そして私も
子どもは親とともに生きていくんだなと思った。子どもは親に叱られたことも怒られたことも覚えている。今回は最初にいじめをした子が引っ越した。これで本当に解決したのだろうか?していないと思う。いじめられたのは、彼女も同じだ。安心できる学級は作られていない。きっとまだ次は私かもしれないと怯えながら生きている子どもがそこにいる。いじめを根本的になくしていくには、教員と子ども同士の信頼関係、子ども同士の信頼関係が必要だ。教員が普段、子どもを否定するような声掛けをしていないか。ある子どもが他の子と違った言動や行動をしていると気づいた時、その子の背景を知ろうと、聴こうとしているか。子どもの話を普段から深く聴いているか。上辺だけの良い子ちゃんを作りあげていないか。直接全員と一人一人と対話することが大切だが、子どもは話しにくいと思っていたり、言いたくないと思っていたりするかもしれない。その場合は、紙に書いてもらうか、話しやすい大人や先生を訊く。子どもが孤独感を感じる前に。
今回は誰が悪くて誰が可哀想でという役を決めつけて保護者たちのほとんどが保護者会に参加していた。だれも真実を知らない無法地帯。こんなになるまで、子どもと話していないのかと思った。自分が正しいと思っている親たち。自分の子どもは悪いことをするわけがないと信じたい親たち。こんな親にはなりたくない。やはりどの大人も子どもの話を聴こうとしていなさすぎだ。それだけ保護者たちは子どもの安全地帯になっていないのだろうか。子どもは塾に行って競走させられているのがストレスなのかもしれない。あるいは日常が退屈で何か変化を起こしたいのかもしれない。子どもがいじめをする理由はさまざま考えられるが、心が安定していないのは確実だ。誰かを貶めていないと、自分が安心できないからいじめをするのだと思う。それは自分本位に考える、偏ったものの見方だ。子どもがどういうことがあって、その考えに至ったのか、大人は聴く必要がある。過去を無かったことにはできない。加害者を許せないのも分かるし、加害者が許して欲しいと思う気持ちも分かる。だれもが安心できる学級を作るにはどうすればよいか考えていく必要がある。例えば授業中に担任は、ある子が他の子と意見が違っていることに気がついたら、どうやって考えたか理由を訊ねるように、一人一人と対話していかなくてはならない。そして私たちもだ。