2015年に日本総研の「未来デザイン・ラボ」を立ち上げたメンバーが書いたビジョン策定の心得のような本である。実際にビジョンを策定しようとすると非常に府に落ちるところの多い、実践的な本だ。多くの企業のビジョン策定に携わってきたというだけあり、分析も指摘も的を射ている。
まず、ビジョンと中計との違いを次のように解説する。
「ビジョンと中計は違うものだ。単に時間軸が違うだけではない。ビジョンでは、未来の外的環境認識や内的戦略転換への豊かな発想や表現が求められる」
「中計」は「ビジョン」の実行計画と位置付けられるべきである。これらの関係性がわかっていないとビジョンを作る意義がわからなくなり、「中計」と具体的なアクションにつながることがないビジョンが作られることになる。
なお、テクニカルな話でもあるが、長期ビジョンを求めるときにはOODAループが効果的だという。OODAというよりも、世界の観察(Observe)と解釈・提言(Orient)から始め、さらにそれを何度も繰り返すことが重要なのである。そのために、現在の業態とは離れた隣接領域をしっかりと含む広い視野を持つことが必要なのである。そのときに探索すべき未来の像には、「あるべき未来」「ありそうな未来」「ありたい未来」と「ありうる未来」がある。これが意識できるかどうかの違いは大きい。真剣に考えるとその4つの差がわかるだろう。特に「ありうる未来」についてバランスを欠くことなく検討できるかどうかがそのビジョン検討を有意義なものにするかどうかを決める。
また、「中計」との違いに加えて、「経営理念」や「行動指針」についても重要な指摘を行う。つまり、「経営理念」や「行動指針」は基本的には時代によって変わるべきものではないが、これに対して、「ビジョン」である「未来観」「未来像」「基本戦略」は、時間と共に変わっていくべきものである、ということである。このことは、ビジョンを検討するにあたって初めに検討当事者間で同意をしておかなければらないことだろう。そうでなければ、「ビジョン」は「経営理念」や「行動指針」と何ら変わらないものになりかねない。
著者は次のように指摘する。
「わが国の多くの企業は「未来観」も「未来像」も示していない。存在意義・ミッションを示す「理念」と、従業員を戒める「行動指針」は多くの企業が掲げているが、いずれも普遍的で、極めて抽象度が高い。貴社の執務室にも、「三方よし」や「社会の発展に貢献」などの文字が入った額がかかっているのではないだろうか」
具体的には何が足りないのか。著者は、まず「ストーリー性」と「戦略性」がないと指摘する。これがないと、中計とも連動しないし、ビジョンを策定する意味もない無駄な作業だという。著者はこれはあまりに基本的な問題で、ある意味ではテクニカルな課題であるという。より深刻な問題は、企業が掲げるビジョンがその企業ならではのものになっていないということだと指摘する。
「『その企業ならでは』が感じられない」
「わくわくしない、驚きもない、型どおり」
というのが多くの企業が公表するビジョンを見た著者の感想だ。実際にいくつかの事例を見るとその通りだと思う。本来、企業名を抜いて読んでも、そのビジョンを読むとその企業だとわかるようでなくてはならないのだ。他社のビジョンと比較して、自社に特徴的で、独自のストーリーやメッセージ、キーワードが込められているのかが問われないといけない。
さらに、もうひとつ重要なこととして挙げるのが、ビジョン策定の目的だ。それは、
「未来に向けた企業経営の「挑戦と変革」を社内外に示す」
ことである。この目的を強く意識していないと、10年先のことだからと何でも取り込もうとして誰も反対しない総花的なものになる。ビジョンにせよ何かを策定するのであれば、それが次にどのようなアクションにつなげるためにやっているのかを意識しなくてはならない。そのために必要なものを揃えなければならない。
また、誰がビジョン策定に責任を持つのかという、これもまた大事な問いに付いて著者は、
「ビジョンは、「社長50%、現場50%」を目安に策定すべきだ」
という。何をもって50%とするのかはあいまいだが、気持ちとしてとても肌感覚として納得がいく指摘である。
「副社長、専務クラスの役員が「10年後にはもう会社にいないからな(苦笑)と発言、周囲「(失笑)」という場面はよく見かける」という笑えないあるあるが指摘されているが、誰が責任を持つのかを意識するのは社内でことを進める上で大事なことだ。
さらにビジョン・中計策定に際して障害となるポイントを次のようにまとめる。
論点① 目的設定および経営層の意図の共有
論点② 視野の広さと中計との目線の違いの共有
論点③ 検討に適した方法論の選択
論点④ 議論の場の設計
例えば論点③での未来想定を導く方法論として、フォーキャスト/バックキャスト、デシジョン・メイキング/オプション・メイキングの二軸からなる象限を想定して、「中計」がフォーキャストで策定されるのに対して、「ビジョン」にはバックキャスト型の方法が適している、と適切な指摘を行っている。これが論点②などと組み合わさってより適切な方法が採られるべきなのである。
また、ここでもあるあるのひとつとして、「アイデア出しは発想が豊かな若手にお任せして」と言うシニアが多いというのことを挙げる。著者はこのロジックはまったく信用できないという。何より必要な情報の多様性が若手には欠けているというのだ。また、発想は若手だからということよりも、人物の個体の能力に関わるものであるということも強調する。そのためにまた部門横断のメンバーを集めることも正当化されるのである。
未来洞察の手順についても①未来イシューの設定、②社会変化仮説の設定、③機会領域の発見、④未来像と戦略示唆の抽出、といったテクニカルな検討ステップもここでは提示される。著者は自社版未来年表を独自に作ることを推奨しており、『新しい事業機会をみつける「未来洞察」の教科書』という書籍も出版している。
著者は、「ビジョン」策定を通じて、「中計」をハイジャックして具体的なやるべきアクションにつなげるべきという、「ビジョン」が会社にもやっているメンバーにも無駄にならないコツも伝授しようとする。
本田技研工業、ニチレイ、京王電鉄、日本ユニシス、清水建設、といった日本総研 未来デザイン・ラボが関わった具体的なビジョン策定のケーススタディが掲載されていて面白いが、逆になかなか想定するロジック通りにいかず難しいなとも感じた。
期待以上の内容で、類似の書籍もお見掛けした記憶もなく、貴重な本だと思う。何度か読み返した方がよいのかもしれない。実際に中長期的な計画・構想を策定するような業務・役職ではない人にはピンとこないところもあり、役に立たないのかもしれないが、そういった業務に関わる人にとっては必読に近い本かもしれない。