あらすじ
近づいたかと思えば遠ざかり、遠ざかると近づきたくなる、意識した瞬間にするりと逃げてしまうもの――。
十年ぶりに再訪したはずの日本(「胡蝶、カリフォルニアに舞う」)、重ねたはずの手紙のやりとり(「文通」)、何千何万年も共存してきたはずの寄生虫(「鼻の虫」)、交換不可能な私とあなた(「ミス転換の不思議な赤」)。
ドイツと日本の間で国と言語の境界を行き来しながら物語を紡ぎ、『献灯使』で全米図書賞(翻訳部門賞)を受賞するなど、ますます国際的な注目が集まる言語派作家・多和田葉子さん。「移動を続けること」が創作の原動力と語る著者が、加速する時代の速度に飲み込まれるように、抗うように生まれた想像力が鮮烈なイメージを残す7つの短篇集。
※この電子書籍は2018年10月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
7編の短編集。特に、「鼻の虫」「ミス転換の不思議な赤」の二作品が面白かった。
「鼻の虫」は、衛生博物館の「体の中の異物」という展示で見た人間の鼻の中で、何千何万年もの愛、共存してきたという虫を、ふと意識するようになる「わたし」の物語である。「わたし」は、携帯電話を梱包する工場での就職が決まり、海辺の町へ引っ越してきたが、この工場の描写や、社会描写からは、この世界が、現実とは異なる世界で、その工場は、どこか怪しげな雰囲気であることを感じさせ、しかし、「わたし」は、同僚の女性従業員がみな解雇されるなか、自分だけ課長に昇進し、管理職となる。
そんな生活の中、「わたし」は、朝起きると鼻の虫が、鼻の中に戻れるように、布団からすぐに起き上がらないように気をつけ、寝る前には、虫たちの食事や生活を想像しながら眠る。それは、引越し後、ペットを飼いたいと思ったこともあったが、鼻の中に虫を飼っていると思うと、目の前が明るくなるほどだった。そして、ある日、「わたし」が、いつもの工場へ向かうバスにあえて乗らず、逆の方向へと歩き出す所で、物語は終わる。
後半、「わたし」は、今の生活から、本音では解放されたいことを語る。そして、「寄生虫と人間は共存して」いて、「一度彼岸花を眼にしてしまったら、夢幻に墓場を訪れる度にその花を無視することができないのと同じで、一度博物館に足を踏み入れた者はもう眼には見えない寄生虫を見て見ぬふりをすることはできない」と言う。小さな虫の存在を知ってしまったことで、生きる活力を得た「わたし」のどことなくパッとしない毎日が、共感された。