大人になれば全てが良くなる。という言葉を信じられる子供なんているわけない。目の前の息苦しい思春期だけが人生の全てで、他に選択肢なんて無く、あらゆる感情がインフレし、恐ろしい事件がたくさん起こるのだが、刹那性と必死さ、純粋さが、サイコホラーやミステリーというより青春小説っぽい美しさがある。
やっぱりリチャードがとても魅力的なキャラクターだった。孤高だが一度気を許すと独占欲が強く、支配的、残酷、カリスマに溢れ、邪魔をするやつは自ら手を下すことなく破滅させる。しかし根底にはお母さんに置いて行かれたことが受け入れられない小さな子供のままの、依存先を求める消化不良の幼さが潜んでいる。ヤンデレの極地。ギャップ萌え。いわゆる「私にだけ優しい殺人鬼」。
リチャードとジョナサンはBLジャンルの「アルファとオメガ」みたいな関係。最近はアルファの凶悪な本能を、生涯付き合っていく病気のようにコントロールしなければならない、と奮闘する作品もあって、リチャードも、時代や状況が違えばなんらかのパーソナリティ障害と診断され、ケアできたのかも。
それで言うとジョナサンも大概、オメガ的な気性というか、リチャードはたしかに悪魔的だがジョナサンだって、リチャードを絆したり周囲の人たちに放っておかせないような魔性がある。優しくて自信がない男の子が、無防備な憧れや好意を向けてくれたらめちゃくちゃ庇護欲が湧く。タイミング的にも、慕っていた上級生が亡くなり、父親が去っていくことに怯え、安心して身を委ねられる相手を求めている。支配対象を求めるリチャードと悪い意味でベストマッチングしてしまう。
支配×受容、父親×母親という関係で、お互いの弱い部分をさらけ出して、パズルのピースがぴったりはまるように寄り添いあってる姿はとてもかわいい。あの瞬間が永遠に続けば良かったのに…。
リチャードは二人の仲を引き裂くやつらをジリジリと追い詰め、やがて終盤、怒涛の勢いで人が死ぬ。とても凄惨なのだが本当に1ページごとにバンバン死ぬので、駆け付けた警察が「なんだこの学校!?」ってびっくりするのが一周回ってシュール。
ニコラスは心霊的な事件だと証言したが、真実はリチャードが弱みにつけ込んで精神的に操って追い詰めてたってことだよね? 悲劇が重なったタイミングはたしかに見えざるものの力を感じるけど…。リチャードの死因は自殺? ジョナサンを殺してしまったショックで? ジョナサンが今際の際に責めたことが図星で、自家撞着してしまったから? 自分の中の狂気に抵抗しようとした? 彼の死はジョナサンの意図したことだった? それともリチャードの死だけは本当に超常的な力で? それともこれまでの全部の死が?
霊応ゲームとは何だったのか? 大人でさえ自分の中の後悔や疑心、軽率さで身を滅ぼしてしまうのだから、繊細な年頃の子供たちなら尚更、超常的な何かを信じることでそれに後押しされ、狂気的な衝動がコントロールできなくなってしまったのだろうか、と考えている。日本でも、コックリさんで集団ヒステリーという事件を聞いたことがあるし、海外ではまさしくウィジャボードで同じように集団パニックになったという話もある。若い子供たちが集団で何かを信じるふりをすると、彼らの中では簡単に真実になってしまうのかも。リチャードは普通の人には備わっている、暴力や悪意のブレーキが無かったから、世界中の何もかも憎んでいた途方もない憎悪が自分自身に向けられ、信じられないような自殺の仕方ができたのかも。
大人もたくさん死ぬのだが、自業自得というと過激だが、事件が起こる前から不安定で、リチャードが引き金を引かずともいずれは心を蝕まれていただろうなという経緯がある。一方で子どもたちの死はどれもとても痛ましい。残忍ないじめっ子のジェームズでさえ。ジェームズをただの嫌な奴として終わらせず、家族との関係や、取り巻きたちとの彼らなりの友情、彼らがいなくなった時の孤独と不安、絵の才能など、年相応の描写されるのが意地悪い。
リチャードほど過激な人はまさかいないだろうが、友達を奪われる嫉妬や焦り、永遠を信じていた友情の裏切り、学校という狭い社会でのシビアなカースト、自我の肥大、憧れの人への同化欲求、作中の少年たちが苦しめられるさまざまな問題はたぶん多くの人に覚えがある。あんなに酷いことがたくさん起こったのに、誰しもが経験する青春のままならなさが、恐ろしさよりも同情を煽る。もうちょっとだけでも良い方向にどうにかならなかったかな…という悲しい読後感。みんな、リチャードも、まだ子どもだったのに…。