【感想・ネタバレ】ウィトゲンシュタインの愛人のレビュー

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Posted by ブクログ 2021年06月03日

『考えていないという対象のことを考えずに、何かについて考えていないという文章をタイプすることは絶対にできない。このことに気付いたのは今回が初めてだと思う。あるいは、これによく似たことに気付いたのは。この話はこれくらいにしておいた方がいいかもしれない』

これは「ヴィトゲンシュタインの愛人」という題名...続きを読むから連想するようなヴィトゲンシュタイン個人にまつわる物語ではない。しかもこの哲学者の思考への直接的な言及すらないのだけれど、読み進める内にヴィトゲンシュタインの哲学的思考が主人公である語り手を捉えて離さないのだということがじわじわと伝わってくる。主人公は、語る言葉の一つひとつの意味(シニフィエ)を再確認しながら語ろうとするが、言葉の表層に張り付いた数多くのシニフィアンがその道を曲がりくねったものとしてしまう(必然的に!)。しかも言葉への個人的な表象の投影が、誤った認識や記憶のまま(例えば本書の早い段階で唐突に投げ込まれる(主人公はその意味を不明とする)「ブリコラージュ」という言葉。もちろん、それはレヴィ=ストロースという名前を惹起するが、他の哲学者の名前は頻出する一方でそのフランスの知性の名前には言及がなされない。最後の方で漸く「思い出される」のは「ジャック・」レヴィ=ストロースという名前であるけれど、本当は「クロード・」レヴィ=ストロースだ。一方でたった一人残されたものとして生きる為、持ち物を都度取捨選択する過程はブリコラージュという言葉を強く表象する)に加わり、語ろうとするものの中心へと中々辿り着かせないよう作用する。この風変わりな小説の中でデイヴィッド・マークソンの試みたことは、その曲がりくねった道を行きつ戻りつしながらどこまでも辿ることのようだ。その先で見出すものは、当然のことながら「まがりくねった男がひとり(There was a Crooked Man:野上彰)」の筈だ。もちろん、主人公は女性だけれど。「もちろん」と言ったのは、「ヴィトゲンシュタイン」という単語は特定の一人の男性を表象するし、その「愛人」というのは高い確率で「女性」であると予想されるからだが、「もちろん」ではない文脈(例のヴィトゲンシュタインに同性愛的志向があったという話)で読み取られる可能性も、もちろん、ある。

『世界はそこで起きることのすべてだ。ちなみに、今タイプした文章の意味は、私にはまったく分からない。しかし、どこから来た考えなのかはさっぱり分からないけれど、なぜか一日中、頭にあった気がする』

三分の一程読み進めたところで、漸く直接的な「論考」の引用(めいた文章)「最初の命題」に出会う。引用と言いつつヴィトゲンシュタインの思考を主人公が語っている訳でもなく、この文章は(他の文章同様に)唐突に投げ込まれたもの。背後には主人公の何かしらの連想があって前後の繋がりがある様子だが(そういう言及がしばしばある)読む者には知り得ない。しかし肝心なのは、ここで暗示されるのは連想の遡行だということだ。遡り続ければ全ての事には理屈が付く、と言わんばかりの暗示。しかしそれは決して終着点に辿り着けぬ究極の仮定である。一方で主人公の問い掛けは、「最終命題」(語り得ぬことについては沈黙せざるを得ない)についての検証作業の様相を呈する。但しそれは、「語る」とヴィトゲンシュタインが語る時、ヴィトゲンシュタイン自身が語った言葉は果たしてその語り得ぬことの中に含まれているのか、というように再定義した上での検証。この最終命題は、言ってみればゲーデルが不完全性定理で全ての数学体系には決定不能な命題が存在すると示したことが言語についても当て嵌まると考えてみれば判り易い。もっともヴィトゲンシュタインが「論理哲学論考」をドイツで出版したのは1921年で、ゲーデルが数論における「不完全性定理」を証明したのは1930年のことなので前文の「も」という助詞は語弊があるし、この喩えは乱暴過ぎるとは思うけれど、この本はそのことを特殊な状況の中で暮らす主人公を通してどこまでも問い詰める試みであるとも言える気がする。もっともヴィトゲンシュタインは言語をシステムとして語っていて、システムを外側から説明する為の言語を使って語っているという立場(しかも原著は言語の曖昧さを回避するべく数式も用いられている)なので答えは、含まれない、であるとも言えるけれど、そのことは普通に考えれば明らかではない。そしてシステムが自己言及を許容する時(例えば、全ての集合を含む集合、などと定義する時)、論理体系は脆くなる。けれども、含まれる、という立場に立ってみると、この論理ゲームはどこへも辿り着けないことは明かだ。自己言及を繰り返す先で収束するのは「狂気」のような状態と見分けがつかない。

『ある種の孤独は別の孤独とは異なる。最後に彼女が結論するのはそれだけのことだ。それはつまり、電話がまだ通じているときにも、通じないときと同じくらい孤独になりえるということ』

その狂気は、孤独ゆえに生まれてくるものか、思考の結果の必然なのか、明かなようでいて、主人公が語る程明確ではない。この物語がどこへ辿り着いたかも定かでないように。

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Posted by ブクログ 2021年04月09日

海辺の家で家具を焼き、暖をとりながらタイプライターを打つ女。ニーチェやハイデッガー、ブラームスやピカソにまつわる取り留めのない思考の断片から、かつて存在した彼女の世界が少しずつ形を現してゆく。世界でたった一人になったら、人はどこに向かって何を書くのか。1988年に書かれたSpeculative Fi...続きを読むction=思弁小説。


一人の女がひたすらタイプライターにモノローグを打ち込んでいく。行と行の間に何時間、何十日、何年空白があろうと、読者にそれを知るすべはない。タイプライターと文体の相互関係はビートニクを思わせるが、本書の場合、開始時点で語り手の旅は既に終わっている。世界が完全に終わってしまったと確認したあとで、たった一人生き残った人間は何をするのか。本書のテーマはあるときはミケランジェロの言葉、あるときはレオナルドの言葉として引用される次のフレーズに要約できると思う。「正気を保ちながら不安を断ち切るには頭がおかしくなるのがいちばんだ」。だから彼女は書いている。
だが、できあがったものは自伝ではなく終末のルポルタージュでもない。19、20世紀の哲学者・文学者・音楽家・芸術家たちの細々とした伝記的トリビアが連想によって綴られていく。エンリーケ・ビラ=マタスと似たアイデアだが、あちらの語り手が解説者然としてユーモラスなのに対し、こちらはウィトゲンシュタインを下敷きにしているだけあって冗談を言うときも真顔を通している感じ。生きているのが自分だけの世界では、表情筋を動かす気力ももう尽きたのだろう。その真顔っぷりと律儀すぎる言い直し(ウィトゲンシュタインのパロディ)、覚え間違いや同語反復が独特のおかしみを醸しだす。
他人について書かれたことばの集積は、孤独から目をそらし、他者を召喚しようとする必死の試みだ。終盤、他人の伝記を綴ることで保っていた〈現実〉が、彼女自身の過去という現実を語ることで崩壊していく。しかし、いずれにしろ世界は既に壊れてしまった。この手記を書き終えたあとも彼女は「正気を保ちながら不安を断ち切るには頭がおかしくなるのがいちばんだ」ということばに共感しただろうか。

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Posted by ブクログ 2021年01月06日

思考が本当にあちこち飛んでいるんだけど(接続詞もおそらくあえてずらしている)、文章のテンポがいいので、流し読みするとそんなに引っかからない不思議な感覚。
どうでもいいかもだけど、人類だけでなく、生物もいないので、装丁めっちゃ綺麗だけど、カモメ描いちゃダメな気が…

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Posted by ブクログ 2020年09月04日

『ヴィトゲンシュタインの愛人』デイヴィッド・マークソン著。これはすごい! 木原善彦さんが訳したんだ! 目利きだ! これほど最前線の実験小説はなかなかないだろう。ヴィトゲンシュタインのような思考方法がそっくりそのまま再現されているかのようだ。2010年に亡くなっているが、今これを読むことができて本当に...続きを読む我々は幸福な時代を生きている。独特の思弁的リアリズムの具現化だ!

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Posted by ブクログ 2024年03月22日

(JRの人か!)
たったひとりの生き残り中年の女性の回想。それは自分自身のことではなくて、プラトンに始まり〜最近のゴッホ辺りまで。うーん、飽きる。でもなんか心地いい。砂漠に吹く風のような。(砂漠なんざもちろん行ったことはございません)
自分の中の偏見ですが、NY生まれの人って(男性に限るかも)病んで...続きを読むる感じがして。人工的な建物に四方囲まれて、それが当たり前過ぎて。地平線を見ながらぼーーーーとするのを、子どもの頃にやってないと、こういう文章書くような人ができあがる気がする

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年03月03日

私には難解過ぎた。ギリシャ神話、美術史や画家、世界史の知識があれば、分かったのかもしれない。世界中に、残された生物は自分一人だけ。そんな状況で、章が分けられることもなく、くり返しになることも多く、記述が変わっておかしくなっちゃったのかと心配させられたり、ギリギリのところでタイプを打っているのか、もし...続きを読むくはギリギリをもう超えたところにいるのか。ひょっとして~かもしれない、が多かった。そうやって自分の存在や記憶を確認しているのかもしれない。この本は多分新聞広告で称賛されているのを少し前に見て、興味を持って手に取った本だけれど、私には難しすぎて、自分の知識や教養のなさ、感受性の鈍さを思い知ることになった気がする。

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