大高保二郎の作品一覧
「大高保二郎」の「スペイン美術史入門 積層する美と歴史の物語」「ピカソ 型破りの天才画家」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
2018年に高志の国文学館(富山)で開催された「堀田善衛特別展」に際してのインタビュー、5つを収める。以下は気になった4つ。
「堀田善衛が旅したアジア」――ジャーナリスト、吉岡忍から見た堀田。堀田はアメリカを描かなかった。それがなぜかを論じている。(余計なひと言も書いてある。「あの司馬遼太郎さんだってアメリカ紀行があります」。)
「「中心なき収斂」の作家、堀田善衛」――なぜゴヤやモンテーニュに憑りつかれてしまったのか。仏文学を専攻したこととの関係を、同種族の鹿島茂が語っている。
「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤」――20歳の頃からの熱狂的ファンの宮崎駿が『方丈記私記』について熱く語っている。これだけ講演録。
「堀田善衛のスペイン時代」――スペイン美術史の大髙保二郎、同行することが何度かあった。その時の堀田夫人の立ち振る舞いのことを書いている。しかもサルバドール・ダリの奥さんと比べている。うーん、ガラかよ。
Posted by ブクログ
乱世の世をいかに生ききるか。
平成の世、堀田善衛(ほったよしえ)はあまり読まれなかった。けれども一周回って、今こそ読まれるべき時代になっているのではないだろうか。
池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、宮崎駿という現代の知識人が、如何に堀田善衛に惚れ影響を受けてきたか語り尽くした新書である。これは、富山県の高志の国文学館の特別展の図録になっている。絶妙の堀田善衛入門にもなっていた。
堀田善衛の青春時代に親交があったのは、池澤夏樹の父親たちマチネ・ポエティックという詩人グループであり、その関係からその前半生を語っている。昭和の初めから戦後間も無い頃の文学を語る上で、堀田は幅広い親交があり、かつそれを意味つけるだけの思想を持っていたという。その意味で『若き日の詩人たちの肖像』『時間』は重要らしい。
70年代ベ平連に参加していた頃の証言として吉岡忍の以下の言葉は貴重です。
「人間の徹底した激烈さが噴出し、世の中がぐらりと変わる、その歴史の舞台が乱世です。(略)(ゴヤやモンテニュー)を書いた時も、堀田さんにはヨーロッパを書いたというつもりなど全然なくて、人は乱世をどのように生き得るか、ただそれだけを考えて書いたんだと思いますね」。
『定家明月記私抄』はいつか読みたい。
鹿島茂は堀田善衛の文学を「あらゆる可能性を列挙したうえで、収斂はするけれども中心は求めない」「わかりにくい「非決定」あるいは「未決定」こそが、人間の叡智だと言いたかったんでしょう」と述べる。
実は堀田善衛は「ゴヤ」を書いていた時に日本にいたし、「定家明月記私抄」を書いていた時にはスペインにいた。「外側」にいるからこそ、見えるものがあったのだろう。ゴヤの資料収集でスペイン旅を手伝った若き日の研究者大高保次郎は、堀田の眼差しには二種あって、一つは庶民の側から権力を見る、一つは日本を外側から見つめること。だと言っている。私もそうありたい。
宮崎駿に対して堀田善衛から「『方丈記私記』を映画化しないか」という提案があったらしい。これは初めて知った。宮崎駿は躊躇したらしい。これは2008年の講演をもとにしているので、その後作られた「風立ちぬ」(2013)を、私は「天上大風」の額が出てきただけでなく、最初の大地震の場面だけでなく、これは「方丈記」だと思った直感は、正しく当たっていたということが判明した。
現代は乱世だろうか。
かつてない性格の大統領が次々に誕生し、昔ではありえない戦争が起き、昔の経済原則は通用しなくなり、そして大災害が迫っている。乱世から大乱に移る前夜のようだ。この本が出た2018年よりは確実に乱世のアベレージは高くなっていると思える。いよいよ堀田善衛を読まなくてはならない。
Posted by ブクログ
第二章 堀田善衛が旅したアジア 吉岡忍
p52
これはもう本当に堀田さんの『橋上幻像』の世界です。次々に国家から逃れて、どこに自分の居場所があるんだと探しているうちに、通過してきた言葉どれも自分のものではなくなっている。
第五章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿
p152
ですから僕が漫画を書いたり、何かを書く時にも、これはどういった意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にどういう意味があるのか、それが自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか。
p157158
今もありありと覚えているのですが、『方丈記』をめぐって、企画検討会というのをジブリで開いた時に、「今はまだ、僕らは貴族の館の築地塀の中にいる。『どうもこの頃、給料の布をもらって売りに行っても、たいした粟が買えない』と、ぶつぶつ言っていたとしても、しょせん安全な築地塀の中にいる」と。「でも、そのうちだんだん築地塀が壊れるぞ。そうしたら舎人も持ち逃げするし、夜盗も入ってくる」などと話していたのです。
池澤夏樹さんと宮崎駿さんの章に興味を持ち、読みました。宮崎駿さんのは2008年の講演の一部を文字にしたものみたいです。
堀田善衛さんの著書は読んだことがありませんでしたが、『ゴヤ』は名前は知っていたくらい。ベトナム戦争中のベ平連の活動も今では想像もつかないくらい危険なものだったのかなと。
戦争を目の当たりにしてきた作家と現代の作家には大きな隔たりがあるようにも感じています。もちろんそれは平和が長く続いている証拠で恵まれたことでもあります。
昔、親戚の年配者の方と話しているときに「今の人間が戦争映画を作っても嘘っぽい。昔の戦争映画(戦争映画以外もですが)は全員が戦争なり空襲なり、飢えや貧しさを体験していた。だから目に宿っている光が違う。今の役者にあんな目はできない」と話していました。そのときはよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。
国内の小説をあまり読まなくなっているのは、現代の物語が偽物とまでは行かないまでも、私小説的な閉じた方向にあるからなのかなと思ったりもします。それがつまらないわけではありません。ただ、広く深い世界に触れたときの、言葉にできないような気づきが宿っている作品は確かに存在します。宮崎駿さんの言うところのハッとさせられる。救われるような感覚。各識者が敬意を持って語っている本でした。
内容はとても面白いのですが、2018年刊行のわりに、年代が年代なのか、対象のせいなのか、ホモソーシャルが過ぎる気もしました。