実験室で宇宙を作ろう、という話で、その理論と少し無謀な挑戦の話かと思ったら、どうも主旨が若干違っていた。
宇宙物理学者が創造主をどう考えるのか。多くの科学者は、素粒子物理学の統一理論を構築したノーベル賞物理学者のワインバーグのように、完全合理主義者であり、そのことを標榜もしている。アインシュタイン
...続きを読むが神はサイコロを振らないと言ったとき、もちろん彼は必ずしも人格神を信じていたわけではない。リチャード・ドーキンスは、宗教が生む非合理的でときに危険な行動を批判したアンチ宗教の立場で有名である。学問の世界では、創造論への信仰をほのめかすのは、明らかにその人の研究者としての評価には大きなマイナスであるらしい。
一方で、この著者はそれを理解しつつ、どこかで創造主たる神の存在を信じたいという気持ちを持っている。その著者に、量子物理学の理論を通して、人間が実験室で宇宙(ベビーユニバース)を創造する可能性が開かれたとき、神の存在を取り返すことができるのではという希望が開いたのではないのだろうか。そして、著名な物理学者でもあるツェーが、過去の論文においてそれをほのめかしていたのを知って、インタビューを試みるとともに、その探求を進める。
例えば著者は、もし仮に創造主がいたとして、何か情報を伝えるとすれば宇宙背景放射を通してしかないとして、何かのメッセージが埋もれていないかを探してみる。今のところそういったメッセージは読み取れないのだが。
本書の内容は、マルチバースにつながる量子宇宙論、量子論を説明するための量子もつれ、背景放射につながるインフレーションモデル、新しい真空モデル、磁気単極子につながる大統一理論、宇宙を創るための粒子加速器、ひも理論、ブラックホール問題、など網羅的である。著者は博識であり、その理解もおおむね世間の主流に沿っている。
しかし、著者の考えが少しずれているのではと感じるのが、人間の自由意志によって選択するたびに平行世界が生み出されるといった考え方をしていることが明らかになったときである。多世界が存在する契機は人間の自由意志といったレベルではなく、量子のレベルで発生するものであり、だからこそ世界は量子化(デジタル化)されているという論理ではなかったか。また、多世界で複数の自身のコピーが存在する中でこの世界の罪を裁くことに意味があるのかとまで言い出すと、それまでの科学者としての著者への信頼が崩れる気がする。やはり、宗教や道徳は、こういうと色々と言われそうな気がするが、原理的には相性がよくないことを明らかにしているようにも思う。
「人工的な宇宙を創ることに伴う被造物の正味の幸福と、全体としての善(悪)を計算するにはどうすればいいかという問題」とまで言い出すと、もはや論点がずれてしまっている。創造主たるものが仮に存在したとしても、それは善悪の彼岸を超えたものであるのは間違いないのだから、幸福や善悪が神の企図としてどうなっているのかなどは、仮にも考えることが必要な問題ですらない。実験室で宇宙を創る、という試みは興味溢れるテーマだし、科学的な事実も丁寧に書き込まれているが、そこに著者は過度に宗教的期待を持ってきており、また宗教的な読者をその先に想像して書かれているところが鼻白むところなのである。ツェーのインタビューが上手くいっていないように見えるのは、インタビュイーとしての著者が思い込みの上で答えを誘導しようとしているところがあるからだという可能性もある。なにせここまで最新の科学技術に精通をしておきながら、「神はどこにでも希のままに魂を作ることができるはずだから、ベビーユニバースに生じた生命には神は魂を与えないなどと、なぜ言えるのだろうか?」と言ってのけてしまうのだ。いずれにせよ、宗教(しかもキリスト教)の正当化に結びつく段になると途端に非科学的になってしまうのは、不思議で理解できないところでもあるのだが、だからこそ、この課題はおさまらないのだろう。
少し付け足しで書いておきたいのは、インフレーション理論をアラン・グースと同時期に独立に作り上げた佐藤勝彦の名前が、その貢献が正当に知られていない科学者として挙げられている点である。確かに欧米の著者によって書かれたどのような本を見てもアラン・グースの名前ばかりで佐藤勝彦の名前がないことは気にかかっていた。それだけではあるけれども、少しうれしい気持ちになる。ある意味で信仰者は真面目なのである。