【感想・ネタバレ】高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言のレビュー

あらすじ

一九六〇年代後半から七〇年代初め、高校生が学校や社会に激しく異を唱えた。集会やデモを行うのみならず、卒業式を妨害し、学校をバリケード封鎖し、機動隊に火炎ビンを投じた。高校生は何を要求し、いかに闘ったのか。資料を渉猟し、多くの関係者の証言を集めることで浮かび上がる、紛争の実像。北海道から沖縄まで、紛争の源流から活動家たちのその後の人生までを一望する、高校紛争史の決定版。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

高校紛争

私がかつて通った県立高校には殆ど校則がない。
勉強ができ法律に触れなければ、茶髪でもピアスでも文句を言われない、そんな学校だった。

校則がほぼないのは、ずっと昔に自治会(うちの学校は生徒会のことをそう呼ぶ)が学校側に猛抗議をした結果だということを聞いたことがあった。それが、本書を読む前に私が知っていた、高校紛争に関する断片的知識である。


学園紛争には様々な側面があるが、ここでは以下の二つの側面について考えていきたい。

<①生活指導・校則に対する反抗としての高校紛争>
<②偏差値教育に対する反抗としての高校紛争>

①学外でも制服・角帽を強制され、みな丸坊主。
 高度成長期を過ぎ豊かになった日本で、オシャレな私服を着たいという
 欲が生徒に芽生えるのは自然なことだ。
 だが、10代の若者にとって最大の権力・権威である学校はそれを許してくれない。生徒は校長室の封鎖をするなどして、実力行使に出るという構図が発生した。

 ここで興味深いのは、制服を廃止しなかった高崎高校(群馬)校長のコメント
 "高崎高校一校の問題ではなく、県下全体の問題として処理されたいという(関係者からの)要望が強かった。高崎高校に自由化が許された場合、それは県下全体に波及する恐れが十分にあるというのである。"
  ⇒補足すると高崎高校は群馬県下でトップクラスの進学校である。
   「高高単独であれば自由化しても風紀が乱れるおそれは小さいが、DNQ高校にまで波及して荒れることになれば、責任取れないよ。」というのが校長の本心だろう。
今の時代から考えるとチキン野郎と批判されようが、大学では大学紛争というテロが荒れ狂っていた時代背景を考えるとできるだけリスクを減らしたいという校長の判断も分からないでもない。 
        
 反抗した高校生について考えると、私は生活指導・校則に対する反抗という目的については、よく理解できる。 (なにも校長室を封鎖するなどという荒い方法を取らなくてもよかったのにとは思うが。)
 学校は制服でなければいけない合理的な理由を提示できていなかった訳なのだから、生徒には制服自由という権利を与えてしかるべきだと思うし、実際その権利を勝ち取った学校も少なくなかった。


 
②偏差値至上教育に対する反抗としての高校紛争   

 私には理解しきれない、しかし興味深い論点が隠れているのがこちらの側面だ。 理解の前提としては、偏差値の高いエリート高校を震源として紛争が起きたという事実が重要だ。

 紛争を起こした生徒はこう言う。
 "自分たちは公立である仙台一高に行っている。しかし、それによって否応なしに私学へと追いやられた多くの同じ年齢の高校生がいる。彼らは多額の月謝を払いながら、自分たちへの理不尽な劣等感を内に詰め込まれていく。"
 
⇒自分が同じ立場なら(高校の時はほぼ同じ立場だったが)こう言うだろう、「勉強しないのが悪い」
  親の年収によって学歴が左右されるといった研究もされていなかった時代だからと弁明するが、社会的に階級が再生産されるというようなことは考えてみたこともなかった。対して、紛争が起こった当時は全共闘の全盛期、マルクス主義もまだ勢いのあった時代である。階級やら下部構造やら闘争やら、そのような言葉がありふれていた時代なら、「自己否定」する生徒もいるだろう。
 だが、学力による差別を否定していることは置いておくとして、「私学生徒は可哀想」という憐れみの感情を抱いている点で自己矛盾に陥っていないだろうか。これは障害者を可哀想だと面と向かって言うのと同じことで、憐みからは何も生まれないし、「可哀想な私学生徒」との連帯も絶対に生まれようもない。
 
 続いて、「自己否定」した生徒は、偏差値競争から離脱するのではなく、試験制度そのものを攻撃の対象とした。
 ”本来、試験の目的は授業で教えられた中身を生徒がどの程度習得したかを測ることにある。しかし、試験の結果が全人格的な評価につながっていると批判した。”
 ”高校は大学受験予備校ではない、受験対策的な試験、そして授業は改めるべきだとも主張した。”
 
 ⇒ここで注目すべきは後の一文。
  高校を大学に、大学受験を就職活動を読み替えてみると、どうなるか。
  ”大学は就職活動予備校ではない、就職対策的な試験、そして授業は改めるべきだとも主張した。”
  これは、現在の就活システムを嘆く大学教授の声に聞こえるではないか。これは偶然の一致ではないと私は考える。当時高校生だったエリートの卵は今60歳。アカデミズムの世界で偉くなった者の中には、この高校紛争の影響をまだ引きずっている者がいるに違いない。

  また、前者はいわゆる「ゆとり教育」という形で日の目を見ることになる。これも偶然かもしれないが、ゆとり教育を推進したといわれる寺脇研 氏も60歳、高校紛争世代である。
  私はゆとり教育の理念自体は間違っていないと思うが、エリート校にしか適用できないような教育だと考えている。だが文科省は全体にそれを押しつけてしまった。これはエリート校出身の高校紛争世代ゆえのエゴだったのではないかと私は思う。
  

  そう考えると、われわれは高校紛争で当時の高校生が提起した問題に引きずりまわされた揚句に、いまだにその解答を見つけられていないといえるのかもしれない。
      
  

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2013年01月15日

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