吾妻鏡 現代語訳作品一覧

  • 「鎌倉殿」と不都合な御家人たち 「鎌倉殿」の周りに集まった面々は、トラブルメーカーばかり?
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    【書籍説明】 武士の始まりであり、多くの名門武家のルーツである藤原秀郷について「すごいんだよ」といろいろ書いているが、秀郷の地元・栃木県でさえ、それほど話題になっていなくて「何とかしなければなあ」と思っている。 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で鎌倉時代が注目されるので「鎌倉殿ブーム」に便乗し、秀郷の子孫の中でも特に重要な小山3兄弟(小山朝政、長沼宗政、結城朝光)について書き、改めてこの時代をみてみると、ほかにも興味深い人物はいる。 こうした人物も紹介しないともったいないなあと思い、今回、面白い人物を選りすぐった。 何かくくりがある方が分かりやすい。 鎌倉幕府征夷大将軍・源頼朝の配下には少々激烈な性格であるとか、ひと癖ふた癖あるとか、どうにも間が悪いとかいろいろな意味で都合の悪い面々がいるので「不都合な御家人」でくくった。 「不都合」といえば、頼朝気に入りの若武者を「家来が少ないので自分で手柄を立てるしかないのだ」と揶揄して頼朝の面目をつぶした小山政光や、 命令違反のうえ、それを咎める使者に対して将軍の悪口を言いまくった長沼宗政がいて、これこそ不都合な御家人の最たる者で、しかもこの両名は親子なのだが、この話は「鎌倉殿と小山3兄弟」で書いたので省いた。 それでもエピソードに事欠かない不都合な御家人はほかにもいる。 そのラインナップが本書だ。 なお、若干苦慮するのは一番重要な名が不明な人物、不確かな人物がいることだ。 例えば、北条政子は自身で「政子」と名乗ったことはないはずで、本文でも少し触れるが、この女性は北条政子と書く以外にない。 源頼朝のブレーン・大江広元は中原広元と名乗っていた時期が相当長いし、安達盛長も最初から「安達」の苗字ではないが、そこにこだわると誰だか分からなくなる。 また、実名に諸説ある人物もいる。 いずれもよく知られた名や呼称で説明するしかない。 また、興味深いエピソードについて『吾妻鏡』や『平家物語』のどこに書いてあるかを明示した。 『平家物語』の巻数、章段名は入手しやすい岩波文庫版に準拠した。 両書は現代語訳や注釈付きの書籍も入手しやすいので実際に確かめ、さらに探ってみると面白い。
  • 承久の乱 日本史のターニングポイント
    4.2
    『日本史のツボ』(文春新書)、『ヤバイ日本史』などで知られる人気歴史学者が、専門である鎌倉時代を舞台に、満を持して取り組んだ意欲作です。本郷さんは鎌倉時代の基本史料『現代語訳 吾妻鏡』の編者の一人でもあります。 誰もが日本史上の重要トピックとして覚えた経験はあるが、敗れた後鳥羽上皇が隠岐島に島流しにされたこと、北条政子の演説で鎌倉武士がひとつにまとまったことくらいで、実はよく知られていない「承久の乱」。 そもそも後鳥羽上皇はなぜ幕府に戦いを挑んだのか? 「錦の御旗」を敵に回して勝利したリーダー、北条義時はどんな人物だったのか? それを理解するには、後鳥羽上皇が歴代天皇のなかでも指折りの文武に長けたカリスマだったこと、そして頼朝以降の鎌倉幕府で繰り広げられた、血で血を洗う「仁義なき政争」を知る必要がある、と本郷さんは説きます。 さらにこの戦いは、朝廷と幕府の関係を決定的に変えました。以後、明治維新までのおよそ六百五十年間、武士が日本の政治を動かす時代となったのです。まさに承久の乱の起きた一二二一年こそ日本史の大きなターニングポイントといえます。 日本史ブームの中、第一人者による決定版の登場です。 主な内容 ・鎌倉幕府の正体は「頼朝とその仲間たち」 ・まったく異質だった武士の殺生観 ・上皇の絶大な経済力 ・北条氏よりも優遇された比企氏、平賀氏 ・なぜ源氏将軍は三代で絶えたのか? ・血で血を洗う闘争に勝ち残った北条義時 ・武士の切り崩しに成功した後鳥羽上皇 ・実朝暗殺の“仕掛け人”は? ・戦いの本質は「在地領主vs.朝廷支配」だった

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