著者は、徳川慶喜の曾孫で、会津・松平容保の孫に嫁いだ人物。1913(大正2)年生まれで、昭和30年代までを振り返る。
父親が島津から妻を迎えたのは天璋院篤姫の主張に添った、とか明治・大正の話は興味深い。
かつて(実家である徳川)家で使っていた言葉として、「追加する」ではなく「御加増する」と言っていた
...続きを読むというのは、これもしかして将軍家ジョークの一種なのだろうか?
しかしまあ、家柄のよろしい方々は戦中戦後も何とかなった様子がうかがえる。
昭和20年8月9日に「ついこの間まで夜はともかくごはんに何かお魚か肉に切れ端でもつけられたが、その形式は崩れ、明日も朝からおじゃがを食べる」と記している。とはいえ、御殿場に疎開していて、近所に住んでいる秩父宮妃(義妹)との縁であれこれ貰い物をしていることを書き記している。