あらすじ
芸能人の薬物、新型コロナウイルス、安倍首相退陣、そして菅新首相誕生……話題となった出来事を取り上げながら、「言葉」「表現」「テレビ」について考える。世の中のあらゆる事象は、すべてつながっている。朝日新聞「天声人語」よりも深くて鋭い“渾身の作”。
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Posted by ブクログ
やっぱり好き。久しぶりに文章を読んだけれど、ちゃんとわかっていて嫌われそうなこと言ったりしたりするのだな。 時事ネタなので後半はほとんどコロナだけれど、どうしてこんなことになってしまったのか…悔しいしかない。 色んなこと、終わったこととして考えられるように早くなってほしい。
Posted by ブクログ
「自己愛」というと、ネガティブなイメージを持つ人が多いと思う。ナルシスト・自己本位・自己中心的など。しかし自己愛を否定してしまうと人は生きていけない。「自己愛」と「自己犠牲」は相反するもののように見えるが実はそうではない。
自己犠牲の根底には自己愛がある。誰かの為に自分を犠牲にするという行為は、そういう自分でありたい、という美意識から生まれる。自分を好きでいたいという願いが、自分を抑える力になる。他人を犠牲にして生きた自分を、自分はきっと許せない。そんな自分を自分は嫌いになるだろう。その恐れがあるから自分を抑えるのだ。
何かを好きになるということは、実は自分を好きになるということだ。例えば文学作品に感動した時、人は作品を好きになると同時にその作品に感動出来た自分を好きになる。作品に感動する感性を持つ自分を捨てたもんじゃない、と思える。作品を好きになる前よりも、好きになった後の自分が好きになる。芸術だけじゃない。人を好きになることもそうだ。若い人達の恋愛でもそうだろう。「この人を好きになった自分」を誇らしく思うからこそ、誇りを与えてくれた相手を好きになる。自分だけが気づいた相手の魅力なども自分を好きになる要素になる。相手の魅力に気づけた自分はまんざらでもないと思えるのだ。ましてや好きになった相手が自分を好きになってくれたら、自分は、その人が好きになる程の自分だったのかと、誇らしくなり、また自分を好きになる。
片思いでも同じだ。「男はつらいよ」の寅さんは好きになったマドンナを必ず楽しませる。相手が笑うと自分を誇らしく思い、更に笑わせようとする。映画の後半では必ずマドンナが別の人を好きだとわかる。この時重要なのが自己愛だ。寅さんは自分が相手に惚れているということを微塵も悟られないようにふるまう。観客も、「くるまや」の人々も、マドンナ以外は皆わかるのだが、意地でもマドンナにはわからせない。マドンナが好きな男とうまくいくように取りもったりもする。最後はふられて旅に出る。その時寅さんの心にあるのは、「自分の大切な人の幸福を、自分が関わらないことによって守った」という誇りだ。マドンナの幸福を喜べる自分でありたいという願いだ。この自己愛があるからこそ、寅さんは堂々と胸を張って、再び人を好きにあり、次の恋が出来る。