スポーツ - 鳥影社作品一覧
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-元明治大学野球部監督・島岡吉郎が遺した10の銘言 元明治大学野球部監督・島岡吉郎が遺した10の銘言 御大の下で主将・エースとして東京六大学野球の春秋連覇、神宮大会優勝を果たした著者が語る、その人物像と秘話。 没後34年を経ても語り継がれる「人間力」を育んだその魂の言葉の数々は、野球界にとどまらず、現代社会に生き続けている。 “一球入魂から「一事入魂」へ” 一事が大事でも小事でも、魂を込めて事にあたれ。 どんなことも気持ちを込めてあたれば相手に通ずる。 【目次】 はじめに 其の一「ここは野球部の合宿所ではない。人間修養場だ」 其の二「野球の前にまず、人間の修養を積め」 「人間力を磨け」「不得手に挑戦」 其の三「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 其の四「島岡式勝利の方程式は、(技術×練習)×元気+その日の調子」 其の五「同じレベルだったら下級生を使う」 其の六「明大野球部の存在意義は早慶を倒すことにある」 其の七 「打倒江川! 江川の高めの球を捨てろ」 其の八 「グラウンドの神様に謝れ」 其の九「旧来の陋習を破れ」「悪貨は良貨を駆逐する」 其の十「社会に出たら労働基準法などないと思え、ひたすら働け」 「初月給でいい酒を買え」 番外編 一球入魂から「一事入魂」へ 御大に捧ぐ 御大の監督時代の選手・マネージャー 御大の生涯と世相 【著者】 丸山 清光 丸山清光(龍光)(まるやま・きよみつ) 1953(昭和28)年、長野県生まれ。1972(昭和47)年、上田高校卒業後、明治大学商学部入学、在学中は硬式野球部に所属、島岡吉郎監督の下で東京六大学野球リーグ優勝3回。主将、エースとして活躍した1975(昭和50)年は、江川卓を擁する法政を抑えて春秋連覇。投手として20勝7敗。卒業後は朝日新聞社入社、販売局勤務を経て、関連企業の朝日トップス、朝日サービス社長を歴任。現在は合同会社北海道信州グッドラボ代表、松戸市在住。
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-1世紀に及ぶ聖地・神宮球場を舞台とした人間ドラマ、6校の創成期からのメンバー表ほか膨大な記録も満載 「Number」「早稲田スポーツ」元編集長 斎藤禎氏 推薦 明大のエースだった丸山さんは、法大の“怪物”江川卓投手と1975年度の六大学野球リーグ戦のベストナインを争い、春季と秋季でタイトルを分け合った。コントロールのよい下手投げの記憶に残る名投手だった。昨今の丸山さんは、“記録蒐集の鬼”との評判を取る。足で稼いだエピソードもふんだんに書き綴った本書は、創設百年を迎える東京六大学野球の「エンサイクロペディア」と呼ぶにふさわしい。 【目次】 プロローグ 凡例 第1章 野球部創設から5校リーグまで〜黎明期〜 1878(明治11)年〜1924(大正13)年 第2章 六大学野球開幕から大戦へ〜激動期〜 1925(大正14)年〜1945(昭和20)年 第3章 敗戦から高度成長期へ〜絶頂期〜 1946(昭和21)年〜1964(昭和39)年 第4章 高度成長期から昭和末期へ〜成長期〜 1965(昭和40)年〜1988(昭和63)年 第5章 平成から令和へ〜新時代・安定期〜 1989(平成元)年〜2025(令和7)年 エピローグ 東京六大学野球開幕当時(1925年)の選手 6校の校歌・応援歌 参考・引用文献 【著者】 丸山 清光 丸山清光(龍光)(まるやま・きよみつ) 昭和28年、長野県生まれ。昭和47年、上田高校卒業後、明治大学商学部入学、在学中は硬式野球部所属、島岡吉郎監督の下で東京六大学野球リーグ優勝3回、明治神宮野球大会優勝。卒業後は朝日新聞社販売局勤務を経て、関連企業社長を歴任。現在は合同会社北海道信州グッドラボ代表、松戸市在住。 著書『なんとかせい!島岡御大の置き手紙』(文藝春秋企画出版部)『増補版 なんとかせい!一事入魂 島岡御大の 10 の遺言』(鳥影社)