僕はまちづくり協議会という組織活動に関わっています。生まれ育ったまちの変革に少しでも寄与したいという思いがあったことが背景にあります。そのまちづくり協議会では多様なメンバーが集まり、議論し、どうしたらまちがもっと良くなっていくかを検討・行動していっています。 その関係メンバーにこの本を紹介され読みました。
僕は本当に小さなころは名古屋円頓寺商店街の近くに住んでいたこともあり、何度も行ったこともあるので、だんだん寂れて行っていることは知っていました。「野良猫さえいないシャッター通りに人波が押し寄せた!」と帯にありますが、実は名古屋に2019年に帰ってきてから、きちんと円頓寺通商店街には訪れたことがないのです。
僕はクラフトビールの店によく行くのですが、そこに来るようなメンバーの間で円頓寺商店街の変革ぶりやリノベーションされたお店の話題があがっていたことは耳にしたことがあります。 若者にまで話題になっていくような商店街に変わっていけたんだと思うと、寂れていっていたところを見ていただけに何だか信じられないぐらいです。 うまく表現ができないのですが、一人の「よそ者」が商店街を『奇跡』と呼ばれるぐらいな革新を与えた、というストーリーの書籍でした。
いろいろと勉強になることが多かったし、どっかの機会でやはり円頓寺商店街行ってみたいな、と思わせる本でした。いつか、行ってみよう。
以下、抜粋引用です。
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P23
「衝撃だったし、なんとも整理がつかんかった」と市原は言う。
「だって、通りに人がおらんのに、店の扉を開けるとそこには客がようさんおるんですよ。でも、とにかく暗い気持ちは消え去っていました。お師匠さんに教えてもらったこの街はやっぱり面白い街だったんだと嬉しくなった。円頓寺はシャッター街だと言われとったけど、店にはファンがついとった。それは店や店の主人に魅力があるからなんです。だからこそ、僕自身もこの街を去りがたがったのだと気づきました。
だったら、この面白さを、ほかの人間にも伝えていきたい、という思いがふつふつと沸いてきたんです。そしてそのころ、店がまた少しずつなくなっていっているようだったので、これ以上、お店がなくならんようにしたい、せめて何とか今のこの状態を残したいとも思いました」
今満席の店に加えて、繁盛する店を増やせばいい。そうしたら円頓寺商店街に人がもっと戻ってくるはずだ。
P29
「商店街に来た人たちが、そういった場所で楽しんでいた様子が子供心に印象的でした。だからか、私の中では、商店街は買い物したり食事したりするだけでなく、遊べるところという感覚があります。いろんな人が一日楽しく遊べるところ、それが円頓寺で育った私の商店街像です」
P53
商店街とは、商店だけが存在しているのではなく、下町の一部として人が営みを続けている場であることもよくわかった。長くここで商売を続けている店が多いことも気づいた。
名古屋駅から二キロ足らずの場所にこういう街があるのは奇跡のようなものではないか。人を集め続ける力を持った店がひっそりと残っているのだ。しかし、そうした店まで閉まり始めたら、もう終わりになることは目に見えている。
終わらないうちに、この場所の面白さを、みんなに伝えたいと心から思った。この場所に友達を呼びたいと思った。
そして、できるだけこれらの店が残っていくといいなと思った。
P65
「ここいいな、と思った場所があったら、もうそこは空き家だと勝手に設定して、ここにこんな店ができたらこの街が良くなるな、とまず青写真を描く。そして、『ここでお店やらないですか』と借り手に声をかけて、家賃はこれぐらいなんだけど、と勝手に自分で決めてしまう。それで所有者のところに半押し売り的に『この建物貸してくれませんかね』と話をしに行きました。よくいえばマッチング、仲立ちですね」
P89
「昔、うちにも土蔵がありました。子供のころ、親の言うことを聞かないと『土蔵に入れるぞ』と怒られたことや、たまに土蔵に置いてある物を取りに行ったりしたときのドキドキ感を思い出しました。階段をぎしぎしいわせながら中二階に上がると、階段の上部に扉があって、それをがっと開けると入れるようになっていました。そのとき子供心に感じた高揚感や蔵の独特の空気やにおい。見たことのない古い道具が置いてある。ちょっとした探検のような楽しい記憶が甦ってきました。
P133
「大学のときから一緒だった妻が三重出身で、名古屋で働いていたという縁もあったのですが、海外に出て、名古屋に“ちょうどいい感”を感じたんですね。
田舎育ちなんで、かつては大都会もいいなと思っていたんですが、オーストラリアやそのほかの国に行って価値観も変わりました。結局、きれいな緑と青空があればそれでいい、という気持ちになったんです。東京や大阪の大都会で大混雑の通勤列車に毎日一時間も耐えて会社に行く生活よりも、自分らしい生活、生き方をしたい。
でも一方で、自分の故郷に帰ったら、自然は素晴らしいけれど、仕事の選択肢が少ない。その点、僕からすると名古屋は十分都会で、でもちゃんと手触りがあって、人間らしい生活があって、ちょうどいい感じがしたんです。自分がイメージしたライフスタイルが名古屋でなら可能じゃないかと」
自分自身のライフスタイルに合うというだけでなく、田尾さんがやりたいと思っていたインバウンドの旅行事業を興すにも名古屋は最適な場所に思えた。
(中略)
外国人に旅先として日本を売っていくなら田舎を売りたい。そう思いました。外国から来る人は日本らしい文化や価値観に関心があるんです。日本に個人旅行で来るような旅の上級者はとくにそうだと思います。そして、日本らしさって田舎のほうが残っている。名古屋のことを“大いなる田舎”とよく言いますが、そこが名古屋のいいところだと思うんです。人のつながりや日常における日本らしさを含め、田舎的良さがまだどこかある。そして名古屋城のようなザ・文化遺産もあり、都会の面白さもある」
P164
「ここまでくると店を出したい人はたくさんいるので、飲食店などの店で埋めることは比較的簡単だと思います。でも、それは街として不自然。住む人が増えてこそ、暮らしの風景のなかにぽつぽつと良い店がある、という状況がつくれる。円頓寺にはそういうバランスが似合うと思います。クラウドファンディングを募った町家も住まいとしてリノベーションしました」
訪れたいだけでなく、住みたいと思う街へ。
「暮らす人が増えた円頓寺」、それが市原の今のビジョンだ。
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以上