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Posted by ブクログ
学問や思想の現実からの乖離を指摘することは、本書で取り上げられている吉本隆明を嚆矢として、これまでも繰り返しなされてきました。最近では、あるいは、『思想なんかいらない生活』(ちくま新書)などで知識人をメッタ斬りにした勢古浩爾や、「トンカツ屋のおやじ」のまっとうな生き様に関心してみせる『倫理という力』(講談社現代新書)の前田英樹も、同じようなスタンスを取っていると言えるかもしれません。
著者は、知性による合理的な認識よりも身体の知を重視する橋本治、養老孟司、内田樹らの議論を検討した上で、身体知をことさら言い立てる彼らが、なおも学問の呪縛から逃れていないと批判しています。ただ、そうした主張を展開する本書にしたところで、吉本隆明や小林秀雄、あるいはアレントやヴァレリーらの思索をたどり、彼らの思想を解き明かしながら「学問」批判をおこなっているわけで、果たして著者の言う「勃起する知性」からどれほど身を引き離すことに成功しているのか、疑問に思います。
そういえば三浦俊彦が、どこまでもメタ・レヴェルをさかのぼって〈私〉の追及をおこなう哲学者の永井均に対し、「「最後に1回首を傾げたほうが勝ち」的哲学ゲームは、必ずしも敏感さの証明にはならない」と述べていました。これになぞらえて言えば、「最後に1回そっぽを向くことが、学問の呪縛から自由だという証明にはならない」と言えないでしょうか。
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