作品一覧 2016/08/26更新 戦後論 試し読み フォロー 丸山眞男の敗北 試し読み フォロー 無学問のすすめ ――自分の頭で考える思想入門 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 伊東祐吏の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 丸山眞男の敗北 伊東祐吏 現代において戦後というものをどう考えていけばいいのだろうか?という疑問に突き動かされて本書と巡り合いました。 丸山眞男の思想の内容については良く知らない状態で読み始めましたが、本書は平易な文章でその概説をしているため非常に入り口として役立つものでした。 結論として丸山眞男の思想が枠に囚われた思想であ...続きを読むり、現代において既に敗北しているという論述がなされており、その論旨も納得いくものです。 それを踏まえた上で、本書を入り口として丸山眞男の著作を今読むことにどのような意義が出てくるのか不明瞭になってしまい、「丸山眞男思想の入門書」として本書を読んだ人はその入り口で心を折られてしまいかねないとも感じられました。 Posted by ブクログ 無学問のすすめ ――自分の頭で考える思想入門 伊東祐吏 一部同意できるところはある。あるが・・・なんともまぁ・・かなり攻撃的な本だと感じる。 ただ、学問をするのが正しい、最高、素晴らしいと無条件に思ってるならこの本をちょっとでも読んで他の視点を入れるはよいのかも? といっても最後のまとめ部分だけ読めばいいし、それに同意できるなら全面的に読めばいいかな? ...続きを読む 何にせよ、いろんな考えがある事はよいことで自分で考える必要性があるのは同意できるし、知識によって自分の考えが捻じ曲げられていくのはわからないこともない。 Posted by ブクログ 丸山眞男の敗北 伊東祐吏 戦後史のなかで、丸山眞男の政治思想および日本思想史における仕事がどのような意義を果たしてきたのかという問題を論じた本です。 著者は、丸山の福沢諭吉研究を手がかりにして、丸山が論じている福沢の思想的方法が、丸山自身の仕事にも見いだすことができると主張しています。その方法とは、状況認識にもとづいて社会...続きを読むという舞台での役割を演じるというものであり、著者はこの方法を「丸山の哲学」と呼びます。本書はまず、戦前の丸山が「近代の超克」の議論に対してどのように向きあっていたのかを明らかにし、つづいて戦後史の歩みのなかで丸山が、いわば逆風に向かって凧を上げるというしかたで、社会の動向や風潮に逆行してみずからの論考を提出してきたことを明らかにするとともに、政治の時代の終わりを迎え「無思想の時代」に入ったことで、そうした丸山の方法が通用しなくなっていったことを、「丸山眞男の敗北」というかたちでえがき出そうとしています。 著者は、丸山の戦争体験を参照しつつ、丸山の思想には自分たちが戦争で多くの死者を出したという「当事者意識」が欠けていたと批判しています。こうした著者の発想は、加藤典洋の『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)の考えを引き継ぐもので、戦後の日本が繁栄のなかで「無思想」へと埋没していったことを、改めて思想の問題としてとりあげる必要があると主張しています。 時代のなかで丸山眞男の仕事の意義を論じたものとしては、水谷三公『丸山真男』(2004年、ちくま新書)や竹内洋『丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム』(2005年、中公新書)などがありますが、本書は丸山のいわゆる「本店」の仕事も含めて、丸山の仕事を時代状況のなかに位置づける試みといってよいのではないかと思います。 Posted by ブクログ 無学問のすすめ ――自分の頭で考える思想入門 伊東祐吏 学問や思想の現実からの乖離を指摘することは、本書で取り上げられている吉本隆明を嚆矢として、これまでも繰り返しなされてきました。最近では、あるいは、『思想なんかいらない生活』(ちくま新書)などで知識人をメッタ斬りにした勢古浩爾や、「トンカツ屋のおやじ」のまっとうな生き様に関心してみせる『倫理という力』...続きを読む(講談社現代新書)の前田英樹も、同じようなスタンスを取っていると言えるかもしれません。 著者は、知性による合理的な認識よりも身体の知を重視する橋本治、養老孟司、内田樹らの議論を検討した上で、身体知をことさら言い立てる彼らが、なおも学問の呪縛から逃れていないと批判しています。ただ、そうした主張を展開する本書にしたところで、吉本隆明や小林秀雄、あるいはアレントやヴァレリーらの思索をたどり、彼らの思想を解き明かしながら「学問」批判をおこなっているわけで、果たして著者の言う「勃起する知性」からどれほど身を引き離すことに成功しているのか、疑問に思います。 そういえば三浦俊彦が、どこまでもメタ・レヴェルをさかのぼって〈私〉の追及をおこなう哲学者の永井均に対し、「「最後に1回首を傾げたほうが勝ち」的哲学ゲームは、必ずしも敏感さの証明にはならない」と述べていました。これになぞらえて言えば、「最後に1回そっぽを向くことが、学問の呪縛から自由だという証明にはならない」と言えないでしょうか。 Posted by ブクログ 無学問のすすめ ――自分の頭で考える思想入門 伊東祐吏 人間生きている限り、先人が積み上げてきた智慧・知識の影響を受けながら、日々の生活を送らざるを得ない。 著者は、結局、自分の頭・身体で考えることが大切だという。 智慧・知識の影響を受けることなく。 「無学問」という概念も、所詮、先人の培ってきた智慧・知識の影響を受けたうえでの著者の「学説」という矛盾を...続きを読む孕んでしまっている。 もうひとつ、解ったような解らない本でした(笑)。 Posted by ブクログ 伊東祐吏のレビューをもっと見る