この本の女子の主人公。29歳、中卒、恋人いない歴イコール年齢。友人なし。資格なし。バイト以外の職歴もなく、短期バイトを転々とする日々。頼れる人は誰もない。何もない人生。そして、この女主人公は、名前さえもない。あるのは、バイトの作業だけ。
主人公の女子は、イクラが好きだ。
イクラは、一粒一粒が生まれなかった命そのもの。その命をまるごと食べることは、感慨深いと思う。
その生命を自分のものにしている感じがするのだ。
味覚を刺激し、感受性を刺激し、生理現象を起こすことで、絶望的な思考を止める。それがイクラを食べることだ。最高の料理は、イクラローストビーフ丼。ふむ。そんなのがあるのか。
いくらより、なんとなく、シラスの方が、たくさんの命を食べる感がある。今日も、シラス大根メシを食べた。
主人公の女子は様々なバイトをしている。居酒屋に来ているお客に話しかけて、タバコの購入を薦めるというプロモーションのバイトで、声かけ数と販売数のノルマがある。主人公の女子は、過酷なバイトだが、そのようなバイトを好んでいる。3つのバイトを掛け持つ。そして、クビにされる。
化粧品の通販会社の商品梱包と発送の仕事。誰にでもできる簡単な仕事で、クビになった。
自転車集積所で、撤去自転車返還受付の仕事。チョコレートの試食販売。深夜の倉庫勤務。コンタクトの割引券配布。そういう仕事をしながら、私はロボットだと自分に言い聞かせる。
魚卵にまつわる話。モンガラカワハギ科の魚類のゴマモンガラのメスは一度に10万もの卵を産むが、生き残るのは数匹。つまり、10万匹は死んでしまうのだ。イクラを食べていると、生き物は小さく生まれて、小さく死んでいくもので、この世で何を成せなくても別にいいのではないかと思ってしまう。バイトして、働いて、収入を得て、ご飯を食べて、身体的な維持はできているが、働いて役に立っているという実感は全くない。人間に必要なものは、ご飯だ。ご飯だけは、私を裏切らない。
不思議と生物に対する造詣が深い著者だ。
トナカイ、アメリカギンヤンマ、生物連鎖、食物連鎖。ヨトウ虫を見つけ、自宅でヨトウ虫を飼うことに。
ニューコンミートって、何か知らなかった。牛だけで作っているのがコンビーフ。牛肉と牛肉以外の肉、馬肉などを使ったものは、初めはニューコンビーフと言っていたが、牛肉以外が入っているので、ビーフが使えず、ニューコンミートというらしい。牛肉が55%以上の割合で、2020年からそう呼ぶようになった。
この本の閉塞感。底辺の若者の悲哀とやるせなさ。自分の居場所がない、存在価値を認めることができない。そして、このまま歳をとっていくことの恐怖感。いい出会いも期待できない。この社会構造の歪みと闇の中に放り出された女主人公。どこにいくのか?田口ランディではないが、とほほなのだ。
そして、この本を読みながら、とほほで済まされないなと思った。こういう若者が増えているような気がする。主人公の女子に希望があるのは、イクラつまり命を丸ごと食べることで生きていこうとしていることだ。明日もご飯を食べられるという確信が存在している。それは、クビにされようともバイトはいくらでもあるのだ。そのバイトをし続けることで、食べるという行為は、私を裏切らないのだ。
私は、ロボットのようなものであると暗示をかけて、立ち向かっている。裏切られないものが食べるという生存本能を見つけている。少しでも、マシな今日を懸命に生きる。クビになっても、ひきこまらない積極性がある。世間一般で言う「キャリアアップ」や「素敵な出会い」といった上向きのキラキラしたものは望んでいない。
彼女は今日もバイトで働き、自分の胃袋を満たし、しぶとく、泥臭く生き延びていく。その「圧倒的な生の肯定」こそが、この物語が閉塞感のなかに放つ、希望の光なのだ。