先日講演を聞く機会があった松山さんの最新著書。
何かをすることで何かを得る「物資的な豊かさ」から、余計なものを削ぎ落とし本質を見つめることで「精神的な充足」を得る。これがZENの考え方。考え方はいたってシンプルなんだろうけども、ウーン、深い。でも、何かこう痺れるようなカッコ良さがある。この著書を読むと、ちょっとだけ大人の階段を登れるような気がします。
・働きを見る。意味の無いことにでも、意味の無いことにこそ、どのような心がけで対応しているかで、その人の本質が透けてみえる。どんな些細なことにでも心を砕いて対応出来る人間なんかを見る。
・陰徳。誰が見ているわけでもないが、良い行いをすること。良いことをしていれば主張しなくても、自ずとその行いはわかるもの。そしてその人の人格が磨かれ、にじみ出るものが出てくる。
・禅は本当にシンプル。しかし、ただ手を抜いただけの単純なものとは異なる。考え抜いたあげくの究極形。無駄なものを何一つつかっていない。だからこそ、そこに見る人の気持ちが反映され人をの心を動かす。
・キリスト教やイスラム教は一神教。人類を超越した絶対なる神を崇め、神に導いて貰う、すなわち何かをすることでゲインするというスタンス。一方の仏教は、お釈迦様も同じ人間であり、お釈迦様同様、1人の人間が修行を通じて、悟りを開けると考えるもの。何かを信じた対価として救って貰うのではなく、自らの修行で道を切り開くというスタンス。同じ宗教でもスタンスは全く異なる。
・マインドフルネスと禅は似て非なるもの。マインドフルネスは心の安定を求めて行うもの。一方、禅は瞑想なら瞑想を、走るなら走ることそのものを、ただ集中して行う。つまり行動の対価を求めるか否か、が根本的に異なる。確かにマインドフルネスにより、一時的には心の安定がもたらされると思うが、この安定は長く続くものではない。一方で、禅は、一時的な安定がすぐに得られることはないが、突き詰めて行けば永い安定がもたらされるもの。
・無意識の意識。人が意識出来るのはわずか5%。95%は無意識がしめる。人間は極限を超えることで初めて無意識の領域に働きかけることができる。この無意識の領域をも正していくために、極限を超える修行を行う。
・今、我々が豊かな生活が出来るのは先代が築き上げてきたものがあったからこそ。先代の遺産を食い潰してばかりで、未来に残す種を植えられているのか。危機感を持つべき。
・不二。白か黒かといった二次元的な捉え方はしないという考え方。何事も二つの立場に分けることはできず、その間には無限の立場や考え方があると捉えるのが日本流。グローバルというと、海外の考え方に我々が歩みよらねばならないと考えがちだが、大事なのはお互いの国の考え方やスタンスを尊重すること。日本には日本の考え方があるのだからそこはもっと自信を持つべき。不二というスタンスを持つ日本だからこそ、相手の国を尊重出来るし、また、日本人の曖昧さはマイナスのイメージでとらえられがちがだが、ビジネスの世界で考えるなら、この曖昧な態度が非常に交渉しにくい、ハードネゴシエーターに映る、武器になる。
・日本では守破離という言葉がある。型を学び、型を突き詰めた後に、型破りのステージが来る。形無しの型破りは長続きせず、一発屋で終わることが多いのではないか。これをクリエイティブという考えに置き換えると、西洋では生まれる数は多いが形の無い斬新さ、目新しさが多いのでないか。一方で、日本では生まれる数は少ないかもしれないが形を突き詰めて研ぎ澄まされた普遍的に受け継がれるものが多いのではないか。
・リーダーシップというのは身に付けようと思って身に付くものではなく、人として当たり前のことをし続けた先に自ずとついてくるもの。
・いいことは、世の中をゆがめる可能性があることに心を致さなければならない。いいことをしたいという自己満足のための行為になっていないか、本当に世のためになることなのかを考えること。
・与えられた環境の中で、いま自分ができる最良のことをする。他人の行動に干渉し、あれこれと思いを膨らませない。