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私根は凄い人見知りだし学校も嫌いだったからこういう不登校とか引きこもりになって社会的に孤立する人達の心理分かるんだよね。社会人みたいに自由じゃない、逃げ場が無くてがんじがらめだった学校生活は友達に自分のセクシャリティを常に嘘ついてる感じがして友達ともどこか心の距離置いて関わってたから人間関係を築き上げる能力が上がらないままで凄い下手だったけど、最近は私が失敗しちゃってもごめんねって謝ったら許して貰えて友達でいてくれる人も徐々に増えた感じがする。
関水徹平
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。早稲田大学文学学術院助手、同非常勤講師を経て、立正大学社会福祉学部専任講師。専門は社会学
藤原宏美
関西大学経済学部卒業後、民間企業・法律事務所の相談員を経て、不登校ひきこもりの子供を対象に1998年、メンタルフレンドによる訪問サポート活動をする団体「トカネット」を立ち上げる。翌年(現)NPO法人不登校情報センターと活動に共にして、同センター訪問支援部門「トカネット」として活動を広げる。トカネット代表・NPO法人不登校情報センター理事
独身・無職者のリアル~果てしない孤独~ (SPA!BOOKS新書)
by 関水 撤平、藤原 宏美
これは第一章でも詳しく説明しますが、スネップ(孤立無業者)と呼ばれる人びとの定義は、 20 ~ 59 歳の、結婚したことがなく、学生でもなく、家族以外との人付き合いがない、孤立状態にある無業者。経済学者である玄田有史教授が提唱した言葉です。ちなみに玄田教授はニートという言葉についても、日本における第一人者でもあります。
「はじめに」で書いたように、スネップ(SNEP)とは、経済学者の玄田有史教授が提唱した言葉で、文字通りには、孤立した(Solitary)無業の(Non-|Emplyed)人びと(Persons)を指します。より詳しくは「 20 ~ 59 歳の、結婚したことがなく、学生でもなく、家族以外との人付き合いがない、孤立状態にある無業者」と定義されています。
ケース ④ 公務員試験浪人からひきこもりに 資格に固執し、後戻りできない 北海道在住の吉田啓太さん(仮名・37 歳)は、典型的なスネップです。
頑張った分だけ報われた、そんな時代は確かにありました。それがいつから神話になってしまったのか。一流大学・一流企業といった 印籠 のような安心を得て、その中で何を得て、何を失っていくのでしょうか。仮に高学歴で一流企業に就職できたとしても関係ありません。それでもスネップには誰もが陥ってしまう可能性があるのです。
お金や広い家、車が欲しい、また社長になりたい、もっと学びたい、海外旅行がしたい、彼女が欲しい、出世したい……、人間の欲には本来、際限がありません。修行僧でもない限り、人が社会の中でモチベーションを高く持って生きていくために、そして自分にとってより価値の高い生き方をするためには、多少の欲は必要なのです。 私は、人間の欲が生まれる条件には二つあると思います。まず一つ目は、社会の中に自分の居場所が存在すること。二つ目は、自分を肯定してくれる人がいることです。この二つが存在してこそ、自分は社会の中に存在してます。
のだという自己肯定が生まれます。そうなれば「もっと自分を高めたい」と思う向上心から、必要な欲が生まれてきます。そして、その欲は実現するための意欲や気力・モチベーションになり、具体的に活動エネルギーとなって動きだすわけです。つまり、社会参加をしていないひきこもりの人たちが動けないのはそういった欲が少ないため、活動エネルギーを生み出せないのです。
人と関わるなかで傷ついた経験からコミュニケーションへの苦手意識をもつようになり、人との関わりを避けたり、仕事に就くことを避けたりした結果として孤立無業の状態に至っているようなケースもあれば、うつ病などのために 10 年近く勤めてきた会社を辞めた結果、孤立が深まり、スネップ状態に陥っているようなケースもあります。
社会のレールが強固になればなるほど、いざそこから外れたとき、身動きが取れなくなってしまいます。それは、ひとつには、周囲を見回しても、それ以外の生き方がみえないからです。 また社会のレールから外れた人びとに対しては、周囲からの非難の目もあります。平日の昼間に学校に行っていない子どもは、周囲から奇異の目でみられ、精神科を受診させられ、強制的に入院治療をされるような時代もありました。
作家の雨宮処凛は、北海道から上京し、不安定なアルバイト生活を続けるなかで、1990年代後半に、愛国主義者の集団に参加し、日本という国との一体感を持つことで、自分の存在意義を確かめようとした経験について語っています。
教育社会学者・本田由紀は、「コミュニケーション能力」は学校教育によって身につくものであるというよりも、家庭環境によって左右されるものであると議論しています。
社会参加というのは、いきなり登校や就労につなげることではないのです。まずは、家族以外の人とつながっていくことです。誰か一人安心できる人をつくって、その人と雑談をして笑うこと。これが社会参加の始まりだと思います。
ひきこもりの自助グループに3年ほど通ったJさんは、そこにはもう行かないことに決めました。そこは居心地がよくていつでも受け入れてくれる場だけど、そこにずっといたらひきこもっていたときのように、そこからまた抜け出せなくなると不安になったのです。そして個人的に仲良くなった人と、外で会うようになっていったのです。 それからは、ネットで普通のサークルを探しては参加し、一般の社会人や、学生たちと交流を深めていきました。その中には、 30 代でバイトを探している人もいれば、働きながら資格の勉強をしている人もいました。今度はもう少し現実的な社会で生きている等身大の彼らから影響を受けて、自分も何かしなくてはいけない、もう一度やり直したいと思うようになってきたといいます。 それから、Jさん昼間は派遣でバイトをしながら、夜はパソコンの資格を取るために学校に通いました。
再出発しようとしている年齢の変わらない人たちと出会って、「大丈夫かもしれない、やり直せるかもしれない」と思うようになっていったといいます。
Hさんが 17 歳のとき、訪問支援を受けることになって、大学生のメンタルフレンドと関わるようになりました。メンタルフレンドとの関わりで、家族としかつながりがなく、孤立状態だったHさんが水を得た魚のように元気になり、ゲームをしたり、話をしたり、一緒に外出したりしているうちに、だんだん外の世界に意識が向いていったのです。
そしてもう一つ大事なことは、やはり友達や仲間とつながって、頑張っているお互いを肯定し合っていくことです。そこからまた新たな活力が生まれていくのだと思います。
今までは、不登校や、ひきこもりの人の対応というと、フリースペースや、就労支援の場といった「居場所」的な発想の支援が主流でした。もともと対象者の多くが、他者との関係の構築が苦手で、学校や職場に行けなくなってしまった人たちです。そう考えるとそうした居場所に行ける人たちよりも、家で、他者との関わりを持たないで孤立している人たちのほうが遥かに多いようにも思います。その対応が、やっと始まったのではないかと思います。対応が多様化してきたのです。
家族以外に自分を受け入れてくれる人がいるという安心感です。そこから自己肯定感が生まれて、やがてはそれが自信となります。今まで人の視線が怖くて電車に乗れなかった人が電車に乗れるようになったり、集団にはいれなかった人がフリースペースに行けるようになったり、学校に戻れたり、メンタルフレンドと一緒に大学見学に行って進学をしたり、バイトができたりと、それぞれの子供の状態に合った社会参加につながっていきます。 友達などの家族以外とのつながりがほとんどなくて、孤立状態で不登校をしている子供は、孤立して仕事をしていない、孤立・無業者の人たちと基本的な状態は似ています。
働くことは、きわめて重要な社会との接点ですが、それ以外の社会との接点の持ち方もあります。「仕事」という社会との接点を失ったとしても、仕事以外の人間関係があれば、本人は次の展開を考えることもできるでしょう。 しかし、「無業」に「孤立」が重なることは、仕事だけでなく、家族以外の社会との接点がすべて失われてしまっていることを意味します。社会との接点の持ち方は「仕事」だけではないと思いますが、社会との接点が大きく失われている「孤立」状態には、たんに「働いていない」という状態を意味する「無業」とは違った、人が社会と接点を持つことの「根っこ」に関わる問題が含まれているのではないかと私たちは考えているのです。