あらすじ
日本は「核兵器のない世界」を望んでいるだろうか。原発などの「核エネルギーのない社会」を本当に目指していると言えるだろうか。本書は広島への原爆投下から3・11以後の現在に至るまでを歴史的・思想史的にたどりながら、安全保障の前提としてアメリカの核兵器に依存し、政治・経済上の要請から原発と核燃料サイクルを維持するという、核エネルギーを利用するシステムがいかに日本社会に根を下ろしているかを明らかにする。そこから浮かび上がる〈核〉と日本の現在地とは?
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Posted by ブクログ
東日本大震災で日本の福島県は「フクシマ」となった。世界で初めて人類が核兵器を開発し、その最初の被害者となった「ヒロシマ」「ナガサキ」と同じく、カタカナ表記で世界から注目を浴びる都市となる。日本は太平洋戦争末期にアメリカにより原子爆弾が投下される。そして今、その被害を受けた広島県や長崎県は、核兵器廃絶のシンボルになっている。だが世界はそれに逆行した。アメリカに続いてソ連が対抗するように核兵器を量産する。その数、最大でアメリカは三万発、ソ連は四万発あったとされる。勿論広島長崎の二都市に落とされた数は各一発ずつであるから、世界中の主要都市全てに投下されたとしても余る数を持っていた計算になる。その後、世界は核兵器廃絶の流れと逆行するように、「経済的な兵器」として核開発が進む。イギリス、中国、フランスが続き、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の合わせて九カ国が核を保有するに至る。パキスタンや北朝鮮は、周囲だけでなく外に敵を抱えており、戦略的に国家が滅亡に瀕した際の最後の手段としての保有である。
一方、日本のように核兵器被害国でありながら、それを平和利用しようとする国も多数存在している。化石燃料の枯渇が叫ばれる中で、他国の資源に左右されない社会を築こうとする流れは、かつての日本がアメリカの石油に依存し、輸出停止の措置を受けた経験からも自然な流れであるが、被害国である日本がそれを積極的に推進し、東日本震災で第三の被害都市を生み出したことは、歴史の皮肉というより、悲劇でしかない。そして今なお安全性への確たる保障も無い中で、多数の原発が稼働もしくは稼働再開の準備段階にある。前述した被害三都市以外の都市に住む人なら、資源の無い国である日本ではやむを得ないだろうと考えるかもしれないし、電気代が高騰すれば背に腹はかえられない、という状況かもしれない。現にこのスマホの電源だって、温かい風呂に浸かれるのも電気=エネルギーのおかげである。
近年化石燃料や原子力から脱却し、地球環境にも優しい自然エネルギーを利用しようとする流れは顕著である。だが太陽光パネルを設置するには、それを作る(主に中国製品だが)際に必要とするエネルギーも必要だ。果たして日常の電気利用に加えて初期のエネルギーコストを回収できているのだろうか。勿論海外からの輸入製品を使うなら輸送に必要なエネルギー、設置工事に必要なエネルギー、販売したり取り付けるために要する人件費と、関わる人々の消費するエネルギーなどの総量での試算が必要になるだろう。
話は逸れたが、本書は核の利用に関する日本人や世界の向き合い方を、その歴史的背景などから考察する内容となっている。世界で唯一の核兵器被爆国である日本が、如何にして原子力を平和利用しようと試みてきたか。そしてその過程に潜むリスクや、顕在化してしまった原発事故。様々な苦難を乗り越えつつ、そのリスク想定が甘かったことによる、地球からとも言えるしっぺ返し。本書を読むことで、改めてリスクの大きさを感じるかもしれないし、リスクを取らなければ、その先の安全も平和もないと考える人もいるだろう。先ずは本書の様な書籍を読み、自身がどう考えるか。きっかけになる一冊だ。