あらすじ
ギリシアの枠を飛び越えた「犬哲学者」の実像
甕(かめ)の中に住まい、頭陀袋(ずたぶくろ)を下げ、襤褸(ぼろ)をまとって犬のようにアテナイの町をうろつき、教説を説いたシノペのディオゲネス。おびただしい数の逸話で知られる「犬哲学者」の思想とは、いったいどのようなものだったのか。アリストテレス的人間観や当時の伝統・習慣を全否定し、「世界市民」という新しい理念を唱導・実践した思想家の実像を探り出し、われわれ現代人の生き方を模索する。
「犬」と呼ばれたシノペのディオゲネス。ひとは彼についてどれほどのことを知っているだろうか。(略)昼日中にランプを灯してアテナイの雑踏を往来しつつ「わしは『人間』を探している」と言い放ったとか、なにかそういう類の奇抜な逸話が知られているだけではあるまいか。だが、知るべきはこの男の生き方、その根底にあった「世界市民」思想だ。――<「序章」より>
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
古代ギリシャのミニマリストの印象だったが、托鉢者に近いかも
自足や他人からの目の気にしなさはある程度現代でも受け入れやすいか?
困窮ゆえに強いられた「犬」としての生活を次第に逆手にとり、人間社会からの外れ者として一定の支持を得る(が、表向きに仲良くしてくれる人はいない)
史実ではなさそうだが、プラトンとのレスバは荘子の儒家や恵子とのレスバを思わせる
晩年の奴隷化と解放への抵抗は、やはり犬生活はむしろ奴隷(教育係)生活よりキツかったのかな......と人間らしさも垣間見える
本書で指摘される意外なソクラテスとの共通点でそちらも知りたくなる
アリストテレスの正義論は少々腹が立つものの、当時の社会だとこの超差別的見方が当然だろうし、むしろ世界市民の思想に至ってるのが凄いとみるべき
現代にいても面白そう、というか多少ならこういう人いるかも?
追放のきっかけとなった政治的抵抗でもある通貨変造が、本書内で価値の逆転とのダブルミーニングとして一貫的に使われている構成が好き
Posted by ブクログ
『古代ギリシアの思想』ですっかり虜になってしまった山川偉也先生渾身の一撃である。丹念な考証や、ときには軽妙な比喩を交えつつ一歩一歩着実に結論へと向かう確固たる文体は健在。ディオゲネス伝にも名の見えるアレクサンドロスとの対比から、彼の師でもあったアリストテレスの人間定義及び正義論を切り崩していく様はスリリングですらある。学術文庫とはいえ、専門書ではない一般書での、かように読み応えある思想分析は見事というほかない。あとは断腸の思いでカットせざるをえなかった「貨幣変造事件真相解明」部分の書籍化を切に願うばかり。
Posted by ブクログ
甕の中に住まい、頭陀袋を下げ、襤褸をまとって 犬のようにアテナイの町をうろつき、教説を説い たシノペのディオゲネス。おびただしい数の逸話 で知られる「犬哲学者」の思想とは、いったいど のようなものだったのか。アリストテレス的人間 観や当時の伝統・習慣を全否定し、「世界市民」 という新しい理念を唱導・実践した思想家の実像 を探り出し、われわれ現代人の生き方を模索す る。
Posted by ブクログ
あまりに分厚い本だと思ってはいたが、それもそのはず、ディオギネスに関する文献は「ディオギネス伝」と彼の散逸した著書「国家」ぐらいのものである。それであるがゆえに、ここまで大きくなってしまったのであろう。
大半が彼のエピソードに関する検討や、文献の比較検討に付き合わされる。すこし退屈であるかもしれない。
彼は「自由」「平等」「友愛」を何よりも尊重した。彼の生き方そのものはそれの発露だし、あらゆる問答の中にもそれが現れている。「等価交換は不等価交換ではないか?」といい、「モノをねだってそれを私は受け取った。君にもその恩恵が伝わったはずだ。」というなど、よく考えればそのとおりかもしれないと思う行動や発言が多い。
また、アリストテレスのように侃々諤々の議論を嫌っているのか、それともそれに論駁しうるためなのか、正義に関する議論はあまりない。むしろ色々な事柄は「飾りだ。」とまでいう。アリストテレスは「何が何に値するか」を考えるあまり「生まれつき奴隷の身分に相応する人もいるのではないか。」とまでいうが、ディオギネスはロールズの無知のヴェールを先取りするかのように、「名声だの財産だのは飾りだ。どうせ皆一緒なんだ。みんな満たされるものは同じだし、目があり鼻があり手で飯を食べる。奴隷なんていうのも呼称に過ぎない。」とまで云った。ゆえに、彼の唯一の合法政府は「世界政府」だとする。
彼のような哲学者は、時代を問わず一定程度いるのだな、という気も同時にした。