あらすじ
なぜいま、わたしたちは遊びの理論が必要なのか?
そもそも、遊びとはいったい何なのか?
現代ゲームスタディーズの第一人者、ミゲル・シカールによる新時代の「遊び」の哲学、待望の翻訳!
新しい切り口でゲームについて考え、そしてゲームという観点から、新しい切り口でゲーム以外の物事について考える、ゲームスタディーズ入門〈Playful Thinking〉シリーズ第1弾!
遊びのひとつの形式にすぎないゲームにのみ焦点をあててきた従来のゲームスタディーズに異議を突きつけ、物、空間、人間、人間関係など多様な事柄が関わる「遊びの生態系」全体の観点から核心をとらえていくことの重要さを提示する著者が、幅広い射程を有するコンピュータ時代の遊びのかたちを描き出す、ゲームスタディーズの新潮流となる必読書を満を持して上梓。ユニークで独創的な事例を膨大に織り込みながら、従来の遊戯論の伝統をアップデートし、ゲームスタディーズにカウンターをかける、遊び心満載の痛快な一冊。
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遊びがわかれば世界もわかる
そんなつもりで眺めれば、それこそスマホのデザインも、冗談交じりのおしゃべりも、ゲームやその他の楽しみも、日々の暮らしやビジネスだって、世界は「遊び」で満ちている。昔の人も言うように、遊びは人を映し出す。
それなのに、世界はどんどん変わるのに、遊びの理解は進まない。この本は、そんな理解を大幅に更新かける得がたい本。小さいけれど侮るべからず。山椒は小粒でもぴりりと辛い。ゲームも仕事も日常も、みんなまとめて面倒みよう。遊びの極意をご覧あれ。頭の中を揺るがせば、遊び心も湧いてくる。遊びがわかれば世界もかわる。
──山本貴光
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前世紀、二度の世界大戦のはざまの時代。
賢い人間(ホモ・サピエンス)を僭称した西洋近代の過信を省みて、
ヨハン・ホイジンガは遊ぶ人間(ホモ・ルーデンス)たる人類の本性を喝破した。
今世紀、ゲームと人工知能が遍く社会の情報化を導く現代。
いまや近代は超克され、この星は自然物と人工物が戯れあう
遊ぶ生命(アニマ・ルーデンス)の共異体へと拡張されつつある。
本書が思索する「遊び心」とは、そんな世界の塗り替えを導く原理の謂だ。
与えられた機能や目的に還元されない、流用と創造のダイナミズムとは?
予定調和な未来像を打ち破る遊戯論の更新が、ここから始まる。
──中川大地
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Posted by ブクログ
「遊び心を大切」とはよく聞く言葉だが、果たして遊び心とは?そもそも遊びとは何なのか?
コンパクトで、それこそ「遊び心」に溢れた装丁の本書はその可愛らしい佇まいに反し幅広い知識と深い洞察を行き来するわりかしハードコアな哲学の旅を提供している。
本書で幾度となく現れる「流用」という概念は、遊び心というものの本質を捉えている。
遊びなどないコンテクストをハックし遊びのように仕立て上げること、それが流用であり遊び心。
特に近年はやたらと遊び心が重宝されている向きがあるが、それは何故なのか。
ハックして遊びを注入せねばならぬほど、遊びに乏しい時代なんだろうか。本書を読みながらそんなことを考えた。
Posted by ブクログ
遊び、遊び心について、そのことや道具や場などについての考察
「遊びを、流用とそれにたいする抵抗のダンスとして、あるいは秩序の創造と秩序の破壊のダンス」
訳者あとがきにもあるように「文体にかなりくせがある」
Posted by ブクログ
「遊び」って何だろう。「遊び心がある」ってどんな状態だろう。
誰もが小さい頃から遊んでいるけれども、それはどういうことなんだろう。
「遊び」の持つ要素や、「遊び」が人、社会にもたらす影響を、屋外、屋内の遊びにとどまらず、政治、建築、デザインにまで考察を広げた「遊び」に関わる全ての論文を集約したような本だった。
少し内容は難解だった。
Posted by ブクログ
【遊びと現実社会とのつながり】、
コペンハーゲンでコンピューターゲーム研究センター准教授をされている著者が、
遊びとは何か、みたいな、哲学的に論じられている本。
遊びは文脈に依存する。
遊びの基本構造が検討されていました。
物、人、場所のネットワークがあって成り立つもの、
何らかの意味でルールを含んでいて、
そのルールは変化する。
想像と破壊の緊張関係の中で、バランスを維持する活動、らしい。
いろいろな遊びの場やゲームなど具体例にも触れられていつつ、
私が気になっていたのは、
「遊び心」だったということが分かりました。
著者によると、遊び頃子は、遊ぶという態度、モード、とのことです。
現実社会、
ゲームの考え方を持ってみることで
退屈な日々も少し楽しくなったりする、
そんな風に生きている人の話を聞いたりすることがありますが、
場やモノ、ヒトといったゲームの文脈を自ら見出して、
自分がプレイすることで有益になるルール、ミッションを設定する。
そのためには、
現実で自分と他者の立ち場をわきまえる視点や、
その場のしくみを理解するセンスが必要だなーと思ったりしました。
そして、
ゲーム感覚、ともいうけれど、
遊びにある心の余裕こそ、
至上主義にならずに、
倫理規範や社会性を保って楽しむために大事なのではないかなーと思いました。
遊びを通して社会を学んでいく、というようなお話もありました。
私はゲームをする人ではまったくないのですが、
今日溢れるたくさんのゲーム、ルールもかなり複雑化していて、
ゲームの世界観もとても緻密だったりして、
ゲーム好きな人とそうでない人の違いや、現実社会とのかかわり方の違いはあるのかなどが、
さらに気になりました。
Posted by ブクログ
主にデジタルの世界(ゲーム)と人の遊び心の関係を考察する本。
若干難解?抽象的に感じた。
この本自体は2014年の作で、今からほぼ10年くらい前の本だけど、挙げられているゲームがどれも非常に楽しそう。
"本書では遊びを、流用とそれに対する抵抗のダンスとして、あるいは想像と秩序の破壊のダンスとして考えてきた"
既存の文脈から絶えず離れながら文脈に引き戻されていくところに著者のいうゲーム(というよりもICCとかで展示されてるインタラクションみたいな感じ)の自由さや面白さみたいなものがあって、
そうした異化の過程が人にとって必要なものなのかなあと感じる
ただ、身体的なものをどう考えるのかまだ、ここではわからない感じもする。
いまのマイクラなんかは、まさに著者の言うゲームの王道なのかも。
Posted by ブクログ
「遊び」って何だろう。「遊び心がある」ってどんな状態だろう。
誰もが小さい頃から遊んでいるけれども、それはどういうことなんだろう。
「遊び」の持つ要素や、「遊び」が人、社会にもたらす影響を、屋外、屋内の遊びにとどまらず、政治、建築、デザインにまで考察を広げた「遊び」に関わる全ての論文を集約したような一冊。
まず、著者がヨーロッパの人なので、欧米の事例がとても多かったけれども、これだけ世の中にはいろんな遊びがあるのか、ということに驚いた。面白いと思った観点として、遊びには創造的な側面と、破壊的な側面があること。遊びを通じて人は世界と接点を持ち、遊びを通じて世界と繋がる、という話はたしかに遊具や最近流行りの遊びを見ても納得した。
何歳になっても、何にでも「遊び」は作れる。「遊び」があることで、今までなかったものが生まれるかもしれない。