あらすじ
住友銀行の救世主はなぜ“追放”されたのか。
住友銀行元取締役、國重惇史。若手行員時代から「伝説のMOF担」として名を馳せ、平和相互銀行事件での活躍で「将来の頭取候補」と目される。そしてイトマン事件を内部告発し、「住友銀行の救世主」に。だが、あることから銀行を追われ、「楽天副会長」に転身。スキャンダルで辞任し、『住友銀行秘史』を著す。これは、ある天才バンカーの半生を通して、日本のバブル時代の熱狂とその終焉を描くビジネスノンフィクションである。
〈ある意味、國重は時代の寵児だったのかもしれない。バブル経済の勃興期に起きた平和相互銀行事件、そしてバブル経済真っ只中のイトマン事件とまさに日本中が狂乱の渦の中にあったとき、國重はもっとも異彩を放った。しかし、時代は虚ろだ。かつて日本中が、そして國重が身を任せた圧倒的な熱量は、日本社会から見事なまでに消え去った。それとともに、國重の輝きは失せていった。〉(本文より)
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Posted by ブクログ
現役時代にご本人にお会いしていないのが悔やまれる。
平和相互銀行と住友銀行の合併を影の立役者だった國重氏の視点から描く。驚くのは詳細なメモをもとに再構成した合併までの経緯。住友銀行は関東地区の地盤固めのためどうしても平和相互銀行を吸収合併したかった。しかし直前に関西相互銀行を吸収しようとして関西相互側の職員に大反対され合併を白紙撤回した苦い経験があった。
「今回は失敗できない」という状況の中、住友銀行の水面下の動きが活発化し、その相手は大蔵省、日銀にとどまらず東京地検内部、政権の中枢にまで及ぶ。
それの相手方を飛び回り、情報を収集し折衝を行うポジションにいたのが國重氏だった。
そして平和相互銀行との合併は成功する。
國重氏は行動派で相手に取り入るのが上手だったのは間違いない。それは女性にも同じ。
國重氏が平和相互銀行合併に暗躍していた時、怪文書がまかれたが書いたのは國重氏本人だった。そして信ぴょう性を高めるために平和相互銀行のロゴの入った便箋を当時ねんごろだった女子行員に持ってこさせていた、と。また國重氏が住友銀行を追われるきっかけになったのは、当時天皇と言われた磯田会長の秘書と不倫関係になり、子を設けたことが経営陣の逆鱗に触れたため、と。
イトマン事件ではイトマンに会社更生法適用させ、膿を出すスキームを提案したがいろいろな金融スキャンダルが白日にさらされることを恐れた住友銀行の経営陣から最後にはしごを外された、と書いている。
おおよそ35年前の出来事。いまなら書ける状態になったということか。