われていても仕方がない。怒りの恐怖を生み、憎しみを生み、死をもたらす。私たちの世代の多くは、この憎しみと恐怖の影に取り憑かれたまま子供を育てた。 子供たちに恐れを教えても全く意味がない。彼らの人生は彼らのものだ!子供たちはその一緒に親を祝うべきだ。子供たちをこのように送り出したあなたは、彼らを支え、助けるべきであって、否定的な考えで押し付けてはならない。押さえつけてはならない。これは、私たち生存者が心得ておくべき大切な教訓だ。自分の心が自由でなくても、子供たちの自由を奪ってはいけない。私はいつも子供たちにこう言っている。「この世に送り出したのは、お前たちを愛したかったからだ。思い感じる事は無い。私が望むのは、お前たちに愛され尊敬されることだ」。こうやることが、私は誇らしい。家族は私の努力の結実なのだ。
p.182 優しさは何にもまさる富だ。小さな親切は自分が死んでも残る。優しさと寛大さ、そして仲間への信頼はお金よりも大切だと言う教えは、父が私に与えてくれた最初で最高の教えだ。こんなふうに、父はいつも私たちのそばにいて、いつまでも生き続けるだろう。こんな言葉がある。私が人生の写真にし、公の講演でもよく言う言葉だ。分かち合える間、いつもたくさんありますように、健康でたくさん生きられますように、大切に思っている友がたくさんありますように。
p.186 私は出会う若者全員に、こう伝えたい。母親はあなたの為なら何でもしてくれる。その人に感謝を述べて、愛していると伝えよう。なぜ愛する人と口げんかをするのか?口論するなら、外に出て、道にゴミを捨てている人にを相手にすれば良い。文句を言う相手は、母親以外にいくらでもいる!
p.191 野原には何もないが何かを育てようと努力すれば庭ができる。これが人生だ。何かを与えれば、何かが帰ってくる。何も与えなければ、何も帰ってこない。1輪の花を咲かせるのは奇跡だ。しかし1輪の花を咲かせられれば、もっと多くの花を咲かせられる。一輪の花は、それだけでは終わらない。大きな庭の始まりなのだ。だから私は、ホロコーストについて知りたい人には、誰にでも自分の物語を語り続ける。この思いがたった1人でも伝われば、とてもうれしい。それが新しい朝、あなたであることを願っている。私の物語があなたに伝わりますように。
p.198 この本を読むことで、世界が少しでも良くなることを、そして人間性が少しでも回復することを願っている。そして、決して希望を捨てないようにと伝えたい。やさしく、礼儀正しく、愛情溢れた人になるのに遅すぎる事は無い。皆さんに、とびきりの幸運を。