あらすじ
黒田みつ子、もうすぐ33歳。一人で生きていくことにも抵抗はなく、悩みは脳内の分身「A」に相談。でも、いつもと違う行動をして何かが決定的に変わってしまうのが怖いんだ……。同世代の気持ちを説得力をもって描く著者の、待望の文庫化。(解説:金原ひとみ)
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Posted by ブクログ
◾️record memo
一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない、と思っていた。一日の大半を過ごす勤め先にはたくさんの人間がいるし、否が応にも彼らとはコミュニケーションを取らなくてはいけないし、休日はときどきは一緒に遊ぶ友達もいるし、実家にもたまに帰る。また気に入ったスポットへ一人で出没するのが、私の趣味でもあり日課でもあるから、休日はいくらあっても足りないくらいだ。むしろ一人でいる時間を一日のうちでなかなか見つけられないので、帰宅後一人の時間が短くなるのがもったいなくて、ついつい夜ふかししてしまうほどだ。
男性も家庭も、もはや私には遠い存在になっている。女友達のなかには、二十代のうちに結婚しなければ生まれたときに妖精にかけてもらった魔法が解けて、カエルの姿に戻ってしまう、ぐらいに焦ってなんとか二十九歳で入籍して安堵のため息をもらした子もいる。結婚適齢期になれば実感も湧いてくるかなと思ったけど、しょせん他力本願で、身体の奥底から突きあがってくる欲望由来のエネルギーはいつまでたっても湧いてこなかった。
「夜にはっきり感じた孤独は忘れられません。孤独は、人生につきものです。誰かといても、癒やされるものではありません。はっきりと意識してはだめです。ふわふわと周りに漂っているときは、息をひそめて吸うのを避けるのです」
「自分が独りぼっちだって、気づいちゃいけないの?」
「気づくのはしょうがない、でもうまく逃げて。変に意識しない方がうまくやれます。普段意識せずにまとわりつかせるだけならいいですが、意識したとたん、どうやってこんな深い海で泳いでいたんだろうと息苦しくなって、なにもかも不自然な、ぎこちない動きになって溺れてしまいます」
「あなたのこと、信じてもいいの?」
「どうぞ、ご自由に。私は常に最善だと思う策をあなたに話しかけています。決してめんどくさがったり、なにかあなたをはめようとしたりして言葉を作ったりはしません。なぜなら私はあなた自身で、あなたが滅びれば私も無くなってしまうのですからね」
一方で、私の人生ぽくて、しっくりくるなぁとも思う。なじみのゆっくりしたペースで進む毎日のなか、長く引きのばした青春をいつまでもうっすら夢心地で楽しんでいたい。
片付いた自分の部屋でイライラせずに一日過ごせるってぜいたくだよなぁ、と気づいたのは国内の一人旅でホテルに泊まったときだ。一泊何千円や何万円の環境をお金を出して払うとき、家賃の存在も同時に思い出す。
「だからいままで独身なんでしょうな」
他人ごとのように答えながらも、私は結果をあまり悲観していなかった。
子どもかー、いたら楽しそうだけど別にいなくてもいいや。子どもがどうしても欲しい人には分かってもらえないが、意地でも誇張でもなく、等身大の正直な本音だ。そう言ってても後で欲しくなるんだって、と言われても、やっぱり実感がわかない。私にとって子どもは、"まだ欲しくない"ものではなく、"欲しいか欲しくないか聞かれれば、積極的に欲しいとは思わない"に分類されている。それが時間経過と共に変わるかは"いま生きていたいからって、いつか辛いことがあって死にたいと思うかもしれないじゃない"と言われているのと同じくらい、理屈は分かるが実感のわかないできごとだ。だんだん同類の女の人は見分けられるようになってきて、おそらくプッチは私の考えとわりかし似ているんだろう。
フンと鼻息を出すノゾミさんはたくましい。ノゾミさんはAがいなくても、正真正銘自分一人で、自分の世界を守ることができる人なんだろう。誰かをまるごと獲得しようともがくより、自分との接点だけを見つめて、大切にできる人なんだろう。
「じつはね、最近隠し撮りしてるの。ほらこれ、一人残業もせず、さっさと帰る瞬間のカーター。周りの非難の視線も気にせず、わきめもふらずに出口に向かう姿、かっこいいでしょ」
うれしそうにノゾミさんが見せてきた携帯の画面には、移動速度が速すぎたのか、残像の流線の姿でしか映ってないカーターが横切っていた。
入社したときこの会社は、わりと体育会系で、女性の先輩たちもビシバシ指導するぞという意気込みに満ちていた。彼女たちの指導は好みによって少し偏りがあり、ターゲットとして見定めた新人相手に、学生時代のいじめを思い出させる、すっぱい弾幕を張った。
彼女は私が入社した当時から私にはつめたく、私が彼女とその同僚のグループの前を通りかかると、「のんきを装ってる」と私に聞こえるぐらいの音量ではっきり言った。
たしかに私はのんきを装ってるけど、本当は自分でもあつかいに困るくらい、激しい人間なのだ。周囲の人たちが気づかずに見過ごしている状況に、感謝しなくてはならないほど、実はやっかいな性質である。
いじめの典型みたいに消しカス入りのお茶とか飲まされたけど、まあそれはそれ。これはこれ。
めざましい女性先輩たちは人生の展開が早くて、次々と辞めていき、残ったのはみそっかすの私やノゾミさんのような女の人たちだった。私たちは現場が発狂するくらい、同じミスを何回もくり返したり、辞表もののミスも一度や二度は披露してきたが、家に帰ってコンタクトレンズあるいは会社用の眼鏡を外して、泣いて寝たあとは、かならず翌朝出勤した。くり返してる間に、平気なことが増えてきて、ミスもなんとか寸前で避けられるようになり、ただ長く会社に居ただけながらも、後輩には新しい業務を教えるようになった。ミニお局はミニなりに、いばらないのが長所だ。数少ない後輩にも若干ばかにされてるくらいの、ちゃらんぽらんな湯温が、いまの私には心地よい。
辛い顔をしてないと頑張ってないと思われる日本社会は、息苦しい。
必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。
ほんの一瞬の幸せじゃなく、小さくてもずっと感じていられる確かな幸せを探し求めてきたはずなのに、私はまだ見つけていない。心配ごとがいつかすべてなくなる日なんて来るのだろうか。どうして私は、いつでも不満なことがあるのだろう。課題がいつも視界を塞いでいる。ちょうど目の高さに掲げられた真正面のカードをにらみ続けている。
話しかけても、多田くんからはなんの反応もない。
恋人の小さな傷つきに敏感になるのも、なられるのも苦手だ。相手の不機嫌に気づけば、ひやっとして一分でも早く挽回したいのに、大体繕おうとすればするほど墓穴を掘り、逆に自分の気持ちの変化に敏感な相手に顔色をうかがわれると、当惑する。
男の人と付き合うのって、これだから嫌だ。さっきまで笑い合っていたのに。
無人の廊下を歩き製氷器コーナーにたどりついた。製氷器から落ちてくる氷でグラスを満たして、あとはもう帰るだけなのに足が動かなくなって、眩暈がしてきた。
「どうしたんですか」
遠くでAの声がする。
「部屋に帰りたくない。多田くんに会うのがこわい、また不穏な空気になったらどうしよう。一人で孤独に耐えている方がよっぽど楽だよ」
シャワールームでは出なかった涙が、いまさら溢れ出してくる。
「多田くんを愛しく思う気持ちはあるよ。でも距離の取り方が分からない」
さっきの小競り合いだけが原因ではなかった。いくら恋人同士とはいえ、私には予想外のお泊まりなどという、恋愛ドラマみたいな展開はきついのだ。ずっと静かな一人の部屋で眠ってきた私は、間違いなく今夜一睡もできない。それはいいとしても、ツインの空きの部屋が無かったからしょうがないけど、ダブルベッドで寝なければならない。多田くんはベッドで迫ろうかどうか今思いあぐねているだろうけれど、私はそれどころじゃない。身体がこわばって、きっと寝返り一つ打てそうにない。
独り言が異常に多いと気づいていても、とめどなく口からこぼれ落ちてゆくように、受け止め先もないまま"私"がこぼれ落ちてゆく。いままではなんとか形を保てていた"私"が、頭からチャックを開けられて、中身が外へ溢れ出てしまう。
だれでもいい、だれか私をくいとめて。応急措置の包帯でも、下手くそな漆喰の塗り固めでもいい、とにかく、早く、なんとかして。
「落ち込んでいた気分は良くなりましたか」
「うん、ずいぶん楽になった」
「一体なにがそんなにショックだったんですか。多田さんとの距離がぐっと縮まる良い機会じゃないですか。抱きついてきた彼に幻滅したんですか」
「ううん、多田くんは何も悪くなくて。自分が根本的に人を必要としていないことがショックだったの。人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら。でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて」
A、もう聞いてないかもしれないけど、話すね。私から呼びかけるのは、これで最後にします。迷っているとき、いつも相談相手になってくれてありがとう。私は、私自身にさえすがりつかなければ困難を乗り越えられないほど弱い人間だけど、Aがいたおかげで何度も乗り越えられたよ。いつも励ましてくれて、つねに私の味方でいてくれてありがとう。いつも言ってほしい言葉をかけてくれてありがとう。これからは自分とは別の人間と、向き合って、体当たりで、ぶつかり合って生きていくよ。でももし頑張っても上手くいかなくて、また孤独でピンチに陥ったら、どうぞよろしく。頼りにしてるよ。
私はラッキーだって今気づいた、本物の孤独なんて私には永久に存在しないね、だって常にAがそばにいるから。Aは私なんだから。そう思うと、すごく強くなれるよ。返事は聞こえないが、頭の中でAが微笑んだような、脳のシワのうちの一本がゆるんだ感覚があった。
孤独を感じた時に
孤独感に押しつぶされそうな時に読み返したい小説でした。主人公の一言一言に終始共感してしまいました!すごくイメージしやすくて読みやすかったです。私も食品サンプルを作ってテレビの前に飾ろうと思いました笑
Posted by ブクログ
金原ひとみさんのあとがきを頷きながら読んだ。
いまふうの人たちの話だった。
薄い嫌悪感はあるけど、そんなにいやなものじゃなくて、でもやっぱり自分とは違う種類の人を見ている感じ。
みつ子は割とぽやーっとした性格のように思えたけれど意外にも行動力があってよかった。
Posted by ブクログ
『あなたは自分のこと』を『おひとりさま』って思ったことはありますか?
『おひとりさま』という言葉をいろんな場面で見かけるようになりました。人はどうしても他人の目を意識するものです。『ひとりカフェ』はカフェが待ち合わせの場所と考えると、ひとりで入るのになんの躊躇もないと思います。しかし、『ひとりファミリーレストラン』、ひとり焼き肉、そして『ひとりディズニー』となるとどんどんそのハードルが上がっていくようにも感じます。しかし、『おひとりさま』という『明らかな接待用語』がそんなハードルを下げてもくれます。
『女一人という、ともすればみすぼらしくなりがちな状況でも、”自分はおひとりさまだ”って自称すると、背すじが伸びるというか、堂々と品良くいられる気がする』
『一つの言葉だけで、自分を鼓舞できる』のであれば、今の世にあって『おひとりさま』という言葉はまさしく時代にあった言葉のようにも思います。
さてここに、『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』と語る三十三歳の女性が主人公となる物語があります。一方でその女性は『どう思う?多田くんの気持ち』、『私には分かりませんね。本人に訊いてみたらどうですか?』、『訊けるわけないじゃない』と一番身近な存在と日々会話を続けます。この作品は主人公がそんな身近な存在を常に意識する物語。そんな身近な存在にさまざまなことを相談する物語。そしてそれは、『おひとりさま』を満喫するその先に生きることの本当の意味を知る主人公の物語です。
『ハイ、できました。同じ要領で、シシトウとイモの天ぷらも作ってみましょう』と指示する講師の言葉に『ロウを高い位置から垂ら』すのは主人公の黒田みつ子。『時間は午後六時、多くの奥さんが本物の天ぷらを揚げているだろう時間帯に、私は一人で合羽橋まで来て、食品サンプル作りの一日体験講座に参加している』という みつ子が『食べ物の模造品に興味を持ち始めたのは、ごく小さい子どもの頃から』でした。『そして三十代になったいま、とうとう自分で作り始めている。末期だ。老人の頃にはどうなっているのだろう。間違えて食べてそうだ』と思う みつ子は、『食品サンプル製作体験講座』の『帰り道、地下鉄の入り口まで雨のなかを歩』きます。『晩ご飯は経由駅の百貨店の地下で、お惣菜を買っていこうか』、『ニセモノの天ぷらは合羽橋まで来て作るのに、自炊はゼロなんですね』、『ゼロじゃない、先週は厚揚げと豚肉の炊き合わせを作ったでしょ』というのは『会話だけど、声は出ていない。話し相手は私の頭の中に住んでいる』という 存在と会話する みつ子。『さっき天ぷらのサンプルをテレビの前に置こうなんて考えていらっしゃいましたが、やめておいた方がいいですよ』、『なんで?』、『五感は食欲を刺激するって言いますからね…なにか食べたくなります。太りますよ』、『じゃあどこに飾ればいい?』、『飾るのは止しましょうよ』と、頭の中で会話する みつ子。そんな みつ子は『私の趣味って暗すぎると思う?…正直に答えてよ、A』と訊くと、『良い時間の過ごし方だったと思いますよ。楽しんでいらしたし』と、『さりげなく気遣う口調になる』『A』。そんな『A』のことを『私の気持ちを察するのがうまい。当たり前だ。Aはもう一人の私なのだから』と みつ子は思います。そんな みつ子は、『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない、と思ってい』ます。『勤め先にはたくさんの人間がいるし』、『一緒に遊ぶ友達もいるし、実家にもたまに帰る』と思う みつ子は、一方で『男性も家庭も、もはや私には遠い存在になっている』という今を思います。そして、『どこか理想と決定的に食い違っている気がするのはなぜだろう。私はこの場所を目指していままで働いてきたんだろうか』と思う みつ子は、『あなたのこと、信じてもいいの?』と『A』に話しかけると『どうぞ、ご自由に…私はあなた自身で、あなたが滅びれば私も無くなってしまうのですからね』と返されます。そんな『Aが出現してすぐの頃は、ちょっと精神の病を疑ったこともあったが、Aの声が本当は自分の声だとは分かっているし、多分大丈夫だろう』と今の みつ子は考えます。
場面は変わり、『うちには月一回ほどのペースで、托鉢の器を持った修行僧が現れる』と『マンションのドアを開ける』みつ子は、『こんにちは、いつもすみません』と玄関前に立つ『スポーツ刈りの多田くん』を迎えます。『実際はただ飯をもらいに来ただけの人』という多田に『うちで食べてく?』と声をかけるも『いや。それは。ご迷惑は、かけられないので。作ってもらえるだけで十分です、ありがとう』と返されます。『「うちで食べてく?」と訊きながら、ほんとに上がりこんできたらヤだなぁと思っている』みつ子の一方で、『”まさか今日も訊かれると思わなかった”という当惑したリアクションを律儀に返してくる』多田。『三十代同士なのに、中学生同士の会話と同じくらいぎこちない』と感じる みつ子は、『じゃ、よそってくるね。器貸して』と受け取り、大鍋に煮込んだ『肉じゃが』をよそうと『どうぞ、これ、おいしかったら、いいんだけど』と多田に返します。『私の頭の中に住んでいる』『A』と会話しつつ三十代の今を生きる みつ子の日常が描かれていきます。
“黒田みつ子、もうすぐ33歳。悩みは頭の中の分身が解決してくれるし、一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない、と思っていた。でも、私やっぱりあの人のことが好きなのかな?同世代の繊細な気持ちの揺らぎを、たしかな筆致で描いた著者の真骨頂”、と読み終えた上で改めて上手くまとめられている内容紹介に納得するこの作品。2020年12月に、のんさん、林遣都さん主演で映画化もされた綿矢りささんの人気作の一つです。現在の文庫本の表紙はそんな映画がモチーフとなっていますが、私としてはわたせせいぞうさんが描かれたなんとも味わいのあるゆる〜いイラストの方が好みです。
さて、そんなこの作品は、『私の頭の中に住んでいる』『A』という存在と会話する主人公・みつ子のある意味淡々とした日常が描写されていきます。そんな生活に『A』が果たしていく役割とは…ここがこの作品の一番の読みどころではあるのですが、そんな核心に行く前にまずは二つほどこの作品の読みどころをご紹介したいと思います。まず一つ目は、綿矢さんらしい比喩表現の数々です。芥川賞作家さんの作品には独特な比喩表現を用いられる方が多々いらっしゃいますが、綿矢さんも代表作「蹴りたい背中」の”さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから…”と始まる素晴らしい表現など、作品の内容以前に読みたい!と思わせる表現の存在があります。そんなこの作品で面白いと思ったのは身体の一部を用いたこんな表現の数々です。
『口から吐き出される人、飲み込まれてゆく人。今日の地下鉄の喉は、雨の湿った匂いがする』。
地下鉄の出入り口を『口』に比喩する面白い表現です。次は、口に咥える煙草、その煙をこんな風に比喩します。
『ストレスは目に見えない煙草の煙みたいだ。たくさんの言いたいことを毎日文句も言わず嚙み潰してきたしかめ面を、灰色の煙が覆っている』。
これも面白い表現です。『ストレス』を『煙草の煙』に繋げるという感性も凄いと思います。次は、飛行機内で恐怖と戦う みつ子を描写した二つの表現です。
・『飛行機が下降したのか、身体が一足遅れて座席に到着するような、ふわっとした嫌な浮遊感が主に臓物を襲った。一瞬の不快な無重力状態に、お腹の中の胃袋が不安そうに腸と囁きを交わす』。
・『内臓がかっ飛び、身体に遅れて元の位置に着地する。胃は飛行機のアップダウンに合わせて、ハミングしてスキップしている』。
悪天候で飛行機が大揺れになる瞬間ほど怖いものはありません。それを綿矢さんは『臨死体験』と表現されるのですが、胃袋、腸という内臓をそんな恐怖の瞬間の表現に用いるのはとても興味深いです。確かに言葉に出せないほどの恐怖が故に自身の身体に神経が集中してしまう感覚というのはありますね。このリアルさはまさしく実体験から来たのかなあ、そんな風にも思いました。
そんなこの『臨死体験』の渡航先での みつ子が描かれていくシーンがご紹介したいもうひとつのものです。みつ子は大学時代の友人で、『結婚してイタリアのローマの家庭に嫁いだ』という皐月の誘いで年末年始を挟んで八泊十日のイタリア旅行へと旅立ちます。上記した『臨死体験』の飛行機の中のシーンはその往路ですが、その機中の描写、そして『ピアチェーレ、イオソーノ、みつ子、黒田』と大歓迎でスタートした『ローマの郊外』にある皐月の嫁ぎ先でのイタリア滞在の日々が描かれていくのは大きな読みどころです。こちらも想像などではなく実際に体験したからこそ描ける描写に満ち溢れています。
『何かの錠前の鍵かと思うくらい、非常に懐かしい簡素な形の鍵を取り出して、ドアの鍵穴にはめ込』み、『ガチャガチャと回すがなかなか開かず、ドアノブを持ち上げたり揺らしたりしている』という皐月の夫・マルコ。
『イタリアの鍵はどれも古くてドアごとに癖があるから、慣れないと開けられないのよ』というその背景が説明されますが、でも自分の家だよね、と当たり前の日常を描写する場面だからこそリアルさが余計に感じられます。そして歓待される晩御飯のシーンは海外あるあるです。
『海老のトマト煮込み』、『自家製のフォアグラのテリーヌ』と出される料理は美味しいものの『メインディッシュのステーキがでてきたとき、すでにお腹がいっぱいだった』という みつ子は『消化するほどの力量、いまないよ、と胃が力なく答える』のを感じます。再びの比喩表現ですが、『Aだけでなく、胃までしゃべり始めた。胃は無責任な臓器だ。ぐうぐう自己主張は激しいくせに、ここぞというときは無責任だ』。
そんな風に続いていく感覚は、歓待されている以上無理にでも食べる他ない、ある意味これ以上ない拷問の時間を上手く描写していると思います。そして、『翌日は、午後から地下鉄でローマへ向かった』という旅行記のような展開では、
『ローマの中心部のテルミニ駅は華やかな想像とは違い、治安が悪く、皐月から「リュックは前に抱えて」とアドバイスを受けて実行した』
イタリア旅行あるあるな治安の悪さとの戦いを垣間見せつつ、『トレビの泉、サン・ピエトロ広場…』と名所を観光していく みつ子の姿も描かれていきます。このイタリア旅行を描く一連の場面はそれなりの分量をもって描かれていきます。しかし、このシーンがそれだけ浮くということもなく、このシーンもあった上で後半へ物語が上手く落とし込まれていきます。この辺り、物語展開としてとても上手いです。また、映像化されるのに向いているとも思いました。
そんなこの作品は、『もうすぐ三十三です』という今を生きる主人公・黒田みつ子の日常を描いていきます。そんな みつ子は『自分はおひとりさまだ』と思う中に会社員としての日常を送っています。そんな みつ子には
『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』
という強い思いがあります。『勤め先にはたくさんの人間がいるし』、『一緒に遊ぶ友達もいるし、実家にもたまに帰る』と思う みつ子は、一方で『男性も家庭も、もはや私には遠い存在になっている』という日々を当たり前のものとして生きてはいますが、一方で『どこか理想と決定的に食い違っている気がするのはなぜだろう』という思いが湧き上がってもきます。そして、この物語で大きな存在感をもって登場する存在が語られます。では、そんな存在が登場するシーンを見てみましょう。
?『あと一つ聞いてください。こっちの方が重要です』
みつ子『まだなにかあるの?』
?『はい。あなたが語尾にハートマークをつけるようなしゃべり方をすればいいと、私は提案します』
みつ子『ハートマーク?』、『それっていったい、どんなしゃべり方よ』
?『あなたは人と話すとき、そっけなさすぎるんです…手っ取り早く語尾にハートマークをつけて、少ない言葉にも温かみを持たせるのです』
みつ子『ぶりっこして、媚を売れってこと?やーだ』
さて、あなたは上記の会話がどんな場面で語られているかわかるでしょうか?主人公のみつ子のしゃべり方をアドバイスする男性、カウンセラーか何かしらの存在?との会話かなあ?とこの会話がなされるシーンがそれぞれに浮かぶと思います。しかし、あなたの想像は間違っています。実はこのシーン、『話し相手は私の頭の中に住んでいる』という みつ子の説明にある通り、『頭の中の自分自身』との会話がこのように描写されているのです。ひえーっ!という声が聞こえてきそうです。この作品のイメージを一気に別物に感じ出した方もいらっしゃるかもしれません。しかも、『頭の中の自分自身』と会話する みつ子のシーンはもう全編に渡って各所に登場します。しかし、この作品を読まれたことのない方が思われるような微妙な空気は一切纏いません。『頭の中の住人はどうも、世話焼きでプライドが高い』という声の主に、『日常生活でストレスを抱えたり、罪悪感にさいなまれて独白したくな』っていく みつ子は『あなたのこと、Aって呼んでもいい?』と身近な相談相手として捉えていきます。
『Aが出現してすぐの頃は、ちょっと精神の病を疑ったこともあったが、Aの声が本当は自分の声だとは分かっているし、多分大丈夫だろう』
そんな風に冷静に自身が置かれている状況を見てもいる みつ子の姿もあって読者は『A』と会話する みつ子の姿がどんどん自然に感じてくるから不思議です。一方で、みつ子はリアル世界において、『うちには月一回ほどのペースで、托鉢の器を持った修行僧が現れる』とこちらの方が余程不自然に描かれる多田という男性との関わりをもっていきます。『おひとりさま』であることを好み、器に料理を盛って渡してあげるも、決して一歩も自宅には入れる気のなかった多田との関係。物語は、そんな多田との関係を結果として後押ししてくれる会社の先輩・ノゾミに報告する みつ子の姿が描かれていきます。
『人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら』という みつ子。
しかし、
『でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて』。
そんな風に自らの生き方に葛藤する みつ子は、『頭の中の自分自身』と会話する中に、そんな『言葉が素直にしみ込んでゆく』のを感じていきます。そして、みつ子がそこに見るもの、感じるもの。『前向きに頑張れる力』の芽生えを感じる みつ子の姿が鮮やかに描かれていく結末に、これ以上ない清々しい思いを感じながら本を置きました。
『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』
『一人でいる時間』を大切なものと考え、『おひとりさま』と呼ばれる時間を大切にしていた主人公の みつ子。この作品ではそんな みつ子が『頭の中の自分自身』と会話する中に人間が本当に必要とするものの存在に気づいていく物語が描かれていました。綿矢さんならではの比喩表現の魅力を堪能できるこの作品。リアルなイタリア旅情を楽しめもするこの作品。
主人公・みつ子と『頭の中の自分自身』である『A』との会話のリアルさの中に、グイグイ読ませる綿矢さんの筆力を改めて感じさせる素晴らしい作品でした。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ好き〜自尊心×自意識過剰×孤独→生み出されたAという存在。この人自尊心が損なわれる恐れがある行動は別人格でしかできないのよね。自分が起こした行動や思考なのに、「Aはすごいね、わたしにはできない」みたいなこと言ってるの不気味でしかないけど、彼女はそうしないと自分を保っていられないんだ。。恥ずかしい行動もちゃんと傷つくことも全てAに任せて、自分は高みの見物してるつもりになっているのがこわ面白かった。でもAも自分とちゃんと自認している上でのことなので、それもなんだか可愛い。
歯医者とどうにかなれるかも、と考えるところとか、短いスカートでアピールする痛い女を描くところが綿谷さん意地悪ですき。
ラストの海のシーンがとても印象深かった。他者と深く関わるのはおひとり様でいるよりことよりよっぽど怖かっただろうな。みんな心に自分の世界があって、一人の時間が長いほどそこにいる時間が長いんだよね。彼氏ができて、自分と対話するだけの世界から泳いでいくっていう可能性と恐ろしさを併せ持った海なんだろうなー。
映画も観たけど、原作へのリスペクトを感じつつ、皐月とみつこさんの関係性が深掘りされてて良かった。
Posted by ブクログ
久々の綿矢りさ!!おもしろかった~~~!!!一気読みしてしまった。
みつ子ちゃん、33歳、独身。自分に近い部分が多かったので読んでいてすごく楽しかった。でも私に近いのはオタクっぽくてイケメンに甘いノゾミさんかな。相手の顔が好きであれば多少のこと(カーターはだいぶめんどくさいが)には目を瞑れるというか、相手のナルシズムに付き合うのが大好きな感じ、分かる。楽しいよね。
でも多田くんみたいに害の無い人と付き合って、女性として見てもらって、その代わり軽く拒否っただけで拗ねられてめんどくさい、みたいなのが一番リアルよな~~~。みんなすごいなぁと思うよ。私ほんとしんどいんだそういうの。婚活して、何回かデートして告白されて、断る理由もないしいい人だと思ったから好きではないけどとりあえず付き合うじゃん。でも結局あれしんどくならない?みんなしんどくないの?自分で「付き合う」って決断したはずなのに、どうして好きになっていかなきゃならないんだろうって落ち込むことになるんだよね。そんな努力するくらいなら一人でいるよって思っちゃうの。
でもこの小説の中でAがさ
「根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい」
「相手の心に自分の居場所を作るのは楽しいですよ」
って言ってたじゃん。
それはすごく心に響いた。そうかもしれないなって思った。
でもまあ私はノゾミさんのような人生を望む…。やっぱり好きでもない人には優しくできないよ。というか、付き合った途端、あるいは好きになろうと努力して相手に優しくした途端、「手に入った」と勘違いして調子に乗ってくる人たちが本当に苦手だよ。
そしたらカーターみたいに最初から調子に乗ってる方がいい。そしたら落差にイラつかないし。顔も好みだし。
そんな風に色々考えたけど、とにかくとてもおもしろい小説だった!綿矢りさの文章大好き。
映画も好評みたいだから観てみたいな。
Posted by ブクログ
「ストレスは目に見えない煙草の煙みたいだ。たくさんの言いたいことを毎日文句も言わず噛み潰してきたしかめ面を、灰色の煙が覆っている。」
「真夜中の沈黙に身を浸すのは危険です。漆黒が身体の芯に染み込んで、取れなくなります。夜にはっきり感じた孤独は忘れられません。孤独は、人生につきものです。誰かと居ても、癒されるものではありません。ふわふわと周りに漂っている時は、息をひそめて吸うのを避けるのです。」
Posted by ブクログ
Aとの会話が良かった。
なんだかこっちまで落ち着けるから不思議だ。
ノゾミさんいいのか!?カーターで!!と思ったけどなんだかんだ上手くいったので一安心。
多田くんとミツコもうまく行く感じでよかったー。
久しぶりの綿矢さんの作品面白かった。
Posted by ブクログ
面白かった。
綿矢先生の作品は「勝手にふるえてろ」くらいしか読んだことがなく、しかもそれも数年前に読んだものだから綿矢先生がどんな文章を書くのかわからなかった。
主人公の特殊能力が周りにバレて精神病扱いされるのかなと思ったけど、全く違った。とても暖かい話だった。
ノゾミさんがすごく好きになった。自分が面食いなことを一切隠さず、カーターに尽くすところ。それにまんざらでもないカーター。この2人の関係が1番面白かった。このまま2人は結婚しそうだなと思った。私もノゾミさんみたいにポジティブに生きたい。
Aが最終的に消えることは予想通りだった。でも主人公が本当に困っている時は出てきてくれる。なんて都合のいい特殊能力なんだ。
あまり気にすることじゃないのかもしれないが、Aの構造がすごく気になる。主人公はAは自分だと知っているが、本当にそうなのか?だけど、自分じゃないと辻褄が合わないところもある。
Posted by ブクログ
主観の客観性
Aのような存在がいたら、私ももっとマシな人間だったろうか
わからないけど、Aの母体は結局自分だった。だから信じられるのは、自分なのだろう最後には。
自在に操れるのなら、頭の中に平安貴族とゴリオネエがいてほしい
Posted by ブクログ
p120
山羊のにおい
p230
根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくていい。
勝手に揺れてろ、
Posted by ブクログ
私はこの小説で面白いと思ったことは自分の中に存在していたAが最後に消えてしまったことです。最後まで主人公の中にいていつものように支えています。という終わり方だと思っていたので想像の逆をいって面白かったです。このラストで主人公がAがいなくても生活できるとAが判断したからだと気づくことが出来ました。aとの掛け合いも面白かったです。
Posted by ブクログ
以前に読んだもので、詳しく覚えていないけれど、なにはともあれ整体?に行くシーンが細かく描写されてて、気に入ってそこだけ何度も読んだ覚えがある。
Posted by ブクログ
友達でいることに居心地がよく、それ以上発展させようとしない主人公みつ子。周りから見ればどう考えても好きに思えるのに、本人からしたらそこまで好きではないと思い込んで、さらに踏み込もうとしない恋愛。
じれったく思いながらも、みつこの気持ちについつい感情移入してしまう自分もいた。
傷つくのが怖くて本音が言えない最近の人たちを描いているようだと解説を読んで理解できた。
Posted by ブクログ
脳内会話をしてしまう。わかる。
でも、ここまで自分と切り分けた人物としての会話はないかな。
共感できる部分もあるけれど、私とは違うなと思う。
みつ子のこと、嫌いではないけれど特に好きにもなれない。
Aとの別れは良かったのか?
まぁ、自然な流れでそうなるよね、としか。
心に響くわけでも、魅力的なキャラクターがいるわけでもないけど、惹かれる。やっぱり綿矢りさ好きだな、と思う。
Posted by ブクログ
久々に本を読んだ・・・
本当に、最近全然本を読んでいなかったので、感性がおかしくなっていたかもしれないけどそれでも
「いい本だったな」
と思えた。
少し前だったら、みつ子のこともノゾミさんのことも理解できなかったかもしれないけど、今の私にはものすごく理解できたし共感できた。
私もカーターみたいな人が好きかもなぁ。
やはり私は、綿矢りさと人生を歩みたい。
映画を先に観ていたので、情景がちゃんと映像で脳内再生できたのも良かった。
Posted by ブクログ
こじらせ女子は、外と内をはっきり線引きしてるところがあるから、どうしても人に介入される状況を拒んでしまう。そんな人間の繊細な心理を描いた作品だと思った。現状のままでいていいはずがないことはわかってるんだけど、なかなか人間は変われない。何がきっかけで自分を出せるようになるのか人それぞれだなぁと感じた。
Posted by ブクログ
私も長い間「おひとりさま」を過ごしてきたので、主人公の気持ちにとても共感できるところがあった。
他人と関わりたいと思いながらも、いざそうなると踏みとどまってしまう気持ちは私にもあるのでよくわかる。
でも勇気を出すのも自分、踏み止まるのも自分なんだよね。
主人公が整体してもらうところ、特に足裏マッサージの描写が、私自身先月実際に足裏マッサージしてもらった時の感覚が蘇り、また行きたくなった
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて買った。もうひとりの自分、誰しも持つのか否かわからない。自分にもいるようで、結句、諦めてる、慰める、叱る、勇気づける、安心させる、安心する、そして決める。性別に差があるのか、今回は女性が主人公であることが作品となっている。私をくいとめて、くいとめられないのか自分なんたな
Posted by ブクログ
途中から、Aが実際に動いているような描き方になっていて「?」が浮かんでくる場面も多かった。
しかし、Aの存在は大きく、私にもいるかな?いたらいいな?と思いつつ、ある友だちにも猛烈に勧めたい一冊になりました
Posted by ブクログ
黒田みつ子
脳内のAと会話する。
多田くん
取引先の営業マン。
ノゾミさん
会社の先輩。
カーター
片桐直貴。誰が見ても真性のイケメン。
中畑遼
スマイル歯科の院長。
皐月
大学時代の友達。ローマに住んでいる。
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今までの綿谷作品とは一味違うように感じた本作。相変わらず自分の世界に閉じこもり気味な主人公ではあるものの、お一人様を満喫しながら、周りのみんながなんだか憎めず、毎週楽しみにしている30分ドラマを観ている感覚に陥った。
2020年の作品だし、何か心境の変化でもあったのかな。表紙センスは相変わらず素敵
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どこにでも居そうな
「おひとり様」を満喫している
30代のOLのみつ子は
心の中のもうひとつの声
(冷静に物事を考えたり、時には
大胆になったり、悩んだ時は答えをくれたり)
に「A」という名前を付けている。
(性別は男性)
そんな心の声とのやりとりを中心に
久しぶりの恋心に戸惑ったり
苦手なものと向き合ったりしながら
自分の世界を広げて成長していく、
というお話…。
映画化もされていて、
主人公のみつ子は「のん」さんが、
心の声、「A」を中村倫也さんが
演じています。
私は、みつ子が慕う会社の先輩、
ノゾミさんの恋がユニークで新鮮でした。
ノゾミさんらしさ、貫いて欲しいです。
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P.230 根本的に必要じゃなくても、生活にあるとうれしい存在はたくさんあるんです。というか、私たちはそういうものばかりに取り囲まれて生きていますよ。根本的に、なんて思いつめなくて良い。
恋人にすべてを求めすぎてしまうわたしは、この言葉を大切にした方がいいんだろうなと思った。
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映画での、のんさんの迫真の演技に原作も読みたくなり購入。
独特の表現につまずきがちになりながら読みました。映画を観てなかったら、理解出来ないところが多かったかもしれません。
映画の方がクォーターライフクライシスに悩む主人公の葛藤が上手く表現されてたような。。
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映画の予告を見て気になったので文庫を手に取りました。
1人行動が好きなのでみつ子に共感。会社の同僚も個性的で面白かった。
綿矢りささんの小説は久しぶりに読んだ。解説が金原ひとみさんで嬉しかった!
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単行本の登録がなかったので文庫版で。
みつ子にきょうかんするところは多々あれど
自分が根本的に人を必要としていないことを
ショックに思えないあたりに私の敗因があると分析。
映画は番宣くらいしかみなかったけどキャスト
多田君もA(声の出演だけだった?)も良すぎない?
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自分の周りにいそうでいない人たちの話であり、自分に起こりそうで起こらない話。そして綿矢りさが30代女性を主人公にしていることに時の流れを感じた…
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一人暮らしが長くなってくると、ふと仕事でないプライベートな部分に他人が入り込んでくると一刻も早く一人の空間を取り戻そうと内心必死、みたいなことってあるあるかもしれない。30代で独身のみつ子はそんな一人女子の典型で、ついには頭の中にもう一人に自分(この小説では“A”という名前がついているのだが)が住み着いてしまう始末。そして何かあればこの“A”との会話に逃げ込んでしまう。なんてことは現実にはないのかもしれないけど、一見してことさら社交性を欠いているような、いわゆる「変な人」の部類に入らずとも、自分の殻の中に閉じこもってしまっている人(つまりはこのお話のみつ子のような人)って結構いるのでは?
正直言って、この小説を最後の方まで読み進めるまでは、つまりみつ子が多田くんといい感じになる、社内でのちょっとした出来事、友人の住むイタリアに行く、といったところまでは「ちょっとつまらないかも…」と思ってしまったが、でも最後はよかった。彼氏となった多田くんが迫ってきたのを断るシーンの後の複雑な気持ちなんてすごくリアル(恋人の小さな傷つきに敏感になるのも、なられるのも苦手だ。相手の不機嫌に気づけば、ひっやっとして一分でも早く挽回したいのに、大体繕おうとすればするほど墓穴を掘り、逆に自分尾気持ちの変化に敏感な相手に顔色をうかがわれると、当惑する。)。本当になんということもない、でもちょっとこじらせた人の心情描写は一級品だなと思う。
(230608再読)
共感してしまった。ということは、ぼくも彼女と同類なのか…!?
性別は違うけど同年代で独身、1人を満喫してる。1人を満喫できる。1人でどこかに出かけるのだって抵抗がないし、なんならその方が気楽。
それにしても、相変わらず冒頭が秀逸。ロウでできた食品サンプルを作る体験に1人で出かけるという、1人で行く先が映画館でも焼肉でもなく、斜め上の目的地。そんな場所に1人で行く、というのがある意味でこの話の主人公、みつ子の人柄を端的に表していたのかもしれないなと思う。
みつ子は自分の中にAという別人物を住まわせていて、ことあるごとにAに相談を持ちかけるーといっても彼女の頭の中に住まわせている人物だから別人物だけど同一人物というなんだか矛盾をはらんでいるようだが、このAがみつ子とはまた違った視点でモノを言ってくる。今これを書きながら思ったのだが、もしかするもみつ子自身、今の彼女を決してよいとは思ってなくて、そんな潜在的な気持ちが別人格となって自分の中に現れていたのかもしれない。
話は多田くんという、みつ子の勤める会社に時折りやってくる営業マンー彼は出世はしなさそうな、悪くはないけどそんなにもパッともしない感じのようだがーとの関係性が一つの主軸となっている。たまたま近所に住んでいることがわかり、晩御飯のおかずを彼におすそわけする仲になり…そんな中で親友を訪ねてイタリア旅行に出かけ、飛行機で右往左往しながらも無事着いたイタリアで1人で孤軍奮闘する、それでいてイタリア人とも関係性を築く友人の姿を目の当たりにしたり、物語は様々な出来事を経ていく。
彼女は本当にぼっちを望んでいるのか?それが彼女の理想なのか?それはただ自分の殻に閉じこもって積極的に現実逃避をしているだけではないか?多田くんと付き合うことなり、そこで初めて自分は自分以外の人間を必要としていないということに気づくんだけど、だからといって再び自分の殻に閉じこもらず、人間には自分以外の人間が必要だって前に進んで行く、というのが希望があっていい。そのとき、みつ子はもはや頭の中のAに頼る必要もなくなるのだ。
希望のある終わり方だと書いたが、これを読んでるぼくが置いてかれてしまう…そんなことを感じてしまうくらい、この物語に没頭できたし、それくらい面白いテーマだった。間にちょくちょく入るシーンも印象的。たとえばたまに泊まるホテルは非日常が感じられていいけど、同じことを家でする、つまり自分のために掃除をしたり、家をきれいにするのって、この上なく贅沢だ、とか。細部も魅力的だ。