日本のニュースでも度々取り上げられた香港のデモ映像。座り込みや時には警官との激しい乱闘シーンも流れ、背景を理解しない人から見たら、中国の体制に組み込まれる事への反発なんだろうな、程度にしか考えていなかった。歴史で学んだように香港はアヘン戦争でのイギリスの勝利により同国植民地となった後、太平洋戦争では日本が統治下に置いた場所だ。戦後も中国には返還されず元通りイギリスが植民地としたものの、1898年の展拓香港界址専条によって99年間の租借が決まった。現在、その期限切れとなった1997年以降、「一国二制度」の下で香港には50年間の自治権が許されている状況だ。よって2047年には領土のみならず、制度を含め完全に中国の一部となる。
それまでは表向き自治権(自分たちのことは自分たちで決める)があるはずの香港だが、実質的な行政庁官職は最低得票率の親中国派が当選し、中国大陸からの旅行者や不動産投機マネーの流入で、じわじわと赤化が進みつつある。危機感を抱く香港住民、特に若い世代は自由のない中国化を避けるべく様々な手法を用いてデモを繰り広げている。またその様な若者達を純粋な香港在住の市民が支援している形になっている。
筆者は2014年に発生した普通選挙を求めた雨傘運動から現地で取材を重ね、若者のリアルな姿を記録してきた。日本でも有名な女性活動家の周庭(アグネス・チョウ)や黄之鋒(ジョシュア・ウォン)等へのインタビューも含んでおり、実際はアニメや漫画、日本のアイドル達が好きな普通の若者と一緒である事がわかる。香港のそうした若者達は日本でも話題になった「ゆとり教育」のような形で問題解決型の教育を中心に受けてきた。日本では失敗の代名詞となる教育手法だが、香港では小学生ですら国や政治のあり方から身近な問題まで、課題解決思考が育ったようである。若者の「香港のこれからのカタチ」に対する意識は日本人の日本に対する同じものと比べて遥かに高い水準にある。なお、中国側は面白くないと見ているため、当たり前だが北京式の愛国教育を導入しようと試みデモにより失敗に終わっている。
2019年には記憶に新しい犯罪者引渡し条例の設置に対しても大規模なデモが発生した。雨傘運動は前面に出て市民を率いたリーダー達が次々と逮捕・拘禁されるなどして瓦解、目的未達に終わった教訓を活かし、定まったリーダーをおかずスマホ上で隠語などで情報共有する形に変わった。ツールを駆使して権力に闘いを挑むのは若者らしいし、彼らの自由を求める熱意は時を経ても変わらない。
日本といえば選挙権が18歳へと引き下げられたものの、相変わらずの投票率と、政治への無関心が続く。一部危機感を抱く高校などでは投票年齢引き下げに際して、香港の学生のような政治や社会課題に関する討論を行なったと聞くが、ゆとりの反動からくる詰め込み型中心の教育は、さほど変わっていないように感じる。やはり自分たちの住む場所と自由の将来がかかっている状況との大きな差を感じざるを得ない。
本書に登場する香港の若者達はみな大半が10代、中には中学生も勉強しながらオキュパイ(占領)に参加する子までいる。そうしたデモ参加者を医療班や情報班として支えるのも若者が中心だが、会社員やタクシー運転手なども自分たちができる形で何らか支援をしている。市民全体の政治意識が非常に高いと感じられる。しかしながら、皆普通に学校へ通って勉強し、会社員も普段は経理の事務員だったりと、日常と政治が上手く無理なく溶け込んでいるようだ。だから気軽に参加できるのも事実だ。近年は警察側の取り締まりも厳しくなりつつあるようで、低致死性の武器も平気で使用しており、それに対するデモ側も武闘派グループが合法的に集められる材料から武装化するなど危険な方向に進みつつある。暴力が暴力を呼ぶ流れになりつつもある。そういった事態で最も恐れるのは暴発であるが、デモ隊に若い子が多いことを考えると何とか踏みとどまってほしいところだ。天安門事件の悪夢が若干頭をよぎるが、中国政府も名実ともに大国意識があるなら、何とか話し合いで決着を付けて欲しい。民主的な解決が望めないのは苦しいが、そうした市民の若者の考え方を真に理解する官僚や政治家が居てくれる事を願う。
私も若い頃から何度も香港やマカオを訪れた。洗練された都市にどこか懐かしい人々の雑踏の熱気と匂い。日本の都心のように高層ビルが立ち並ぶすぐ横には良い香りを漂わせる小さな屋台、行き交う人々の活気溢れる街が、次に訪れる際もそのままであって欲しい。
民主活動家の言葉、今の腐敗した政治に浸かった香港を変えるなら、中国自体を変えなければならないといった意味の言葉が深く印象に残った。