代島治彦の作品一覧
「代島治彦」の「きみが死んだあとで」「ミニシアター巡礼」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「代島治彦」の「きみが死んだあとで」「ミニシアター巡礼」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
閉店したミニシアターBOX東中野館長だった著者が全国の小さくても頑張っている映画館をめぐる本です。
ミニシアターを立ち上げた人にはいろんなタイプがあるのだとわかりました。監督が支配人の映像作家発信型の沖縄桜坂劇場、自分が見たい映画を観たい一心で夫の赴任先で映画館を立ち上げた元映画供給会社の女性が運営する金沢シネモンド、自主上映活動の延長京都RCS、おばあちゃんが残した映画館を守ろうとする三重の進富座、等々。
そのなかに岡山のシネマ・クレールも一章設けられている。題して「映画を愛するサラリーマンがつくった、究極のミニシアター」とある。岡山は自主上映サークル発展型というよりか、一会社員が作った映画館なのです。
館主の浜田さんはほぼ独力で自分が見たい映画館を作った。48歳で大手会社の退職金をすべてつぎ込んだという。「どうせつくるなら、最高の環境を」その拘りには著者も舌を巻く。シートや音響施設が良いだけではない。前の席との高低差があり、座席の横列が湾曲しスタジアムのようにスクリーンを囲んでいるという。そういえば……。きちんとした設計士に新築で作らせた結果である。全国的にも珍しい。
「クレールの年間公開本数は約200本だという。T0H0シネマズ岡南よりも多い。シネマ・クレールがなくなると、岡山で年間200本の映画が未公開になる。町からひとつのミニシアターが消えることが、どれだけおおきな文化的損失になることにどれだけの人が気がついているだろうか」と著者は書く。私も全くの同感。去年の岡山の上映本数を調べてみた。クレール163本。クレール含めてシネコンや映画館の上映本数は合計251本である。クレールがもしなくなれば、岡山で四割の映画が見れなくなるのである。08年には石関館は閉館したが、丸の内館だけは死守してもらいたい。そのためには、先ず映画館で映画を見ようではないか。
Posted by ブクログ
一年後大学に入り、そこで学生運動を少し経験した者として身につまされ複雑な気持ちで読んだ。
山崎博昭は1967年10.18羽田闘争の天神橋で先頭集団にいて機動隊との激突で死んだ。撲殺か轢死か死因は別れる。彼は大阪のベニヤ板職人の父と子煩悩な母のもとで姉と兄三人兄弟の末っ子として育つ。大手前高校で常にトップの成績で家族の期待を背負い京都大学文学部に現役で入学する。高校では思想や政治の問題に積極的な生徒が多く、大学に入って学生運動に参加していく。全国的に学園闘争が盛り上がり、彼も京大で中核派(セクト)に入り活動する。この本は当時の学生運動に憧れていた10歳年下の代島治彦が早稲田大学を出て映画監督になり『君が死んだあとで』という3時間20分のドキュメンタリー映画を制作するにあたって、山崎の友人や関係者14人から90時間に及ぶインタビューをした時の記録である。映象に漏れた部分も含めて、日大全共闘の秋田明大の聞き取りも入れて、更に自分の軌跡(自分の話1〜8)を挟んで編纂した、山崎に関わった人たちのその後の人生記録である。
なかでも、兄建夫の話は悲しく痛ましい。
警察から連絡が来て「弟とは違う違う」と言い聞かせながら遺体にあうが、見知った「天狗のマーク」の入ったシャツを見て絶望する。
一人だと可哀想だと思い解剖に立ち合い、綺麗な体を見ながら、母親に頼まれた「遺髪が欲しいのでちょっと切ってくださいとちょん切ってもらいテイッシュに包んでポケットに入れる」。撲殺か轢死か、死因のやり取りはについては曖昧な点が多い。
家に帰って母親に遺骨を渡す、哭に泣いた。
それでも母が一番辛かったことを痛感する。
その後、母親は救援センターに毎月カンパを送る。
彼は2年後高校の国語教師になり反戦青年委員会(中核派)の活動をするが、内ゲバに嫌気がさし運動から離れる。2005年早期退職し弟のことの聞きとり・資料収集を始め、2014年に「10.8山崎博昭プロジェクト」を始める。
次に、このインタビューを通して学生運動における政治党派(セクト)の異様な悍ましさが際立つ。その幹部や指導者について「自分の立場・身分を確保しつつ革共同の指導部でもある・・・最後のところで自分の生活ということを抜きに革命のことは考えない」、「いつまでもやめないで頑張っている人たちは他のことができないからいるだけ」「彼らはイノベーションを拒否した生き方(青木昌彦)」・・・と語られる。
今はワイン醸造のブドウ栽培をしている赤松英一の言葉である。高校時代から学生運動のリーダーとして多くの後輩を引き込んだ責任は大きいが、彼の肉声である。相当言葉を選んで言っている。
セクトにはオーム真理教や統一教会と同じものを感じる。宗教に代えて革命や共産主義を題目にして、学生をオルグと称する洗脳をし組織的に推進し、挙げ句の果てが「内ゲバ」で夥しい犠牲者を生む、ということをしてきた。関わる本人の問題であることは論を俟たないが、山崎博昭のように18年で人生を切断されること以外にもどれだけの有意の人材が道を逸れたり死んだか、家族や周りの人達を悲しませたか。
セクトやその指導者・幹部の責任は極めて重い。
その罪は底知れず、決して許されることではない。
恵まれた立場にいる人を引き摺り下ろす「怨望」で党派が政治権力を奪うためにイデオロギーで学生運動を利用し大衆動員の道具に使う。
ソ連や東欧が破綻し中国や北朝鮮の現状を見ればマルクス主義・共産主義革命の誤りは結論が出ている、歴史が証明している。
このことは、ノンセクトの学生運動とは決定的に違う。今は社会に意見を言う学生や若者の存在がますます重要である。学び・考え・議論し、意思表示をする自由は日本の大学の財産でもある。それがセクトの偏狭で誤った政治性に歪められたことで、政治への無関心を生み政治が劣化し、社会としても大きな損失を被ることになってしまった。
14人の運動への関わり方の濃淡やその後の歩みの違いはあるが、青春の決定的な一時期をこのような活動に熱中した経験は切実であり、各々の人生の生き様を大きく模っている。
編者の世代故と嗜好で淡々とした比較的明るい談話集になっている。
吉見俊哉の『東大紛争 1968-69』
(安田講堂での最終講義のライブ配信)
安彦良和の『わかり合えないをわかりたい』
(Eテレ 心の時代)
を見たこともあり、尚更考えさせられた。
人生を反芻し内省をもって読んだ。
あの時、活動よりもっと勉強をしたり本を読んでおけばという思いもあるが、過去は拭えず、いろいろな意味で後悔の原点である。その後50年、それを踏まえてどのように生きたか、自分が辿る現実の生き方が実際にどうであるか、これこそが重要だとつくづく思う。
人生の晩秋期に、心の整理を促すことになるドキュメンタリー集であった。