現代語訳や解説も良く、面白く読んでいたのだが、原典である『韓非子』自身の推敲がなされていないので内容的な重複が多く、篇の並びの系統性の無さも相まって100ページ超くらいまで読めばくどい印象を受けた。
内容の重複と冗長さから『韓非子』は、以前読んだ『孫子』のような簡潔ながら明察という感想にはならなかったが、『孫子』が注釈が無いと内容がうまく理解できないのに対し、本書は内容の解説がほとんど無いにもかかわらずよく意味が通っている。文章としての完成度は非常に高いと感じた。
君主の心得、臣民の心理、奸臣の性質などで内容を分類し直し、重複する故事や内容を精選し、整理、統合することでページ数は半分くらいになるのではないかと思った。
原著を必ずしも読みたいわけではなかったことと、本文中に原文(書き下し文や漢文も読みたかった)もなかったので、『飾邪』の文中で『十過』のコピペかと思うほど全く同じ文章が出てきたところでギブアップし、内容が整理された解説書を探して読むことにした。
より効率的に内容を得られる方法があると思って第6巻の末までで読むのを止めたが、そこまでの内容でも印象に残るものが多く、魅力があった。
2000年以上前の書籍であるのに現代に通じるような考え方をしている点はスゴいと思う。
第1巻 第5篇『主道』は君主が臣下を使う際の心得を説いているが、君主の優れた能力を発揮するのではなく、多数の臣下の集合知性を活用するほうが良いとする考えはすごいと思った。
第5巻 第15篇『亡徴』はいくつか注目すべき内容が箇条書きのようにまとめられている。
まずは、占いを否定している点がすごい。「日本はこれより1000年以上後でも方違えとかをしてるのに、紀元前3世紀にこれか!」と驚いた。第5巻 第19篇『飾邪』ではこの占いについてより踏み込んでいるが、占いによる超自然的な因果の関係をほとんど否定しているように見え、自然現象を把握する術がない時代に生きながら、非常に現実的な考え方をしていると思った。
また、これ以前の篇でも述べられているが、親愛や憎悪ではなく「利益」が行動のモチベーションになることを強調しているのも面白い。全く恨みがなくとも党派の性質によって「君の死」を利益とするものが現れる過程を具体的に説明している部分はなるほどと思う。
第4巻 第14篇『姦劫弑臣』の儒者批判の続きのような内容も興味深い。『姦劫弑臣』では民への仁徳による施しを否定しているが、本項では、仁徳ではなく実利(自身の脅威となる臣下の力を削ぐ目的)のために民を富ませよと述べている。儒教的な聖王ではないが落ち着くところが同じというのも面白いし、ここでも韓非の徹底した合理主義、現実主義的な部分を感じる。
君主でない現代の人にもためになる内容も詰まっていた。
いくつかを挙げると、
第1巻 第3篇『難言』は、自身の考えを挙げることや、それを受け入れてもらえることの難しさが書かれている。賢人が名君に対してですらしつこく申し上げる必要があった故事からは、受け入れられるまでに忍耐が必要であることを、暗君に言上して不興を被った例からは提案の内容だけでなく相手やタイミングの重要性を知れる。いつの時代でも「上が分かっていないからオレの(優れた)考えが通らない」という愚痴は聞かれるものだが、2200年前にそれに対する一つの答えが書かれているように思う。
第1巻 第5篇『主道』は人を使う、育てる際にも心がけることだと思った。相手の自主性や長所を潰さないためにもこちらの考えを表に出さず、読ませないというようにも考えられる。
第2巻 第7篇『二柄』はあまり賛同できない内容も多いが、「述べた以上の成果を罰する」という部分は、なかなかできることではないが重要な姿勢であると思った。
これは業績の上方修正を繰り返す場合の見方にも役立つ。上方への修正は一見良いことのようで叱りにくいが、意図的に低い予測を出している疑いや業績予測をする能力が欠けていることも考えられる。誰かを管理する立場であれ、市場を見る場合であれ、忘れがちな見方だと思う。
第4巻 第12篇『説難』は他者と議論するときの姿勢としてわかりやすい。
以前流行った「論破」することがいかに無意味であるか、というよりも、相手を打ち破るよりも自身の考えが採用されることの方がいかに重要かつ困難であるかが理解できる。また、そのための気配りや言葉選びというものが、決して日本ならではの習わしではないこともわかる。
内容的にも、相手に応じて話すスタイル・力点を変えることや相手のモチベーションを金か名誉の4パターンで分類しているところなどは現代でも通用する心構えとなっている。
本書を読むような人には自明のことかもしれないが、
春秋戦国時代や諸子百家について詳しくないならば、巻末653ページからの『解説』を最初に読むと良いと思う。本書が書かれた際の時代背景や本書の位置付け、韓非の経歴や性格などがわかり、本文の内容を読みやすくなる。
また、春秋戦国時代の人物について事前に知識があると本文の理解が進むとも思う。
本文中の管仲、伍子胥、孫臏など当時の著名人は宮城谷 昌光の『春秋名臣列伝』、『戦国名臣列伝』などで注釈以上の情報を得ていたので例えがするりと入ってきた。
春秋戦国時代は多数の国に君主がいるので、様々な年代で同じ名前(桓公や文公、荘公など)が出てくる。本書では扱われないが、年号の付け方も「(秦の)孝公6年」のように君主の名前と即位してからの年数で表現するので、君主の名前だけでなく国名まで合わせないと意味が通らず混乱する。君主を氏名で表記するようになった以降の時代では見られない、この時代ならではの性質(この時代はどこも姫姓ばかりなので氏名でも混乱する)だが、他書でも説明されたことはないので、少し知識があると混乱しないで済む。