あらすじ
日本中世はその精神性を措いては理解できない。熊野巡礼、修験神楽、法華経注釈、天皇の即位灌頂……神仏習合の多彩な展開を一次資料から徹底的に解読し、そこに心身と世界のドラスティックな変革=「変成(へんじょう)」という壮大な宗教運動を見出した渾身作。中世という激動の新世界、その遠大な闇と強烈な光に、日本随一の宗教思想史研究者が迫る!
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Posted by ブクログ
" 十津川の上流に玉置山という山がある。中世ではここに、子守御前や八大金剛童子などとともに三狐神が祀られていた。『玉置山権現縁起』は、「三狐神」とは「天狐・地狐・人狐」で熊野新宮の飛鳥を本拠とするとし、三狐神の本地は、極秘の口伝だと説く。
興味を惹くのは、「日本国二十柱ノ王子在リ」として、十の天狐の名とその霊山の名が列挙されていることだが、それらは愛宕をはじめとしてすべてが「天狗」で知られた修験の霊山であった。ここでの「天狐(てんこ)」とは、いわゆる「天狗」の像容と重なりあっているのだ。" p.348
" ここで想起されのは、かつて東寺に祀られていた「夜叉神」の形像である。それは中面が金色の聖天、左面は白色のダキニ天、右面は赤色の弁才天という三面六臂像であった。しかもこの像は、異国出自の「奇神」=「摩多羅(マタラ)神」とされる。" p.348
"稲荷信仰では、「天狐(てんこ)」「空狐(くうこ)」「地狐(ちこ)」を「三狐神(さんこしん)」の神号とし、これに「白狐(びゃくこ)」と「吾紫霊(あしれい)」を加えて「五狐神(ごこしん)」とした祝詞を作り、祈祷に用いることもあった。なお稲荷信仰全般については、近藤喜博『古代信仰研究』(一九六三。角川書店)などを参照のこと。 " p.420
先に読んだ『ヌシ』の参考文献より。
別件で「変生」という語を知り、意味を調べたときに【変成/変生】であることを知り、縁を覚えた。
本書は四章からなり「I 苦行と救済 中世熊野詣の宗教世界ーー浄土としての熊野へ」「II 擬死と再誕 大神楽「浄土入り」ーー奥三河の霜月神楽をめぐって」「III 本覚の弁証法 龍女の成仏ーー『法華経』龍女成仏の中世的展開」「IV 人獣の交渉 異類と双身ーー中世王権をめぐる性のメタファー」という構成である。前半は細かすぎて門外漢には辛いナリとか思いながら読んでいたが、IIIから興味を惹かれる内容となり身が入る。『孔雀王』や『カルラ舞う』の世界であったからだ。
かつては思いもしなかったが、日本の古代宗教を論じているのに西洋哲学を読んでいるような気にさせられるのは語の選択ばかりではなかろうと思う。方法論として適切であるのかという疑問を漠然と思う。
その他、思いがけない拾いものもした。
『魍魎戦記マダラ』には、少なくとも名称において摩多羅神というモデルがあったっぽい? とか。エターナル・チャンピオンのオマージュかと思っていたが、三面六臂の像がモデルなのかな、とか。
アマテラスと稲荷信仰は結びついているらしく、FGOの玉藻の前がアマテラスゆかりとみえる振る舞いをするのは裏付けがあったのだな、とか。