島津家久の検索結果
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島津家久に学ぶ「軍法戦術に妙を得る仕事術」
さっと読めるミニ書籍です(文章量13,000文字以上 14,000文字未満(10分で読めるシリーズ)=紙の書籍の26ページ程度) 【書籍説明】 戦国の島津家と言えば島津義弘。島津家最強の男。おそらく世間の大多数の方はそう思っていらっしゃるでしょう。 関ケ原の三百人での十数万を相手にした敵中突破や、朝鮮出兵の際に、 明・朝鮮の二十万の大軍を七千人で打ち破ったことをご存知の方も多いはずです。 しかし、島津家には、もう一人並外れた武将がいました。 その武将、島津家の末弟家久は、少なくとも戦術面においては、兄義弘をも上回る才能を持っていたと言えるでしょう。 その証拠を挙げるならば、島津家中興の祖として知られる島津忠良が、孫である義弘のことは、「雄武英略を以て他に傑出し」と評して、 比較級で武勇と戦略をほめたたえているのに対して、家久のことは、「軍法戦術に妙を得たり。」と言い、 その戦術面に注目して「妙を得る。」といった最上級の表現を使っていることです。 家久は島津家伝来の戦術である「釣り野伏せ(り)」に習熟し、この難しい戦術を、大事な場面で何度も使い、 同時代の武将としては格段の戦果を上げています。その戦術の冴えは、まさに天才の名に恥じぬものです。 本書の目的は、この家久の戦術を学び、その合理性や臨機応変さ、果断や勇気を今の時代、今の仕事に活かしていくことです。 さあ、それでは、島津家久が軍法戦術の妙、とくとご覧あれ。 【著者紹介】 宮内露風(ミヤウチロフウ) 鹿児島生まれの52歳(2016年現在) 鹿児島大学卒 関西学院大学法科大学院終了 42歳で税務署を辞め弁護士を目指すが、試験の半年前に妻が末期がんとなる。 妻の介護と受験勉強をしつつ、完治を目指して職と住居を転々とするが、願い虚しく妻は他界。 生きる目標を失い、3ヶ月無気力に過ごす。 その後、両親や友人たちの励ましで一念発起し、再び生きる理由を見つけるため、ウェブを利用して、幼いころからの夢であった執筆活動に入る。 作品はモバスペブックで連載中の歴史小説「巨人の城」、カクヨムで連載中の歴史小説「肥前の熊に薩摩の狐」「奇叛天」、 エッセイ「聞かせたい話があるんだ。」 -
<島津と戦国時代>戦上手の「田舎武士」島津家久
戦国島津家四兄弟の末弟、辺境の田舎武士、島津家久。家久は、野戦で三人の大名を討ち取った、たぐいまれなる戦上手であった。無敵をほこった家久だったが、豊臣秀吉を前に遂に屈伏する。享年四十一。若すぎる死を向かえた武将の戦いや如何に。 -
<島津と戦国時代>「南九州の桶狭間」木崎原合戦/島津家久・忠辰
守護権力の再統合を成し遂げた島津氏にはまだやらなければならないことがあった。地元に根をはる国人衆との対決である。「南九州の桶狭間」と呼ばれる木崎原合戦に迫るとともに、島津家久・忠辰、二人の武将にクローズアップした二編を合わせて収録。