シャーウッド・アンダーソンの作品一覧
「シャーウッド・アンダーソン」の「ワインズバーグ、オハイオ(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
「シャーウッド・アンダーソン」の「ワインズバーグ、オハイオ(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
アメリカの田舎町に住む平凡な人々の平凡な人生を覗き見るような小説。
登場人物たちは、国や生活様式は違えど私たちと同じように毎日毎日同じことを繰り返して生きている。みんな大なり小なり苦悩と幸福があり、どこか孤独。
この本は、そんな取るに足らないと思われるような人生を歩んできた人々の、ある瞬間を描く。
それは誰にも省みられないような小さな出来事で、大きな変化を起こすような力はない。なのにどこか惹き付けられる、その人のこころを象徴するような特別な瞬間。
どんな人間にも物語があり、この本からはそれを慈しむ心を感じる。
私にとっては相容れない人や、一生関わることが無い人にも物語がある。そのことに想いを馳せると、孤独は尽きなくとも、隣人を愛したいと思えます。
Posted by ブクログ
2018年に出た新訳版。橋本福夫の旧訳版に比べ、読みやすくなっている。
時代は1900年頃、舞台はオハイオ州、架空の町ワインズバーグ。その町で起こる小さな出来事をめぐる25篇。田舎の風景や季節の描写、人物の心理描写が秀逸。
それぞれの掌篇はしゃれた終わり方をするわけではないし、受ける印象も明るいものではない。でも、なにかしら心に残る。この作品にインスパイアされて、レイ・ブラッドベリは『火星年代記』を書いた。構成のしかたが似ているだけでなく、読後の印象も似ている。
(訳文は練られているが、多少気になる訳語もある。たとえば「哲学者」の章、パーシヴァル医師はさほど高齢でもないのに「わし」や「わしら」で話す。ちなみに橋本福夫訳は「ぼく」、小島信夫・浜本武雄訳は「おれ」。)
Posted by ブクログ
エリザベス・ストラウトが『オリーヴ・キタリッジの生活』において、クロズビーという架空の町での人々との交流を描いたり、レイ・ブラッドベリが『火星年代記』の冒頭で「こんなにすばらしくなくてもいい、これの半分だけすばらしい本でいいから……ぼくが書けたとしたら、どんなにすてきだろう!」と賛辞を送るほど影響を与えた本作。二作とも好きですが、これも読み進めるほど話に引き込まれて、読んで良かったと思いました。
本書は、ある老作家が見た夢「いびつな者たちの書」という物語から始まる連作短編の形を取っています。舞台は、オハイオ州の架空の町ワインズバーグ。どの短篇も新聞記者のジョージ・ウィラードを登場させて、一見バラバラな町の人たちの話しに一貫性を持たせており、彼が精神的に成長していく様子も読みとることができます。
それぞれの短篇に登場する人たちは、孤独感に苛まれていたり、臆病であったり、不器用な性格であったりと”いびつな者”に該当しています。そして、そんな皆が、どこか夢想家や野心家だったりするため、当然一花も咲かせずに一生を終えたり、先を思い悩んで気狂いになる人もいたわけですが、その行動の細やかな描写や心の内を炙り出す巧みさに引き込まれてしまいました。
それにしても、作中の不器用な人たちを”いびつな者”とみなすのは簡単ですが、現実世界でも程度の差こそあれ、誰しも悩みを持っているものです。そういう意味では、単に田舎町の住人の鬱屈した孤独感の代弁にとどまらないものを感じて興味深かったですね。
Posted by ブクログ
19世紀アメリカ西部の田舎町、ワインズバーグ。新聞記者の若者ジョージ・ウィラードを中心に、町に住む「いびつな者たち」の物語を綴る連作短篇集。
この作品に描かれた「いびつな者たち」とは、大きく括って社会的なマイノリティーの人たちを指しているのだと思う。さまざまな理由ではぐれ者扱いを受けている人たち。「手」のビドルボームや狂言回し役のジョージが抱える葛藤から、〈男らしさが至上の世界からこぼれ落ちた人びと〉というテーマを受け取った。ヒーローにも不良にもなれず、世間から賞賛されるようなことはひとつも成し遂げられない苦しみ。〈落ちこぼれ〉のなかには当然〈女〉も入ってくる。
ジョージの母エリザベスを主人公にした「母」からものすごいのだが(一つ前に置かれた「紙の玉」との対比がのちのち「死」で効いてくる構成も見事)、「狂信者」の息子を愛せない女性ルイーズの描き方には本当にギョッとした。赤ん坊が「家に侵入してきた人間の欠片のようなもの」に見え、「これは男の赤ん坊だから、欲しいものを自分で手に入れるわよ」「これが女の子だったら、どんなことだってしてあげるでしょうけど」と言い放つルイーズ。でもこの小説はネグレクトする母親を断罪しない。100年前の男性の手で書かれたと思えないくらいフラットに彼女の鬱屈した感情に寄り添っている。
ルイーズの反対目線、つまり女性を妊娠させた責任から逃れきれなかったことを後悔し続けている男性レイの物語「語られなかった嘘」もしっかり入っていて、最後の段落でタイトルが回収されるとレイへの悪感情がすべて霧散し、寂しさだけが残る。男と女、それぞれに押し付けられた役割とそこから逃れようとする〈弱さ〉を描き、解放されたいという願望も「タンディ」のように新しい言葉を創りだして提案する。「冒険」のアリス、「教師」のケイトなど当時ならまだオールドミス扱いを受けただろう年齢の女性たちの苦しみも、なんと現代的に描写していることか。
田舎町に住む変人たちを観察する青年の成長物語ということで、サローヤンの『僕の名はアラム』に近くもあるが、サローヤンが人種的マイノリティのコミュニティをどこかユートピア的な連帯感のある場所として書いているのに対し、『ワインズバーグ、オハイオ』は一人ひとりが孤独な星のように描きだされる。だからこそ、「見識」でジョージとヘレンが無言のままお互いに敬意を示し合う場面の美しさが胸に迫るのだ。「それぞれの心には同じ思いがあった。『この寂しい場所に来たら、この人がいた』」。
さまざまな生きづらさにスポットを当て、架空の町ワインズバーグに息を吹き込んだ古典的名作。ミルハウザーの芸術家小説や、ルシア・ベルリンの刺すようなユーモアなど、自分の好きな現代小説が描く〈孤独〉のルーツがここにあるような気がした。