【感想・ネタバレ】「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

 いやいや、今どきの人たちも、原理的には、やはり「奴隷道徳的なもの」にとらわれていると僕は思うんだ。ここからはニーチェではなく、僕オリジナルの考えになっちゃうんだけど、今の人々は「奴隷道徳」から少し価値を変えた「道化道徳」にとらわれているように思う。
ーー道化道徳? なんだか言いにくいですね。
 芸人道徳とか、自虐道徳でもいいかな。つまり、自分の境遇の悪さを「ネタ的な笑い」にすることで「それをよし」としてしまう考え方のことだよ。たとえば、残業が月一00時間を超えてるとしてさ、その惨めさを「笑い話」っぽく話してくる人って多くない?
ーーあ、それはいますね!「残業一00時間やったよ、社会人として当然だよ」という人はさすがにいませんが、「もう最悪でさ(笑)、あり得ないよ(笑)」みたいに言ってくる人はメッチャいます! というか、だいたい職場の人と食事に行くと必ずその手の話になりますね。
 まあ、社会人あるあるだよね。ダメな上司の話とか、お客にひどい目にあわされた話とか、急に仕様が変わった話とか、詳細設計が終わってないのに製造が始まった話とか、そういう仕事の愚痴トーク合戦。恋愛の愚痴もそうだけど、こういう身に起きた不条理や不幸って、みんな案外、楽しそうに話したりするんだよね。「やってられない(笑)」「最悪だわ(笑)」「ほんとひどいでしょー(笑)」みたいな感じで。
ーーなぜそうなるのでしょう?
 もちろん、単純には、明るく話してストレスを解消したいというのもあるとは思うけど、実は、そこには、人間関係において「人を笑わせる会話は善い」「面白味のない会話は悪い」という……、これまた、どっかの誰かが勝手につくり出した架空の価値観がるんじゃないかな。
ーーあ、それ、わかります。誰かと会ってるとき何か面白い話をしなければならない、という気持ちがすごくあります。もしかしたら、単純に、今時のトーク力を重視するバラエティ番組の影響かもしれませんが……。
 それって、奴隷道徳のときと同じ話だと思うんだよ。「ウケる=善い」「ウケない=悪い」という「架空の価値観」があり、それにいつの間にかとらわれて「本来の気持ち」が覆い隠されてしまう感じ。だって、現実の世界でひどい目にあっているんだから、普通に考えたら「笑い話」にしてる場合じゃないよね。本来なら、怒ったり文句を言ったり、逃げるなり戦うなり解決に向けて何かをするべきなんだ。でも、「笑い話」として人に話すことで、その気持ちが「消化」されてしまう。

 でも、ある日、ニーチェの哲学、実存哲学が教えてくれたんだ。人間とは、意味も目的もなく世界に放り出された「現実の存在(実存)」であり、そして世界の中にはあらかじめ設定された意味や価値などないということを、その考えに従うなら、もちろん世の中に「人間としてこうしなくてはならない」という意味付けや価値なんてあるわけがない。それらは、どっかの誰かが勝手に考えた解釈のひとつ、すなわち「非現実的な架空の価値観」にすぎない。でも、それなのに、僕の頭の中は、その「架空の価値観(しなくてはならない)」で埋め尽くされ、まさにそれによって不幸になっていたんだ。
ーーあ、それ、背後世界の説明のときに出てきた話ですよね。人が不幸になるのは、社会(他人)から押し付けられた「架空の価値観」に振り回されているからだって。
 そうそう。でも、多くの場合、本人はそのことになかなか気づけない。なぜなら、背後世界にあるものは、たいていその人にとっては常識であるからだ。「挨拶はしなくてはならない」「人前では明るく話さなくてはならない」「友達の冗談には笑って受け答えをしなくてはならない」、それらが、今はたまたまこの時代のローカルな「架空の価値観」だなんてどうして気づけるだろうか。

 まず、押さえるべきポイントとしては、何もニーチェは、あらゆる価値観や意味付けを否定しているわけではないということ。彼がずっと問題にしてきたのは「伝統的な社会の慣習」とか「弱者の妬み(ルサンチマン)」とか、自分自身に由来しない価値観に無条件に従うことで、生が縮小したり(つまり、萎縮してやりたいことをやらなかったり)、自分自身の生を否定したり(つまり、不幸になったり)してしまうことなんだ。だから、逆に、自分自身に由来する「自然本来の欲求から生じた価値観」を自分の意志で自覚的に採用したのであれば何も問題ない。むしろそれが「生を増大させる」ことにつながるとしたら、ニーチェ的に喜ばしいことだと言える。それにだよ、「力への意志」により生じた価値に基づく目標は、失敗しても不幸にはならないんだ。
ーーえ、そうなんですか?
 たとえば、「美しいコップを作りたい」という人がいたとしよう。どうしてかわからないけど、とにかく、それがたまたま「彼の自然な欲求」であり、彼は無意味な世界の中で「美しいコップを作ること」を価値のあることだと選択したわけだ。で、そんな彼が、自分が満足できるコップを作れなかったとする。それはとても納得がいかず、悔しいことだろう。でも、だからといって、「この世界から消えてしまいたい」と思うような、そういう種類の惨めさを感じるだろうか?
ーーなるほど。悔しいとは思うかもしれませんが、たしかにそこまで惨めになったりしなさそうですね。というか、そこまでツラいなら、やめればいいだけの話でしょうし。
 そうだね。ダメならダメで創意工夫するし、もしどうやっても本当にダメなら、それはそれで受け止めて素直に別のことをするよね。何せ自分で選択したことで、やめるのも自由なのだから。これが逆に、自分で選択したことでもなく、やめる自由もなかったらどうだろう?

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2022年10月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ニーチェをここまで分かりやすく、しかも面白く解説している本はないのでは。
一気読みした。

一章
哲学には白哲学と黒哲学がある。
白哲学は物事の本質を考える。
黒哲学は現実存在(実存)について考える。
黒哲学は白哲学を批判するための反逆の学問

二章
ありもしない架空の価値観を信じて不幸になっていないか。
人間は実存であり、生まれながら「生きる意味」はないが、それをそのまま受け止めると「ニヒリズム(虚無主義)」になり、「生の高揚(充実感)」を失う。
「神は死んだ」宗教、恋愛、仕事、人生のあらゆる絶対的な価値は必ず壊れる

三章
「奴隷道徳」とは「嫌なことに文句を言わず受け入れる人が善い」という不自然な価値観
「架空の価値観」を持ち出して「現実の気持ち」をごまかしていないか。

四章
「未来に目指すべき何かがある」という思考方は必ず破綻する。「今、この瞬間」を肯定して生きていくことが大切である。

まとめ
①人間は社会から押し付けられた「架空の価値観」に振り回されて、自分が不幸だと思いがち
②そもそも人間は「現実の存在(実存)」であり、意味や価値などない。
③だから「押し付けられた価値観」にとらわれて不幸になることはない。
④だからといってすべての意味を否定すると「ニヒリズム」になり、「生の高揚感(充実感)」を失う。
⑤だからこそ「ニヒリズムな世界」をまるごと受け入れ、「今、この瞬間」を肯定して生きよう。

過去に囚われず、未来を憂うることはやめよう。
今、この瞬間を肯定して、生きていこう。

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2022年05月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

動画を見たりネットで調べたりしてみたけど、なんとなくわかった気になっていただけで、本当は全然わかってなかったと言うことに気がつかされた。

ものすごく面白い本だった。

ニーチェの考え方は、とても極端だけど、真実味がある。
本当に自分の命、人生を生きているのか、最高させられた。

哲学とは、白と黒がある。
白は、本質哲学。
黒は、実在哲学。

白哲学は、ものを超える存在、つまり見たり触れたりできないものの事を考えること。
例えば、「人生の意味とは」、「正義」、「愛」など。

黒哲学は、現実の存在、つまり実際に存在するものについての哲学。

現実の気持ちをごまかして生きるのはやめよう。
社会が決めたラベルは、その時代のものであって、いつか変わるし、そのラベルに縛られないようにしよう。

今にフォーカスするために、3分間だけマインドフルネスをしよう。

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2022年01月19日

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