■内容
“東洋一のサウンド・マシーン”ことCKBの横山剣が、自身の偏愛をもって選び抜いた昭和歌謡120曲を題材に、その〈魔力〉を語り尽くした一冊。
楽曲とともに語られるのは、当時それらを聴いていた頃の個人的記憶やエピソードが交わり、また随所にトリビア的雑学も散りばめられ、実に情報量の多いレビューに、横山剣の昭和歌謡の偏愛ぶりがビジバシ伝わってきます。
そうそう…98頁には僕が小遣いで買った ♫よこはまたそがれ を取り上げ、横山剣に言わせると、よこはまたそがれは演歌ではなく、和製R&Bだそうな。当時小2のワタシは旋律に演歌じゃないモダンさをかぎ取っていたんでしょうか。
選曲の裾野は広く、演歌やムード歌謡にとどまらず、フォークやニューミュージックまで俎上に載る。2021年のカバーアルバム「好きなんだよ」には、この思いを反映し、モンロー・ウォークやスカイレストランを横山剣節で歌唱。一見すると意外にも思える選曲も、横山剣の〈昭和歌謡観〉を読めば、その必然性にイイネ!と膝を打つ。
■感想
横山剣の昭和歌謡観。
「昭和歌謡という大風呂敷は、ロックもフォークもR&Bもラテンも演歌も民謡も童謡も、まるごと飲み込んでしまう。一方で、IT環境が未発達だったため、舶来の情報が正確に伝わらず、結果として的外れな“ガラパゴス的進化”を遂げたところも愛おしい」と語っている。
余談だけど、この〈舶来〉という、高度成長期の日本を象徴する語彙で用いるところなんぞ、いかにも横山剣らしい言語感覚。
■極私論的「昭和歌謡とは?」
いきなり結論めくが、昭和歌謡は、特定のジャンル名ではない。定義すれば、「戦後日本の大衆が同時代的に共有した感情を、音楽に託した多様な表現の〈受け皿〉」と見る。
演歌・GS・フォーク・ニューミュージックといった音楽要素は対立するのではなく、歌謡曲という大きな枠の中で交差し、影響し合い、混ざり合いながら発展していった。
その中心には、阿久悠・筒美京平・浜口庫之助・服部克久といった音楽作家の存在があり、歌い手は〈表現者〉であり〈メディア〉でもあった。
また昭和歌謡の大きな特徴として、新曲リリースが3〜4か月ごとの異様なまでの速さで、ヒット曲は次々と更新されていった。
でも、それは刹那的消費ではなく、レコード会社・テレビ局・スポンサーが一体となった循環システムが機能していた証と解釈できる。
楽曲面では、何と言っても〈イントロ至上主義〉。歌い出す前から勝負は始まっており、イントロは名刺代わり。「あ、この曲や!」と瞬時に分からせる設計思想の下、楽曲は作られていたと推察。
GSからフォーク、日本語ロック、ニューミュージック、そしてJ-POPへ―その変遷は、日本社会が高度成長期から昭和元禄、ジャパン・アズ・ナンバーワンへと向かう歩みと重なっている。
電通総研的に言えば、「昭和歌謡は、経済・メディア・国民感情が同じ方向を向いていた時代だからこそ成立した、〈社会装置としての音楽〉だった」という見方もできる。(…知らんけど)
■最後に
横山剣は1960年生まれ、僕は1963年なので、3歳差って大きく、音楽を聴けば、あゝこの曲ねーってなるんだろうけど、知らない歌もあった。方や、目にした瞬間、往時の記憶が鮮烈によみがえる曲も少なくなかった。
それは、昭和38年生まれという“昭和ど真ん中世代”であるからだけど、それに加え下町に生まれ育ち、ビートルズやストーンズよりも演歌やムード歌謡が身近だったことが、ひとつの曲から記憶やエピソードが数珠繋ぎになり、僕なりの昭和歌謡論が感情論に寄らず、懐古にも逃げずに綴れたかなと思う。