あらすじ
障害は続く。そして、生涯も続く……!
脳性まひ者が、就職して働いてみたら、いろんなことが見えてきた。
生まれてこの方、脳性まひ。健常者、そして社会とかかわる中で、見えてきたこと、見たくなかったこと、見つけた希望。
障害者と健常者の溝を埋める! 埋めなくても、溝を直視する! そのために、この経験を語ろう。
Cakes連載を書籍化。脳性まひ者・福本千夏が挑む、革命的エッセイ!
<はじめに>
「障害者」という言葉で、あなたは、どんなことをイメージする?
「そういえば、小学校の時のあの子」「いとこがダウン症で……」など思い浮かぶお顔がある人もいるだろう。えっ? 昨日観たドラマの主人公が障害者だった。今朝、白杖をついた方とすれちがった。と、考えると障害者も健常者同様、多種多様ですよね。ちなみに、私は脳性まひというやっかいで楽しい障害者です。あっ、脳性まひも一人一人違うことも明記しとかなきゃ。
健常者の夫は十二年前にこの世から去り、息子も一人立ちし、一人暮らしのおともに「うさぎと亀」を飼おうと思っている五十七歳っすわ。
年々体が動きにくくなっていく私は、科学の力で突然ピンシャン動けるようになる可能性も1パーセントぐらいはあるかもしれない。が、健常者がやっぱり羨ましいです。
だって、行きたい時に行きたいところに行ける。車だってバイクだって自転車にだって乗れる。ラーメンだってすすれるし、伝えたいことをスムーズに話せる。
人になにかをお願いせずに、思ったことができるじゃん。自分で選択して、どんなこともできるっていいな、いいなって。でも、ある時、近しい健常者にこんなことを言われた。
「福本さんって普通じゃないですか。フツーに結婚して、フツーに子ども産んで、フツーの人生ですよ。それに比べて私なんて……」
中学校の座談会で、三十半ばの先生からは「普通にお仕事もされていて、本まで出版されて、フツーの僕たちが夢見てもなかなかできないことを……もう望むことなんてないでしょ?」と。
「あるある。首の痛みを気にせず、毎日を過ごしたい」
「ほかには?」
と今度は生徒から質問が来る。
「水をごくごく飲みたい」
「えっ、水飲めないんですか」
「うん。のどの筋肉も落ちて来て、ごっくんってするのが大変でね。溺れそうになる」
と答える。すると、
「水泳も苦手?顔は洗えますか?」「のどは乾かないんですか?」「水の代わりにアイスクリームを食べれば?」
おっとっと、話があらぬ方向にいく。
で、その屈託ない中学生たちの前で、「あれっ、私の障害っていったいなんだろう?」って、一瞬頭が真っ白になっちゃいます。
障害者と呼ばれる人も健常者と言われる人にも本当にいろいろな人がいるのよね。一人一人価値観も違うし、大事にしたいものも違う。で、みんな病気もすれば、体や心が傷ついたりもする。でもでも、みんな、人の言葉や思いや人との出会いで元気になったりもする。そこは、障害者も健常者も関係ない? のかなーって思う。
そして、ひょっとして、今、こうして子どもたちと他愛ないことを話している。こんなふうに言葉を積み重ねていけば、互いのことも少しずつ理解できる?
障害者VS健常者の関係から抜け出せるかも?
この時、心の中でカーンとゴングが鳴った。
よしっ! その考えをより深めるために、私が六年間働いたり、いろいろな人と関わったりする中で感じたことを、書く!
これは、障害者と健常者の溝を埋めるための挑戦だ。行くぜ!
【目次】
はじめに
1 私、働いてました
2 私の一人暮らし
3 私、こんなふうに支えられています
4 親と子って、いろいろある
5 そしてSHOGAIは続く……
おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
読み進めるうちに、著者の福本さんのことを千夏ちゃん!と呼びたくなるような、福本さんとお話しているような感覚になる本です。
福本さんの働く姿や講演する姿、家族の会話など情景を思い浮かべながら読めました。
障害や病気のあるなしに関わらず、人はそれぞれグレーのようなグラデーションのようなもの。差をわかり合いながら、それぞれが生きやすい社会の仕組みを作ることが重要。言葉にすると当たり前ながら理想論のようですが、忘れてはいけないと思います。
Posted by ブクログ
障がいをもつ当事者の言葉はやっぱり心に響く。この本は、著者の性格もあってか、軽やかな文章でくすくす笑いながら読めるが、ところどころに考えさせられる言葉がたくさん盛り込まれている。
私的に刺さったポイントを以下列挙。
暮らしを助けるために制度がある。なのに、いつの間にか制度のために暮らし合わせるようになる
障害者を神と崇める心理は、障害者を馬鹿にする心理と通じているのではないだろうか
親は子供に与えたがる
子供の成長、長いスパンで考えられなくなっている
早い段階で障害児健常児の古い分けをし、効率よく教育するのは違う。子供はいろいろな子供と交わって共に成長する。
就労支援と言う枠を使って彼らを閉じ込めているような気がする。もっと言えば、彼らは支援利用されている感じさえする。社会が彼の望む生き方を提供してくれているわけではない。でも、社会が発達障害という言葉をひねり出してくれたおかげで、彼は存在できている部分もある。何のネーミングもなかったら単に引きこもり。
親は子供の困難を乗り越えてくれると、いつも信じて待ちながら、先に行くことしかできないのかもしれない。
人間関係の溝はいろいろな人がいる方が埋まりやすくなる。