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日本の歴史人口学の権威 速水融 による自伝「歴史人口学事始め」
著者は、歴史人口学を 日本に初めて導入し、江戸時代の人口動態分析から 勤勉革命や日本複合民族国家説を提唱した経済学者。歴史人口学は 歴史学に近いと思うが、経済史の一分野という位置づけらしい。
日本の歴史人口学は 先進国に共通する人口減少と経済停滞の問題に関する処方箋を出してくれそうな気がする
学校と本の違いについての名言「学校において、先生や同級生との付き合いから 生きている社会を学び〜常識を作る。本からは 常識以外の知識を得る〜読書は探究に似た面白さに満ちた行為」
太平洋戦争における外交の失敗(ポツダム宣言の黙殺)
三木清獄死事件における治安維持法の拡張解釈 については、著者は 当事者であり 憤りを表している。この歴史から何を学ぶのか、読み手に問いかけている
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『大正デモグラフィ』を以前、興味深く読んだ。
そこで歴史人口学という学問のあることも知った。
その著者の一人、速水融(はやみあきら)さんの著作と聞いて、読んでみたいと思った。
速水さんは19年に亡くなったばかりだということもある。
当初、歴史人口学の入門書かと思っていたので、ちょっとびっくりした。
というのは、これは速水さんの自伝だから。
幼時から筋金入りの鉄道マニア。
時刻表からヒントを得て、宗門改帳のデータを整理するBDSというシステムを考案することにつながる。
こんなところが愉快。
歴史人口学は経済学をベースとしている学問かと思っていたが、速水さんは歴史学をからこの分野に入った人。
一方では、戦争でキャリアを積むのに支障があったことも生々しく書かれている。
1929年生まれで、学生時代は戦争の混乱期。
勤労動員やら、繰り上げ卒業やら、学制改革やらで、本来の就学期間より五年半短かったと聞くとびっくりする。
結果的にこの人は大学者になったので良かったのだが、それでも、他の年度の人より基礎がないと思い続けてこられたという。
たしかに、日本史専攻で、大卒で「乍」が読めなかったというのだから、どれだけ影響が大きかったかわかる。
両親の出身が三重県だったとのことで、1946年の東南海地震も経験したとある。
記録があまり残っていない地震なので、当時の状況が知ることができたのもよかった。
この本をほぼ書き終えたところで、急逝されたという。
90歳に近い年齢でこれを書いていたということだ。
大局的な社会の動きと、ご自身の体験が関連付けられ、こういう点がさすが歴史学者だなあ、と感動する。
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歴史人口学の権威で、文化勲章受章者である著者の伝記。著者は1929年生まれであるが、特に戦前、戦中、戦後まもなくの記述が面白い。著者が歴史人口学の第一人者となったのは、偶然の出会いがきっかけであったと書いているが、実際、多くの成功は偶然から始まることが多いのだと思う。要は、それをものにできるかどうかだ。それが認識できたことが一番の収穫であった。
「ナポレオン、アインシュタイン、それにドストエフスキーといった超有名人もてんかんだったと、何かの本で読んだ記憶がある。私はこれを、てんかん持ちの中にもそういう偉人がいるのだという心の拠りどころにしている」p38
「中学での成績が受験校の判断材料となることは必至なので高望みはできず、府立一中生としては控えめに、慶應義塾大学を受けることにした」p83
「戦後、航空自衛隊の創設に寄与したという理由でカーチス・ルメイに勲章が与えられたが、このような大都市焼夷弾攻撃を指揮した彼に勲章を与えることは簡単には割り切れない気がする」p88
「(フランクリン・ルーズベルト大統領の急死)朝日新聞の論調は、敵国の最高指導者の死に際して、それを喜ぶべきとする記事はなく、むしろルーズベルトの行った失業問題解消政策、ニューディール政策を評価するような論調さえ見られた。使者に鞭打つことを否定し、その功を認めている。「一億玉砕」を叫んでいた政府のもとではおかしいな、という気もしたが、朝日新聞欧米部長 福井文雄氏が書いている一文「ルーズベルト」などは、ルーズベルトを、交戦中の敵国の大統領としてではなく、一人の偉大な政治家として取り扱っている。極端に言えば、これは和平への一つのシグナルとさえ読める。後で知ったことだが、ルーズベルトの死に対して日本の首相が弔電を打ったことを、存命中のトーマス・マンが「日本の武士道」として讃えた。その一方で、大統領の死に対して、極端に言えば「ざまあみろ」の論調だったナチス・ドイツの態度に鈴木首相は、怒りを表明していたらしい」p90
「数少ない小学校時代の同級生として俊次君はかけがえのない友人である。私が歩行困難になり外出が困難となってからも、拙宅まで来ていただき、大いに昔を思い出し、久しぶりに愉快な数時間を過ごすことが私にとってはこの上ない喜びである。こういうのを「久闊を叙する(きゅうかつをじょする)」と言うのだろう」p144
「人生を振り返ると、いくつかの事柄と偶然に出会っているが、この出会いほど大きな意味を持つ偶然はない」p228
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<目次>
第1部 誕生から中学まで~1929から1945
第2部 終戦~1945から1948
第3部 大学入学から常民研まで~1948から1953
第4部 歴史人口学との出会い~1953から1964
第5部 宗門改帳との出会いと「BDS」の考案~1964から1989
第6部 人口減少社会における研究の展開~1989から2019
<内容>
2019年末に亡くなられた速水融先生の自叙伝のようなもの。脱稿前に亡くなられたようで、解説の部分を読むと、最後の頃はもう執筆もできなかったようで、第5部辺りは他の論文やエッセイを再編集したものらしい。弟子の磯田道史さんの本を読んで、速水氏の「歴史人口学」を学びたいとも思ったが、文春新書(『歴史人口学から見た日本』)は、絶版になっているようだ。伝記からは本人の筆だからこそか、かなり恵まれた人生だったように思った。学者らしい、でも結構無鉄砲な部分もあるひとだったんだな、と。