【感想・ネタバレ】資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年04月22日

人間を損得勘定のみで動く”ホモ・エコノミクス”と捉えた近代経済学に対して、経済学に人間の心を埋め込もうとした宇沢弘文の生涯。「社会の病を癒したい」という想いで数学を捨てて経済学を志し、その信念を最後まで貫いた生き様には感動した。また、多くの経済学者が出てくるので、様々な経済思想に触れられるのも面白い...続きを読む

宇沢弘文が日本帰国後に本格的に研究した、”社会的関係資本”については、新自由主義を乗り越えた社会を考える上で重要な概念だと感じた。市場一辺倒でも国家一辺倒でもなく、コモンズが社会的共通資本を担う社会が一つのオルタナティブになるのかもしれない。昨今の”脱成長”にも繋がり、宇沢弘文の思想は今も生きていると感じる。

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Posted by ブクログ 2021年12月08日

もっと早く出会いたかった。

凄い本。宇沢弘文という学者の生涯を通じて、経済史の変遷を学ぶ事ができる。一般均衡理論から、ケインズ、リカード。市場原理に任せるか、政策介入すべきか、そして更にはベトナム戦争から外部不経済という考えに基づき、公共経済学の分野へ。延長戦で、公害、自動車、カーボンニュートラル...続きを読むまで行き着く。こうした本を学生時代に読んでいたなら、あるいは、公共経済学に興味を持っただろうか。

圧倒的な取材、文献、考察。宇沢弘文と共に生きた数々の学者たち。師弟、ライバル、仲間、犬猿の仲。その一人ひとりまで掘り下げて説明される事で、経済史の転換点が温度感を持ち、深く、ストーリーとして頭に入ってくる。経済学という学問の功罪。可能性、今の等身大の経済学。

スティグリッツは宇沢弘文の教え子だったらしい。フリードマンは友人とも言えるが、論敵だった。宇沢弘文は、感情的な学者であったが、しかし、経済学の犯した罪と向き合う正義だった。合理的、効率的という概念が、所謂、経済的と同義に語られ、その範囲によっては利己的になりかねない、この資本主義の愚かさに対して。戦争と公害、環境破壊に対して、経済学がこれから為すべき課題とは、何か。

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Posted by ブクログ 2021年11月19日

600頁の大著だったが、昔先生の著作を読んだ記憶をたどりつつ、わりとさらりと読めた。

宇沢先生については、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から手紙で、"Capitalism are alright?(資本主義は大丈夫なのか?)"と直接問われた経済学者、という説明で十分だろう。
...続きを読む
宇沢先生は、当時の米英の主流派・新古典派経済学の世界においてもっとも影響力のあった研究者のひとりでありながら(後に新自由主義的な市場万能説を唱える当時の主流派経済学説を批判して、ノーベル経済学賞を受賞するジョセフ・スティグリッツ、ジョージア・アカロフが彼の教え子にあたる)、後年は市場の外にあるシャドウコストをモデルに組み入れて社会的共通資本(Commons)をいかにして守るか、ということに軸足を移して行動した稀有な研究者だった。

ひとことで言えば、暴走する資本主義を制御しようとしてこなかった経済学の分野に[良心/倫理/モラル]を埋め込もうと孤軍奮闘した人、ということになると思う。
ただアカデミックの世界で理論を組み立てて論文を書くことと、これを実社会に効力を発揮する制度として埋め込むためには、また別のハードルが存在する。後年の運動家としての活動は、ことごとく失敗しているように見える。宇沢先生の理想は、当時の政治家にとっては「青い鳥」に見えたいたようだ。

そして2011年3月21日、東日本大震災の10日後、宇沢先生は脳閉栓で倒れ、そのまま闘病もむなしく帰らぬ人となる。

宇沢先生の社会活動家としての問題意識の原点は、たとえば水俣病のような公害、つまり資本主義の暴走と人間の欲がもたらす人為的な災害の経験だった。後に金融工学という詐欺的手法で世界経済を破壊したサブプライムローン問題を、宇沢先生は当初から厳しく批判していた。

このころ、ようやくコモンズ、社会的共通資本を守らねば社会は立ち行かなくなるという問題意識が広く浸透してきたように見える。持続可能な社会のために、取り組まなければならない課題はたくさんあり、世界中のさまざまな場所で新しい仕組みを社会実装する動きが起こっている。

宇沢先生が生きて成しえなかった三里塚農社は、今まさに僕自身が取り組もうとしているモデルに近い気がする。巨人の肩に立ち、ここから見える景色を、ひとつずつ実現できるように進んでいきたい、と心から思った。

マジでよい本です。

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今日では理解するのが難しくなっている点だが、西ヨーロッパでソ連経済が高く評価され、敬意が持たれていた。五か年計画による工業開発、「指令統制型」の経済、完全雇用の実現……、これが当時のソ連の主張であり、イメージであった。失業者があふれ、資本主義が失敗した1930年代、ソ連は偉大なオアシスであり、解毒剤だとみられていた。ソ連がナチのきわめて効率的な軍隊の攻撃に耐えたことでも、ソ連型の経済モデルの名声がさらに高まった。これらの点から、社会主義の評判が高くなった。ソ連経済に対する敬意と称賛は、ヨーロッパの左派だけにみられた現象ではない。中道派にも見られ、保守派にすらみられた。
p.122


ケプラー書店にしょっちゅう出入りしていた宇沢は、サンドパールという名の店主と顔なじみになった。それほど広くない書店の床にそのまま座り込むような集会で、ときどき歌を歌っている少女がいた。高校生とはおもえないほど上手で、いつも店主が聞き惚れていた。無名の高校生歌手はまもなくすると、「花はどこへ行った」という楽曲で全米に知られるようになる。公民権運動や反戦運動の象徴ともなった、1960年代を代表するフォーク歌手、ジョーン・バエズである。

しばしば家主のアンから平和集会に誘われるようになった宇沢が、ある日、「大学では経済学を研究しています」と話したところ、「私の父も経済学者だったのよ。ソースティン・ヴェブレンというんだけど」とアンがつぶやいた。宇沢は耳を疑った。異端の経済学者として紹介されることも多いが、ソースティン・ヴェブレンといえば、経済学者なら誰もが知るアメリカを代表する経済学者だ。ちょうどそのころ、ヴェブレンの存在の大きさに気づきはじめたばかりだったので、あまりの偶然に心底びっくりしてしまった。
p.158


マルコムエ・Xに対して、バークレーの学生当局は当然のことながら講演会場に予定されていた教室の仕様を許可しなかった。学生たちは、教室の外の芝生に集まって、拡声器を通じて、マルコム・Xの講演を聞いたのであるが、マルム・Xの徹底したアメリカの白人社会に対する批判と黒人文化の自立的形成に対する訴えに対して、学生たちがしんとして声もなく聞き入っていた光景を、私はいまでも昨日の出来事のように鮮明に思い出す。それは、アメリカの社会が新しい局面に入っていったことを示す象徴的な事件であったとも言うことができよう。

マルコム・Xの悲痛な訴えに対して、もし耳を傾けないものがあったとすれば、それは救いようのない倫理的退廃その者に他ならないとさえ感じられたのである。
p.224


特筆すべきはジョージ・アカロフ(1940-)とジョセフ・スティグリッツ(1943-)である。宇沢はふたりを新しい経済学を担う次世代の経済学者として高く評価したのだが、実際、2001年に情報の経済学への貢献が認められて、ともにノーベル経済学賞を受賞することになる。
p.289


宇沢を驚かせたのは、高度経済成長の立役者として知られていた下村が、日本経済に対する見方を劇的に変化させたことだった。経済力が欧米先進国に追いついたとの認識のもと、下村は昭和45年(1970年)頃から成長減速論を唱えるようになったのである。
p.407


原田さんに連れられて、水俣病患者のお宅を訪れる度に、私はいつも感動的な場面に出会いました。それは、胎児性水俣病患者をはじめ、重篤な水俣病患者の方々が、原田さんを見ると、じつにうれしそうな表情をして、はいずりながら、原田さんに近づこうとする姿でした。

そして、原田さんがやさしい言葉でいたわり、容体を聞く光景を見て、私は医師と患者の間の理想的な信頼関係を見た思いがし、原田さんこそ、現代医学の規範でなければならないとつよく感じたものです。同時に、医学の道を志しながら、途中で挫折した後、社会の病いを癒すという強い気持ちに駆られて経済学を専門分野に選んだ私は、それまで研究してきた経済学のあり方に対して、つよい疑問をもち、深刻な反省を迫られざるを得ませんでした
p.486


都留重人をリーダーとする公害研究者の集団は、日本にあらわれた初めての本格的な学際研究者グループといっていいだろう。メンバーのひとりとして宇沢も、「公害」という、世界が抱える最大の課題と向き合った。志を同じくする学際的研究者グループのなかでもとりわけ尊敬したのが、原田正純である。
p.489


公害研究者をはじめとする他分野の知識人と積極的に交流しながら、宇沢は懸命に自身の経済学を鋳直そうとしていた。「空白の10年」はたんなる沈黙ではなく、むしろ強固な意思表示だったのである。
p.493


文化功労者の顕彰式が終わり、宮中のお茶会に招かれて昭和天皇と対話した場面を、宇沢が臨場感あふれる筆致で描いている。

≪私の順番が回ってきたとき、私は完全にあがってしまっていた、私はもともと、天皇陛下からお茶をくださるということで宮中にお伺いしたのであって、自分のこれまでの仕事についてお話しするとは考えてもみなかったからである、私は夢中になって、新古典派経済学がどうとか、ケインズの考え方がおかしいとか、社会的共通資本がどうのとか、一生懸命になってしゃべった。支離滅裂だということは自分でも気が付いていた。そのとき、昭和天皇は私の言葉をさえぎられて、次のように言われたのである。

「君! 君は、経済、経済というけれど、人の心が大事だと言いたいのだね」

昭和天皇のこのお言葉は、私にとってまさに青天の霹靂の驚きでもあった。私はこれまで、経済学の考え方になんとかして、人間の心を持ち込むことに苦労していた。しかし、経済学の基本的な考え方はもともと、経済を人間から切り離して、経済現象の間に存在する経済の鉄則、その運動法則を求めるものであった。経済学に人間の心を持ち込むということは、タブーとされていた。私はその点について多少欺瞞的なかたちで曖昧にしていた。社会的共通資本の考え方についても、その点、不完全なままになってしまっていたのである。この、私がいちばん心を悩ませていた問題に対して、「経済、経済というけれど、人の心が大事だと言いたいのだね」という昭和天皇のお言葉は、私にとってコペルニクス的転回ともいうべき一つの大きな転機を意味していた≫(「経済学は人びとを幸福にできるか」(東洋経済新報社))
p.494


早くから農業に関心を持っていた宇沢は、農政については第一人者の東畑に教えを乞うようになった。ただし、東畑が宇沢に繰り返したのは「反省の弁」だった。農業基本法は失敗だったという後悔と懺悔を、宇沢の前で率直に語っていたのである。

「反省する東畑精一」に学んだ宇沢は、農業基本法の失敗は、農村あるいは農業がもっている固有の性質を無視して、工業において企業が果たしているような役割を農家に求めたことにあると考えるようになった。
p.531


社会的共通資本という概念を導入する目的を、宇沢は明快にのべている。「一国の構成員すべてがその所得、居住地などの如何にかかわらず、市民の基本的権利を充足することができるように」するためである。「社会的共通資本の経済学は市ベラリズムの理念に基づいている」と宇沢がしばしば口にしたのは、「市民の基本的権利」の理論を核に据えているからだ。
p.558


コモンズ論を展開することで宇沢は、「資本主義対共産主義」に対応した所有形態の公私二分法から逃れ出ようとしていた。社会的共通資本の理論は、「ポスト冷戦」の経済理論でなければならないからだ。

コモンズ論を展開したあと、宇沢はようやく三里塚農社の説明をはじめる。

≪農の営みの外延的拡大とは、農の営みをたんに農作物の生産に限定せず、農作物を中間投入物とする加工、その他の生産活動、さらには販売、研究開発なども広く内包して、一つの総合的な事業形態をもち、しかも分権的市場経済のもとで経営的な観点からみて一つの有機的経済主体として存立しうるような規模と組織を求めることを意味する。他方、農の営みの内包的深化とは、農社におけるさまざまな生産活動と生活様式とが、農社を取り巻く自然的、社会的環境の汚染、破壊をもたらすことなく、また、その生産物が、健康的、文化的、環境的な観点からもすぐれた者であるような生産形態を求めることを意味する。このようにして、農社における生産活動が分権的市場経済制度のもとで、工業部門に対して比較優位をもち、安定的な経済的、経営的主体として存続し、そこにおける生活様式が、文化的、環境的な観点から望ましいものであると同時に、農社と密接な関わりをもつ社会的共通資本、とくに自然環境を安定的に維持することが可能になる。このような意味で、農社は持続可能な農業を具現化することができる。このような目的を達成するために、農社は、人口と土地にかんしてかなり大きな規模をもつ一つの組織体となるが、それはあくまで分権的市場経済制度の枠組みのなかで機能する経済的、経営的主体であり、農社の事業にかかわる一切の意思決定は民主主義的な規範にもとづいておこなわれることが、その地位のためにもっとも重要な前提条件であることを改めて強調しておきたい≫(『二十世紀を超えて』)

宇沢が三里塚農社にこだわったのは、「農の営み」が社会的共通資本の根幹にかかわる問題を提起するからである。宇沢は「自然」を「資本」とみなすことで経済分析の表舞台に引きあげようとしていた。農業は自然と密接なかかわりをもつ。市場経済が発達する際、最初に市場経済の「陰」になりやすい領域が自然と深い関わりを持つ第一次産業であり、とくに「農の営み」である。市場経済にかかわる原初的な問題が、「農の営み」を通してあらわれてくる。
p.534


自由放任主義を否定したケインズは「分権的自治」の必要を説き、こんなことを言っている。

<多くの場合、支配と組織の単位の理想的な規模は、個人と近代国家の中間のどこかにある、と私は信じている。それゆえに、国会の枠内に「半自治的組織」semiautonomous bodiesの成長を図り、その存在を容認することこそ進歩である、私は考えたい>(『ケインズ』宮崎義一訳、中公クラシックス)
p.597


経済学と恩師宇沢弘文の関係について、スティグリッツはわかりやすい言葉で解説してくれた。

「経済学における問題のひとつは。“きまぐれ(faddishness)”だということですよ。同じ問題、同じ方法でも、ある時期には“流行おくれ”とされ、別の時期になると“流行”したりするんです。アメリカの経済学に関していえば、1975年から2008年までのおよそ30年間は“酷い時代(Bad Period)”だったといっていいかもしれない。

この時期、経済学会ではヒロがつねに強い関心を寄せていた“不平等”や“不均衡”や“市場の外部性”の問題はあまり注目されることがありませんでした。経済学の主流派はみんな“市場万能論(perfect marcket)”に染まってましたから。
ヒロが成し遂げた功績にふさわしい注目を集めなかった理由は、意外に単純です。つまり、『(経済的な)危機など決して起こるはずがない』と信じ込んでいる楽観的な経済学者の輪の中に、ヒロが決して入ろうとしなかったからなのですよ」
p.602

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Posted by ブクログ 2021年04月11日

世界的な数理経済学者でありながら、従来の新古典派経済学を徹底して批判し、「社会的共通資本論」を提唱した、宇沢弘文の本格的評伝。
本人をはじめとする数多の関係者への充実した取材や文献の渉猟に基づいて、宇沢弘文という人間を様々な角度から浮彫りにする優れた伝記だと感じた。大部だが、物語として面白く、スイス...続きを読むイと読み進めることができた。
宇沢弘文の生涯を振り返ることは、まさに20世紀の経済学史を振り返ることであり、その意味でもとても勉強になった。
昭和天皇から「君!君は、経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」と声をかけられたというエピソードが紹介されているが、まさに昭和天皇の言葉は、宇沢弘文の経済学の本質を言い当てていると思った。

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Posted by ブクログ 2021年02月28日

よりよい社会を実現するために研究を続けた経済学者の骨太人生を見事に描き切る。
戦後の経済学の流れも俯瞰していてとても勉強になる。

コロナ禍の今なら、どんな発言をしただろうかなど
考えながら読んだ。

宮沢喜一や後藤田正晴など、宇沢の見識を理解し
議論できる政治家がかつてはいたのに
今は・・・と軽く...続きを読むショックを受けた

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Posted by ブクログ 2020年10月24日

理論経済学者であった宇沢弘文さんの生涯の軌跡。

読んでみて、本当に感動した。
主に戦後だが、まさに20世紀の(理論)経済学を、宇沢弘文という1人物を中心に語ることで、ほぼその流れを理解することができる。それほど、経済学のメインストリームに位置していたということだ。

特にアメリカだが、20世紀を通...続きを読むして経済学の世界は、古典派 ⇒ ケインズ学派 ⇒ 新古典派 ⇒ ネオリベラリズム(ネオリベ)という流れがある。宇沢先生は新古典派の理論経済学者だが、彼の経歴を通して、ケインズ学派からいかにネオリベラリズムに移行して、現在2020年に至るかが理解できる。

特にネオリベの提唱者、ミルトン・フリードマンとの関係性はすごく興味深い。お互い敬意を持つ友人同士でありながら(まぁ、大嫌いだったみたいだから友人ではないか。。)、考え方は正反対。歴史の流れの中で、ミルトン・フリードマンがその後の経済学(世界の政治)を作っていく。80年代にレーガンやサッチャーに影響を与えることで。そして、アメリカの後にヨチヨチ歩きでくっ付いていく形で、日本はネオリベに染まっていく。2000年代の小泉政権にて。

しかし、このスケールで経済学者を眺めたときに、小泉政権の竹中平蔵がいかに小物かがわかる。ミルトン・フリードマンの劣化版。「学者」という肩書きで呼ぶのは、ちゃんと学問を進歩させようとしている真の学者に失礼だ。むろん、経済学者ではありえない。それほど差がある。

そして、彼は現在の菅政権でもゾンビのように復活して、ネオリベ政策をさらに進めようとしている。しかも、多くの日本人はこれを支持しているわけだ。

・・もう、どうしようもないな。

宇沢先生の恩師、同僚や教え子、ライバルなどは多くがノーベル経済学賞に輝いている。日本人でノーベル経済学賞に一番近い男、と巷間言われていたが、宇沢先生は結局受賞することはなかった。宇沢先生が亡くなった今、おそらく、今後日本人で受賞する人は現れないだろう。最後の章でも、残念ながら後継者がいないことが露呈した(本読む前に気になっていた。宇沢先生の後継者のような人はいるだろうか・・と)。今の日本の経済学者で、新しい「ユートピア」を語れるような人がいるとは到底思えない。

私は社会学に興味があり、「社会的共通資本(Social Common Capital)」の概念は前から知っていた。この概念を、この本を読むことでより補完することができた。宇沢先生が主に「農業コモンズ」と「大気コモンズ(地球環境保護)」の2軸で活動されていたことも知ることができた。

経済学や社会学のような「社会科学」では「自然科学」のように方程式で世界を表すには限界がある。これは難しい数学理論を理解してなくても、実生活で「世界」を体験していればわかることだ。しかし、多くの経済学者は、それを理論に押し込ようとする。私は経済学は一番信用できない学問と長い間思っていたが、色々と学ぶ中で、「結構経済学も役に立つな」と思うようになっていた。事実、計量経済学の手法などは仕事でも使える。しかし、この本を読むうちに、また「経済学って意味あるのか?」と逆に振れた。経済学は社会科学の中では一番数学の適用に成功して様々な理論を構築した学問ではあるが、宇沢先生の「社会的共通資本」のような地に足が着いたアイデアの実践に寄与できないようであれば、学問として存在価値がないし社会的に悪い影響しか与えないのではないか?ネオリベの思想などは多くの国で格差を広げただけだし。

現在のコロナ禍の世界(特にアメリカ)を眺めているうちに、また、この本を読むことでさらにその想いを強くするようになった。

これからの世界は、宇沢先生の「社会的共通資本」がさらに重要になる。SDGsなどはその一例だ。環境を意識せずに生きていくことはできない。しかし、経済学はそれでも環境を無視し続けるのだろうか?日本の(御用)学者や政治に1ミリも期待はしていないから日本はこのまま没落していけば良いが、せめて他国では、宇沢先生のこのアイデアに再び光を当てて少しでも実現する国が現れてほしい。

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Posted by ブクログ 2020年08月10日

社会科学を学ぶ大学生は必ず読んで欲しい一冊。特に経済学部と社会学部、環境やサステナビリティを学ぶの人は必読。

アメリカ経済学全盛期にその最先端を走った日本人。今現在、後にも先にも日本の経済学者として世界と渡り合えたのはこの人だけ。

宇沢弘文さんの教え子のスティグリッツといえば、日本の大学のミクロ...続きを読む、マクロの教科書にも使われているノーベル経済学者。そのスティグリッツや、同じくノーベル経済学者のアマルティア・センが今挑んでいるGDPに代わる幸福度の研究テーマ。

その先行研究ともいえる環境や社会の価値を経済学で扱えるようにする社会的共通資本を打ち出した人。机上の論理でなく、現実に経済学を適応させようとして、まさに資本主義と戦い続けた人。

1970年以降の新自由主義によって、人は物質的に裕福になったが、それでも幸せになれない人がたくさんいる。貧富の差は開いている。

気候変動、リーマンショック、東日本大震災、コロナショックなど、20世紀のしわ寄せが表面化する中、よーやく経済学も宇沢弘文さんの見ていた世界に足を踏み出しつつあるか?

まさに、近代日本史の教科書にして欲しいくらいな中身。

経済学の教科書、研究論文の全体から腑に落ちず、博士課程の学生を見て、企業にて続きをやろうと思った自分。後悔はないが、もっとこの方の著作には触れておきたかった。

恥ずかしながら、未来世代というステークホルダーを明確に出してきたのも宇沢さんというのを知らなかった。

後を継ぐものが出なかったことが宇沢弘文さんの凄さと悲しさを表しているように思う。

天才とは、生きているうちに世間に凄さがわからない人と私は思っている。そういう意味でこの人は本当に天才であり、努力家であり、誠実な方だったんだと思った。

今からでもこの方の著作をもっと読みたいと思う。そして、こういう本を書いてくれる、出版してくれることが、ジャーナリズムだと思う。素晴らしい一冊。

でも、大きな意味で言うとスティグリッツさんが、宇沢弘文さんの遺志を継いでいるのかもしれない。21世期に経済学が無用のものとなるか、SDGsを果たす有効な学問となるか。

子孫に幅広い選択肢と豊かな地球を残せるかは私たちにかかってる。

日本人が誇るべき人、宇沢弘文。ノーベル経済学賞に最も近かった日本人、宇沢弘文。

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Posted by ブクログ 2020年05月03日

岩井克人氏「欲望の貨幣論を語る」と読み合わせると理解が深まる
リーマンから12年、ひたすら金融緩和による景気の拡大を続けてきた世界経済はコロナショックを乗り越えられるかという課題に直面している
根本的には「資本主義経済体制」と「有限の地球」が共存できるのか?というレベルの段階に来ている
経済体制の選...続きを読む択=経済理論の選択である
経済学は科学なのか、政治経済学なのか

現代の経済学を二分して解説 画期的であり判りやすい 革命的過激さ
①不均衡経済動学・・・資本主義経済の本質 ケインズ・宇沢弘文など
②均衡経済学  ・・・主流派経済学シカゴ学派など
資本主義経済の本質は不均衡動学だが、周期的に経済危機を起こし、財政・金融の支援を必要とするので、そのままでは受け入れにくい
体制の経済学としては「平時の均衡」を前面に出して理論体系を組むのが方便だが、これは反正義の在り方。本家の米国以外では衰退しつつある。
宇沢弘文氏、岩井克人氏とも「正当経済学の不正義」に耐えられず趣旨替えを表明し、経済学会を追われてしまった。「破門」である。

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Posted by ブクログ 2021年05月02日

経済学という学問にこれまでどうしても興味を持てなかった。
世の中の実に多様な側面を、「経済」という一つの視点だけで切り取り、それだけで「良い悪い」を判断している学問だという偏見を持っていたからだ。

でも本当に優れた経済学者は、決して経済が世の中の良しあしを決定する因子ではなく、
あくまで人間の幸せ...続きを読むを考えたうえで、そのアプローチの一つとして経済学を認識していることを知り、そういった優れた学者たちに畏敬の念を覚えた。

本書の主役である宇沢弘文さんは、その優れた経済学者の最たる人物であろう。
経済学の世界の最先端であるアメリカ・シカゴ大学のスター教授の一人として、輝かしい経歴を持ちながら、人類、日本の将来を真剣に考えたうえでアメリカを離れ、さらには一度経済学を離れた。

「社会的共通資本」という経済学のど真ん中から見ると色物ともとられるような概念を提唱した。経済学の枠にとらわれない、本当に人間に役に立つ経済学の用い方を示したのだと思う。

また、本書は経済学の歴史入門としても非常に優れている。
宇沢弘文という日本が誇る優れた経済学者を軸にして、世界の経済学の移り変わりを語ってくれている。

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Posted by ブクログ 2019年09月04日

経済学には詳しくないので、分からないところが多かったが、宇沢弘文という人物や宇沢弘文を通した経済学の流れが丁寧に書かれた大作でした。
分厚い本なので躊躇しましたが、興味深いエピソードも多く、波乱万丈の生涯ということもあり、興味深く読めました。
経済学といっても、どの時間軸で見るか?どの立場で見るか?...続きを読むどんな目的で使うか?などでかなり変わってくると感じました。
宇沢弘文氏は、長期的な視点で、俯瞰した位置から、平等や正義、弱者のために使おうとしていた。
しかし、世界は、時代は、そうではなかった。

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Posted by ブクログ 2019年08月04日

数理経済学という学問分野において、間違いなく日本を代表する存在として、多数の論文により学問の進展に多大なる影響を与えつつ、突然の沈黙により学会から距離を置き、半ば”仙人”のような風貌で晩年を送った経済学者、宇沢弘文。本書は彼の半生と数理経済学という学問の発展とその限界を炙り出す超一級の評伝である。
...続きを読む
経済的合理性に基づいて一切の行動を取るという仮定の存在たるホモ・エコノミクスの存在を前提とし、近代の経済学では人間行動を数学を用いたモデルにより表現することで学問としての精緻さを明晰にすることに成功した。一方、そうしたホモ・エコノミクスという存在の仮想性に目を付け、新たな理論を立ち上げたのが20世紀後半から21世紀に勢力を伸ばす行動経済学の学派である。非合理とわかっていながらも、錯覚や一時の快楽に身を任せて行動を取る人間の実質的な愚かしさを、行動経済学では心理実験等のアプローチに基づき理論化しようとしている。

そうした学問の流れにおいて、宇沢弘文が生涯の後半で成し遂げようとしたのは、資本主義という思想の中で零れ落ちてしまう人間存在を、いかに経済学という理論の中に位置づけるかという苦闘であったと言える。

理論と実践という旧来からの二項対立において、21世紀は理論の持つ力が徐々に喪失されつつあるという印象を持つのは私だけだろうか。本書は、その生涯において理論の持つ力を信じた一人の人間の思想が痛いくらいに伝わってくる。それは経済学という理論に興味があるかどうかは別として、我々がどう考え、どう生きるべきかという根源的な問いを突き詰めるきっかけを与えてくれるものである。

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