オリンピックが単なる一過性のスポーツイベントではなく、有形無形のレガシー(遺産)をもたらすことを過去の大会の歴史から読み解き、2020年東京大会のあるべき姿を考える。
直近のロンドン大会においては、有形レガシーは、開発をロンドン東部ストラットフォード地区の廃棄物•工場用地だった地域に集中し、環境へ
...続きを読むの配慮、サステナビリティ、有害な化学物質等による土壌汚染が深刻だった地域の都市再生を実現した。
一方、無形レガシーとしては、イギリス国内のスポーツ振興、東部地域変革、若者世代をインスパイア、環境配慮型ライフスタイル、イギリスという国のPR。
ロンドン(1948)
大戦後初の大会。ロンドン郊外の病院で、戦争で負傷した元軍人がスポーツ大会を実施。これが後のパラリンピックに発展。敗戦国である日本、ドイツは参加できなかった。
メルボルン(1956)
英仏のスエズ動乱に反発したエジプト、レバノン、イラク、ソ連のハンガリー侵攻に抗議したスペイン、オランダ、台湾の参加に反対した中国がボイコット。
ソ連とハンガリーが直接対決した水球は、乱闘に発展し試合中止となるも、結果はハンガリーが圧勝し、そのままの勢いで金メダルをとった。大会後、ハンガリー選手100名のうち45名が大会直後に西側諸国に亡命。
ローマ(1960)
古代遺跡を体操やレスリングの会場に利用。アベベは裸足で走って金メダル。アパルトヘイト政策の南アはこの大会から92年バルセロナでの復帰まで参加禁止の制裁を受ける。初めて、本大会直後にパラリンピックが開催される。
メキシコ(1968)
ドイツは東西が別々に参加。この大会からドーピング検査実施。アフリカ系アメリカ人が黒人初のメダルを獲得。表彰台で人種差別に抗議し、永久追放を受ける。
ミュンヘン(1972)
大会中にパレスチナゲリラによるテロ発生。選手村に侵入し、イスラエル選手2名を殺害、9名を人質に立てこもる。イスラエル国内の捕虜250名の解放を要求するもイスラエル政府はこれを拒否。最後は西ドイツ当局との銃撃戦となり、人質は全員死亡する悲劇的結末となった。
モントリオール(1976)
大会開催費の巨額債務。当時はまだ民間企業のスポンサー制度がなく、73年のオイルショックによる物価高騰で予算を大幅にオーバー。モントリオール市は負債完済まで30年を要した。
モスクワ(1980)
東西冷戦のさなか、アメリカ、日本、西ドイツ、韓国の他、ソ連の軍事的脅威にさらされていた中国、イラン、パキスタンなど約50国がボイコット。
ロサンゼルス(1984)
モスクワの報復で、ソ連など東側16国がボイコット。税金を1セントも使わない大会を謳い、商業化が一気に加速。テレビ放映権、一業種一社スポンサー、入場料、グッズ販売で約400億の黒字。
ソウル(1988)
東西両陣営が12年ぶりに揃った大会。史上最大の黒字大会。ベンジョンソンのドーピング問題。
バルセロナ(1992)
共産主義諸国の国策としてのアスリート養成が席巻した時代は終わり、商業主義によるプロ化路線が目立った大会。
アトランタ(1996)
IOC加盟国197すべての国が参加。選手よりもテレビ放映やスポンサーの意向が優先される行き過ぎた商業主義に対する批判が強く残った。
シドニー(2000)
アボリジニーとの融和、韓国北朝鮮の統一旗掲揚、インドネシアから独立した東ティモール選手の個人参加など、民族融和が話題になった。
産廃処理場跡地にオリンピックパークを整備し、再開発に成功。大会後も開発は進み、国内最大規模の都市公園に進化。市民ボランティア活躍。
アテネ(2004)
911後のテロ対策、チケット販売不振、施設維持費など、財政悪化の原因となった。
北京(2008)
民族団結、男女平等を掲げるも、聖火リレーの直前にチベット独立を求めるデモや暴動が発生。大会そのものは円滑に終了。ただし、北京市北部に建設された施設は、大会後あまり活用されておらず、ゴーストタウン化が進んでいる。