まず細かいところから
1 聖子ホリプロスカウトキャラバンだけじゃなくてテイチクも受けてたんだ(テイチクといえば芳本美代子も聖子と同じくレコード会社スカウトが先で後に事務所決定ですね)
2 風は秋色がCMソングだったんでNHKで歌わせるのに両A面でーと書いてあります。それも確かに理由のひとつなんでしょうけどもこれは若松さんから平尾昌晃に対しての「恩返し」でしょう。デビュー前に福岡の音楽学校で預かってもらったわけで(そこから平尾昌晃の力でナベプロに入れようと思ったんでしょうけどナベの方でO脚理由でNG)結果平尾昌晃はデビューのきっかけにはならなかったものの芸能界の大物に一度預けた商品、超売れっ子になってるのに何も返さないってのはおそらく通らない。放っておくともっと何か違うものを要求されるかも、ねぇ。聖子の作詞作曲に70年代の大物作詞家作曲家がいないことからもこれは特別の一手。ただ印税を渡せばいいってもんじゃない。両A面でメンツもお金も。平尾昌晃センセ司会のレツゴーヤングでも歌わせるし。
3 白パラ。相澤「売れない」若松「地味」。財津は「最初の4小節で売れますから」と説得。
4 サンミュからもプロデューサーが派遣されていたが名目81年秋、実際は3枚目シングルで若松専任。まぁ船頭は1人でいいよね。若松が見つけてきたんだし。サンミュの子というよりもソニーの子でしょ聖子は。
5 「風は秋色」 小田曰く「あなたのせいよはスラーで歌うとSay Yoと英語っぽくなる効果」 ほんとかよと思って聴いてみたけど確かに聖子はスラーというか「滑らせて」歌ってますね。僕がディレクターならここはツタッカートでセリフで歌わせるけど。それやっちゃうと少女過ぎるのかな。
6 「おだいじに」は多忙が理由で降板した香坂みゆきの代役。ほんとかねー。香坂みゆきがキャスティングされてたのが本当だとしても多忙が理由ってのはどうかねぇ。聖子よりみゆきの方が3年先輩だけど年齢は丸々1年下。当時16歳の香坂みゆきに太川陽介とのキスシーンは無理と事務所の誰かが判断したのでは。もしその人が「中山圭子よりこっちだろ」と思ってたら余計にねぇ。
7 三浦徳子「聖子のイメージカラーは淡いピンクと決めた」「渚は恋のモスグリーンは聖子カラーであるピンクを際立たせる補色効果を狙ったもの」
出来過ぎ。そんなわけないだろいくらなんでも。
(でも嫌いじゃない
8 浅丘の芽ばえ、百恵の青い果実という性典路線で河合奈保子のデビュー曲もやってる三浦徳子。芸映からセカンドも頼まれたが聖子がやりたくて辞退。
にもかかわらず早々に作家陣から下される三浦。若松に詰め寄ったとも。そりゃそう。奈保子というか芸映を袖にしてまで聖子に乗ったのにそりゃないだろってなるよね。しかも三浦はモニカ、夏色のナンシー、リボン、君に薔薇薔薇、キャッツアイとヒット作も続々出すことになるわけだけど、なぜか「松田聖子は松本隆のおかげ」という評判は日に日に高くなる。なんで?悔しくて奥歯割れそう(全て妄想です)この辺りは百恵、千家、阿木燿子の関係となんかダブるわ。
9 (早見優を見出し)たサンミュ福田専務は河合奈保子を相当買っていたよう。若松にも「芸映の奈保子はいい」と告げるほど。若松は「はぁ?どこが?うちの聖子とは大違いだ」と、より聖子作品の質を追求することに。
10 三浦徳子「自由な線 自由な色 描いていく」は瞬時に成長した聖子への当て書き。
はい。出来過ぎ。(でも嫌いじゃない
11 アルバムがめちゃくちゃ売れた聖子。シングルではいい勝負だったトシちゃんとは比較にならない。これはやはり歌で、声で売れてる証拠ですねぇ。握手券があるわけでなし、グッズがついてるわけでなし。しかも当時のLPの値段は中高生にとってそこそこの金額だし。
12 渡辺真知子「ガラスの林檎の前あたりに曲の依頼きた。ミディアムテンポということで。結果採用されなかったけど。」聖子はミスセブンティーンに気まぐれビーナスと迷い道で挑んでいる。なんかいいよね。ソニーとしても専任作曲家ではなくシンガーソングライターを新たに連れて来たかったのね。しかも真知子。淳子に対するみゆきほどの湿度はないけれど、真知子も滴る感じ。でも採用されなくてよかったのでは。もし歌わせるなら八神純子の方が。てか八神純子は淳子にあげたい。
13 野菊の墓(1981)の監督ってあれが映画初監督でしかもその後Wの悲劇(1984)早春物語(1985)なのね。へー。興行収益8億。
「女優への演技指導の際、女性になりきる姿が凄くて薬師丸が見入ってしまう」と。やだ。見たい。
サンミュはオール2ヶ月の撮影期間のうち丸々19日聖子のスケジュールを空ける。この後東映は百恵をトレースして潮騒や伊豆の踊り子をやるつもりだったらしい。が、おでこ丸出しの評判、澤井監督が若松に「あの子の人気は一過性かも知れない」と告げたなど、色々あって一本のみ。以降は謎のラブロマンス映画に。
14 聖子の映画やドラマは1秒も観てないんですが(明菜の映画とドラマも基本同じ)プルメリアはヨットの事故で頭打って死ぬんですか?野菊に続いてまた死ぬの?興行収益15億のヒット。
15 プルメリア監督「清潔感」「ナチュラルな肯定感が楽曲にも私生活にも満ちている」「愛され方が強い」サンミュから映画の打診をされたが辞退、代わりに88年コンサートを演出した根岸監督「映画女優は傷ついたり汚れたりが必要(だが聖子はそれに一致しないためやはり映画ではなくコンサートで)」売野「アイドルなのにタバコの匂いのシャツにと生々しいフレーズを使い、しかしそれは大人への憧れとしてファンタジーに昇華」カリブ愛のシンフォニー監督「85年1月23日、郷ひろみとの別離会見を皆んなでテレビで見てた。この後の撮影は無理だろうなと思ってたら東宝砧スタジオに はーい皆さーん、お待たせしました!さぁやりましょうと聖子が満面の笑みで入って来た。芸能人だと思った。」「決してうまくないけどでも変な芝居はしない」この辺、さすが皆さん聖子の魅力を表現してますよねぇ。
泥水被ってもコーティングされたかのようにケロッ、ツルピカっとしてる。「どうせ皮一枚剥いだら血まみれ肉まみれ。どいつもこいつも薄汚く生臭い動物なのよ。この世は人間相手というならば、表面を全てと信じていきましょうよ。」と言わんばかりのあの目。聖子ちゃんのファンはあの強さに甘えたり、共鳴したりすんのねきっと。
俺には強過ぎるけど。
16 夜ヒットからの要望でチェリーブラッサムをロックにアレンジした丸山恵市。歌い終わりに聖子は「気持ち悪い!」と告げる。
まぁ長年やってるから言えたんでしょうね。
丸山は「聖子にロックは消化出来ない。ポップスの申し子なのだ」と。
17 スイメモ。当初はブルース。それはいくらなんでも無理なのでジャズ。ということはあれでも年齢に配慮した結果だったのね。
18 ソニー酒井。「一度だけ2人(郷ひろみ聖子)のお忍び旅行に同行したことがある。双方の付き人も交えて伊豆のペンションに。手料理を作る聖子。」なるほど。万が一見つかっても皆んなで旅行してましたってことになるのね。事実だし。
2人が食べさせてた人数を考えたらそりゃ皆んなで守るよね。アイドルもこうやって恋愛オープンにすればいいのにね。パチンコ屋オーナーとかプロデューサーとか既婚のジムトレーナーとかにパコられるよりよっぽど良くない?ファンも。
19 2019紅白。往時のような高音はでなくとも最近の悪癖である過剰なタメは姿を消し と最後の最後に悪口。
20 奥居香のあの曲。1位連続が途絶えてしまったけど曲としては悪くないのにね。マラケッシュで途絶えるかと思ったけどねぇ(話全然変わるけど瑠璃色じゃなくてマラケッシュをカバーして欲しい。明菜。)ネットで見ると1989の11月は、、、Winkのワンナイトヘブン?そのあとは小室?んーだったら1位でも良かったのでは。この年の最も売れたシングル1位と2位は共にプリプリ。サンミュとソニーが奥居香を用意するのは当然の流れ。香ドンマイ。
21 ソニーとユニバーサル(マーキュリー)を行ったり来たりすれ違いあなたと私の恋、の聖子。
ユニバ移籍第一弾があな逢いなの???
そりゃユニバの人達は肩幅広がり過ぎて路地裏歩けないね。「松田聖子を扱うんなら100万枚は当たり前でしょう?」という声が聞こえてきそう。
そん時のサンミュや若松の顔が見たかった。
さて最後に3つ。
まずは低音が魅力のデビュー曲。裸足の季節。
ここで聖子の声を考えて作られたとあるがさすがにそれはない。香坂みゆきに用意された「ハイヌーンは熱く」であるというのは有名な話では。
ただ聖子用にアレンジを変えた、メロディを弄ったってのはありえるかも。(とはいえ香坂みゆきはかなり歌が上手いのでそれもどうかなぁ)
た。だ。し。
「エクボの秘密あげたいわ」の歌詞なんですが、香坂みゆきにもエクボはない。
クレアラシルのCMはたまたまだったのかな。そもそもエクボがないからって難色示すスポンサーもどうなの?エクボが商品でもあるまいに。
この辺りは人の数だけ「実は。。」と真実も。
今までさんざん書いて来たように面白いエピソード満載なだけにこれのせいで急に信憑性に疑問が。
とはいえ。おもろいので続けます。
この本で私が最も好きな箇所について。
ラスト2。
サンミュはアットホームで自宅を寮がわりにして云々ってのはよく聞く話。社長の早朝マラソンにつき合わせてどうこうってのもね。
ただここではデビュー間もない聖子と太川陽介は社長宅を離れリンリンランランの戻ってマネのマンションに間借りする。部屋は勿論別。ただその時マネは留守。うどんを作ってる太川陽介に「お兄ちゃん何作ってるの」と聖子帰宅。本ではその後の「あらお兄ちゃん、今私売れてるんだけど」という聖子のあっけらかんとしたセリフとともに牧歌的と書いてるけど、これってアットホームを超えてまずい状態じゃないですかね。結婚後も聖子の太川陽介に対する行き過ぎたスキンシップを「兄妹」として書いてますがこれわざとでしょ。そりゃ聖子の父親は芸能界反対するよ。さらに「少なくとも一年アイドルはデビューさせない」と余計な宣言までしといて売り出した中山圭子。CMこけたらレコード会社担当は出社拒否、たった数ヶ月でデビュー繰り上げの聖子、「お前の宣伝費は全て聖子にまわす」とわざわざ中山圭子本人に伝える。そりゃ皆さん金儲けと若い女性の身体目当てで働いてますからね、仕方ないんでしょうけども。若松の言う「面倒見のいいサンミュ」ってのはどの部分を見てのことなのか。それとも他の事務所はこんなもんじゃないんですかね。そりゃ所属アイドルは早々に結婚したり事務所に無断で髪の毛刈り上げたりしますよねぇ。
んでラスト。
1999年、個人事務所だった聖子は若松の事務所にマネージメントを依頼。固辞する若松に引き下がらない聖子。「複雑な芸能界」(意味深)ゆえに骨折ることになりそうだがもう一度二人三脚を決意する若松。
ただし聖子という大物のため慎重に(意味深)事を運ぶ必要あり。まずは田辺エージェンシー社長に相談。「これだけ週刊誌に悪くかかれてるのに本当にやるのか」「自分が久留米から連れて来た子ですから」「、、、、そうかわかった」
次にバーニング社長。「お前本当に出来るのか。そうかわかった」次にNHKとフジテレビ幹部。
再婚時映像使用について個人事務所として抗議したため出禁だったらしい。
これらが功を奏し2年ぶりに紅白復帰、永遠の少女で松本隆復帰。
サヤカのマネージメントまで聖子に頼まれてやっていくものの、CMや女優はいいけど歌手として同じ土俵ではどうやらまずかったらしく聖子とは3年で別れる。と。その時サヤカも連れてまた個人事務所に戻っていく。
私が読んでて「怖っ」ってなったのは
サンミュに仁義通す、とか、ソニーに仁義通す、とかならわかるんです。2人の古巣ですからね。
でも最初に行ったのは田辺エージェンシー。次はバーニング。で次は出禁のテレビ局。個人事務所に限界を感じてた聖子は若松を頼り、娘のデビューまでやってもらって3年で娘ともども個人事務所に逆戻り。
田辺エージェンシーに関しては「中居正広の独立の際も」とわざわざ書いてあるし、田辺バーニの両者がサポートに回ったのはこの件でメリットがあるからなんですよ。果たしてどんな。
かつ、田辺バーニの発言にあるように当時の聖子はどうやら立ち位置に困っていた。そこで若松に助けてもらって田辺バーニに潰されることもなくなりテレビ局の出禁も解けた。まさにほとぼりが冷めたところで娘と一緒にまた独立。家族経営に。
怖。皆んな怖。
本当に怖い人達ってのは別にオラオラしてなくていいんですよね。
相手が若い女性なら勝手に自分で服脱いでくれるし、相手が男なら勝手に自分で土下座してくれるから。