あらすじ
日本人の多くは、朝鮮戦争に関してわが国は傍観者だったと思っている。だが、実は当時の日本国内には共産革命の司令塔・極東コミンフォルムによる「武装闘争」指令が下っていた。わが国は戦争と革命の波に巻き込まれていたのだ。GHQ、トルーマン、スターリン、毛沢東らは日本とアジアをどのように改造しようとしたのか。朝鮮戦争はいかにして起こり、日本は紛争に巻き込まれたのか。知られざる日本・台湾の「侵略」工作とともに、敗戦後から朝鮮戦争に至る空白の戦後史が遂に正体を現す。 ●敗戦後の日本を襲った「敗戦革命」 ●野坂参三の「平和革命」工作 ●日本共産党と朝鮮労働党の共謀 ●革命の司令塔・極東コミンフォルム ●中国共産党に操られたトルーマン民主党政権 ●台湾を守れ――根本博と「白団」の活躍 ●原爆開発と朝鮮戦争への道 ●朝鮮戦争をめぐる中ソの思惑と対立 ●日本共産党の武装闘争 ●北海道侵略の危機 ●左右の全体主義と戦った日本社会党
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Posted by ブクログ
物心ついたのは冷戦下、ソ連は中国と共に鉄のカーテンの向こう側で、日本はアメリカべったり。自民党の保守政治は長期にわたって続き、反対に知識人層や言論界では左派的な主張が主流という時代に私の価値観は出来上がった。平成が終わって、そうしたマッピングは完全に過去のものになってしまったと感じる。
その中で本書を読んだ。終戦直後からサンフランシスコ講和、そして朝鮮戦争期の日本と極東の状況が、政治学的見地から押さえられている。この混乱期のことは何となくは把握していたつもりだが、内容があまりに生々しいことに強烈な印象を受けた。
中国共産党が台湾に攻め入る寸前で朝鮮戦争が起こり、辛くも国民党が生き延びたこと。在日米軍が朝鮮に出払ってしまった後、日本国内ががら空きで、ソ連進攻の危険性があったこと。アメリカは、ソ連が攻めてきたときには、一時的に北海道を放棄する戦略を立てていたこと。実際にソ連はコミンテルンなどを通じて朝鮮・中国・日本にしきりに工作活動を行っていたこと。そうした工作活動が日本でも朝鮮でも成功しなかった背景に、共産主義革命の理念が予想に反して一般にまで広がらなかったことなどがあげられている。
面白いのは大戦終戦直後にはアメリカが共産工作に対しては大甘で、情報もソ連側にダダ洩れだったという事実。中国共産党が劣勢を挽回し、国民党を台湾に追いやったのは、アメリカが国民党の支援をやめ、また日本軍が大陸に残してきた大量の重火器をソ連が中共に渡したからだという指摘も痛烈だった。アメリカは途中で敵のプロパガンダに気づき、慌ててレッド・パージを行うのである。この判断がもっと早かったら、あるいは遅かったら、今の地勢図は全く異なったものになったはずだ。
新書ですっと読めるし、取り上げられている一つ一つは事実なのだろうが、緻密な学術的議論ではないので、あくまで一つの見方として受け止めた。なので星4つ。
ところで、紆余曲折がありながらも結果的にこの時代にできた枠組みが現在も続いているのは、半世紀の間、とりあえず極東が平和だったということで、実に結構な話なのだが、その先行きが怪しくなってきているように感じる。
半世紀にわたる天下泰平の世の中で日本人はすっかり平和ボケしてしまった。戦後74年。戦争は起こしてはいけないが、平和は唱えるだけでは維持もできない。そんなことを感じている今日この頃である。