ブルックリンにあるハシディックのユダヤ教徒のツアーに参加し、改めてユダヤ人の歴史を知る必要があると思った。
ツアーの中で何度もトーラ(モーセ五書)が話題になったのだが、自分の勉強不足で知識が追い付かない。
モーセの十戒や旧約聖書のことはおぼろげに理解しているのだが、体系立てて理解ができていない。
本
...続きを読む著はユダヤ人の起原から現代まで約三千年以上に亘る通史を入門書的に著したものなのでとても分かりやすい。
ユダヤ人は世界各地に拡散しているのだが、例えば、何故、ロシア東欧にあれだけの移住が起こったか、歴史を追うとその背景がよく理解できる。
ユダヤ人の歴史は迫害の連続で、途中、読むのも辛くなる程の内容なのだが、それを背負ったユダヤ人のアイデンティティは我々には計り知れない強さがあるのだろう。
民族のもつアイデンティとそれ故のコンフリクト、これは単にユダヤ人だけの問題でなく、現在も世界中で起こっていることである。ユダヤ人の歴史を学ぶことは、それらの問題に向う意識の基礎を学ぶことなのかもしれない。
以下引用~
・(「トーラー」に関して)ある部分民族的アイデンティそのものを宗教にしてしまったのである。この創作こそ、今日に至るまで、ユダヤ人のアイデンティティとユダヤ人の宗教の大きな特徴となっている。
・封建制度のもとユダヤ人が土地を所有することはめったになく、仮にあったとしてもやがては奪われる運命にあった。この特異な地位は、ヨーロッパの民衆とユダヤ人の社会的、経済的な立場の違いの根幹をなすものであった。そして、それに宗教的異質性が加わり、一般民衆が安定した生活を送れた良い時代においては嫌悪、悪い時代においては憎しみの対象となった。
・十字軍の活動とともに始まったユダヤ人迫害の波は中央ヨーロッパのユダヤ人を東のポーランドやリトアニアのほうへ追い立てた。東の国々の支配者たちがユダヤ人を喜んで迎え入れた事実も見逃せない。オスマン帝国のスルタンがセファルディムの持つ高度な知識と技能、国際的なビジネスネットワークに目を付け、自国の領土に移住することを奨めたのと同じような理由で、ポーランドの王や貴族はアシュケナジムを彼らの領土に招いた。
・ドイツにいたときからユダヤ人の話すドイツ語にはヘブライ語の要素が交じっていたが、東ヨーロッパに来てからはそれにスラブ語の要素が加わり、元のドイツ語とはかなり異なるものになってきた。これがイディシュと呼ばれる言葉である。